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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第四章
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  入学2

「吉野、ただいま! 居間に来て!」

 飛鳥は帰って来るなり、台所でアルバートに料理を教えていた吉野を呼んだ。玄関で靴を放り出すように脱いで駆け上がり、居間に入るとぺたんと腰を下ろす。急いでパソコンバックから愛用のノートパソコンと、空中投影用のボックスを取り出すと、もう一度吉野を呼んだ。


「吉野!」

「ちょっと待って! 今、火を使っているんだ」

 吉野の声も、ただ事ではなさそうな飛鳥に呼応して忙し気な早口だ。



「おかえり、飛鳥。どうしたんだよ?」

 夕飯の準備を邪魔された不満に軽く顔をしかめ、だがそれを上回る好奇心にニヤニヤしている吉野に、飛鳥は瞳をキラキラさせて満面の笑みを向けた。勢い良く立ち上がり、居間の電灯を消す。


「見て。出来たんだ」

 投影ボックスのスイッチを入れる。吉野はまだ見たことのない新しいタイプのものだ。吉野の知っているキューブ型のものと比べると、ずっと小さく薄型になり、見かけはほとんどタブレットと変わらない。この夏の間に一気に改良され、もう『杜月』の部品は投影用ガラスしか残っておらず、心臓部は全てコズモス製品に入れ替わっている。



 暗闇に投影ボックスと等倍の8インチスクリーンが現れる。

 鮮やかな画像が浮かび上がった。

 森の中に茶色い変な恰好をした、3Dアニメの自分によく似た少年がいる。


「何、これ?」

「デイヴの描いた吉野だよ。ここからだよ、見て」

 飛鳥はパソコンのキーを叩きながら、空中に浮かぶ画面を四分割し残りの三つの画面を消し去った。


「拡大」

 少年の画像だけを切り取って元と同じ大きさの画面に拡大しても、画像の鮮明さは変わらない。



「すごいな」吉野が息を呑んで呟くと、「すごいのは、ここからだよ」と飛鳥はどんどんと画面を拡大していった。

「20インチまで拡大できるんだ。佐藤さんの技術は神業だよ。ヘンリーの注文は、投影ボックスを小型化してパソコンモニターと変わらない映像画面を作ることだったけれど、逆に画面面積を大きくしたら巨大スクリーンだって作れるんだ。コズモスの画像処理技術もすごいけれど、『杜月』の技術力だって負けていないだろ?」


 顔を上気させ興奮して一気に捲し立てる飛鳥に、吉野も嬉しそうに頷いた。

「それにほら、」飛鳥は立ち上がって電灯を付けると、誇らしげに笑った。

「吉野はまだ見たこと無かっただろ? 電気をつけても画面は変わらずクリアに見えるんだよ」



 明るい蛍光灯の下に、そこだけぽっかりと異空間が浮かんでいるように緑の森が広がっている。吉野は、その鮮明さに目を見張った。


 急に、画面の中の少年が弓を引き絞り、こちらに向かって矢を放つ。

 思わず目を眇め、反射的に避けようと身体を動かしていた。



「自分に殺されるかと思った?」


 パンッ、パンッ、パンッ。


 声を立てて笑う飛鳥の背後で、アルバートが微笑んで拍手している。


「おめでとうございます」

「まだ全然完成品じゃないんだけれどね。これは佐藤さんが手仕事で仕上げてくれたものだから。機械生産にはまだまだだよ」

「そこからはコズモスの仕事です」

「そうかな……。でも出来るところまで頑張るよ」

 飛鳥が微笑んで答えると、アルバートもにっこりと笑って頷いた。


「ところで食事は済まされましたか? 今日はヨシノ君に煮しめを教わりました。少し味見しませんか?」

 アルバートはちらりと時計を見上げ、いつもと比べると俄然早い飛鳥の帰宅時間を確認して、いつも吉野が言うように、軽く食事を取るように勧めてみた。


「ありがとう、いただくよ」

「すぐ用意します」


 予想通りの返事に、今回の仕事は一段落着いたのだな、とアルバートも満足気に台所へと取って返した。




 その間、吉野は飛鳥のパソコンをいじりながら、空中の仮想画面を凝視している。

「これ、アニメーション? それともゲーム?」

「元はゲームだよ。そのキャラクターのアニメを使わせてもらったんだ。デイヴがコズモスの社員さんと、個人的に創ったものなんだ」

「アニメにしたのは、飛鳥?」

「ううん。コズモスのひと」

 飛鳥は恥ずかしそうに答えながら、仏壇の前に座り手を合わせている。


「こんなふうに一歩一歩進んで行けるのも、お祖父ちゃんの親友だった佐藤さんが今も変わらずに『杜月』を支えてくれているのも、お祖父ちゃんが見守ってくれているからだね。ありがとう、お祖父ちゃん」

「飛鳥が頑張っているからだよ。あんな配列の仕方、飛鳥じゃないと思いつかないよ」

 吉野は画面を見つめたまま、ぼそっと呟いた。だが飛鳥には届かなかったらしい。


「それに吉野のお陰だね。吉野が面倒な計算をやってくれるから、こんなに早く進められたんだ」

「計算なんか大したことじゃないだろ。訓練すれば誰だって出来る」

「僕は、もっと時間がかかるけれどな」

 飛鳥は吉野の傍に戻ると、足を崩し両手を畳について背中を伸ばした。



「飛鳥は考えるからだよ。俺は考えるのは苦手だ」

「そうだね。吉野は直観型だ」


 飛鳥はくっくっと声を押さえて笑った。



 吉野は迷った時にはいつだって、大して考えもせずに正しい方を選ぶんだ。理由を訊いたら、こっちの式の方が綺麗だから、っていう。

 それを、数学的なセンス、っていうんだよ……。自分がその才能を持ち合わせていないことを、どれほど残念に思ったことか……。

 吉野は、自分は考えない、たんに計算するだけだって言うけれど。

 数学と計算は違う、『杜月』に必要なのは数学で、数学に必要なのは諦めずに考え抜く根気だ、と吉野が言ってくれたことで、僕がどれほど励まされたことか……。吉野は、知らないだろうな……。


 照れ屋の吉野にそんなことを言うと、「馬鹿だな」と逆に膨れっ面が返ってくる。だから飛鳥は、いつも笑って吉野を眺めるに留めている。吉野が自分を信じてくれている。期待してくれている。それだけで全てが報われる。




「ヨシノ~、煮しめ、温め直しているの~? いい匂いがしているよ~。食べてもいい? あ、おかえり、アスカちゃん」

 デヴィッドが匂いに釣られて二階から下りて来た。


「おい、デヴィ、俺、こんな幼稚な顔してないぞ。もっとかっこよく描けよ」

 吉野はあっけらかんと文句をつける。

「え~! アスカちゃん作ってくれたの? すごい!」

「短いけれどアニメだよ」


 飛鳥は吉野の前に置かれたパソコンに手を伸ばし、空中に浮かぶデヴィッドの描いた世界を再生してみせた。






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