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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第三章
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  秋の準備6

 今朝は珍しく父を除く全員が食卓に揃っている。いつもと違うどこか緊張した食卓の空気を訝しく思いながら、「父さん、もう出たの?」と吉野は飛鳥に声を掛けた。


「うん。九州に出張」

 飛鳥はじっとテレビ画面から目を離さずに答えた。連日繰り返される、金融危機と急激な円高、不況のニュースに、「うちは大丈夫なの?」と吉野は慎重に飛鳥の顔色を伺う。

「ガン・エデンとの契約が続いていたらやばかったかも。でも今は、大きな受注の輸出関連はコズモスだけだからね。あとは国内向けだし、為替はそこまで影響しないよ」

「なんか俺、面倒な時期に向こうに行くことになるみたいだな。イギリスはどうなの? テレビでやっているみたいに大変な感じ?」


 吉野はみんなの食事の支度を終わり、ひと息ついてテーブルにいるアルバート・マクレガーに視線を向けた。

「そうですね。震源地はアメリカですからね。そこまでひどくはないと思いますよ」

 アルバートはいつもと特に変わったようすもなく、のんびりと微笑んで答えている。



 信じらんねぇ…。こいつら揃いも揃って胡散臭い……。


 吉野は、チラリとウイリアムを視界の端で捉えた。こいつがこんな顔をしている時は、絶対何かあるはずだ。獲物を探すようなするどい視線で食い入るようにテレビを見ている。吉野も機械的に朝食を口に運びながら、視線をテレビ画面に戻した。



 アメリカのどこかの銀行が危ないらしい。倒産させないために、政府が助けるとか、他の銀行が買収するとか、色々な案が取り沙汰されている。


 ウイリアムが、ビル・ベネットに目で合図を送り席を立った。間を置いて、ビルも立ち上がり台所を出て行った。

「さて、私はそろそろ洗濯物を干してきますね」とアルバートも部屋を出る。




 無言で食べ終わった吉野は、能天気に、幸せそうに、だし巻き玉子を食べているデヴィッドに目を向けて、くしゃりと微笑んだ。


「お前、それ本当に好きだな」

「ヨシノのだし巻き最高! 毎日でも食べられるよ~!」

「アルだって綺麗に作れるようになったじゃないか」

「何か違うんだよね~。愛が足りないんだねぇ、きっと」

 人差し指を立て、気取ってうんちくを語るデヴィッドに、「お前のにはこれっぽっちの愛情も入れてないけどな」と吉野は笑って立ち上がる。



「いってきます」

「どこ行くの?」

「スイミング。大会が終わったから、午前中はプールだよ。知らなかったの? あ、そうか、いつも寝てるもんな、この時間は」

 吉野の軽い嫌味などものともせず、デヴィッドは目を見開いてヘーゼルの瞳を生き生きと輝かしている。


「僕も行っていい?」

「駄目、お前に気を使ってやる暇ないもん。でも、後で神社に挨拶に行くからそっちは連れて行ってやるよ」

「え~! 僕も泳ぎたい!」

「クラブだから一般人は入れないよ。別のところを教えてやるから」

 デヴィッドは不満そうに口を尖らせ、渋々呟いた。

「何時に帰って来る?」

「十時すぎ。じゃ、いってきます」




 吉野が立ち去って玄関の戸が閉められるのを確認してから、それまで何か言いたげな顔をしながら口を挟まなかった飛鳥が、まだ玄関を気にしながら声を低めてデヴィッドを叱った。


「デイヴ、我儘言っちゃ駄目だよ。家にいるように言われているだろ?」

「もう、三日、四日目だよ! いつまで閉じ籠っていればいいのさ? ヨシノだって、ここにいるのあと一週間もないじゃん」

「でも……。じゃ、ビルか、アルに許可を貰って。吉野と二人で出かけるのだけは絶対に駄目だからね!」


 珍しくキッと睨むような視線を向けて、飛鳥は毅然とした口調で窘めている。デヴィッドは反抗するように唇を尖らせたが、ちょっとだけ肩を竦めて、「OK」と呟くと、目の前の朝食を片付けるために、黙々と箸を動かした。






「へぇー、こんな街中に、こんなに広い敷地を持った神社があるんですね」

 鮮やかな朱の一の鳥居の柱に撫でるように掌を当て、アルバートは、頭上を見上げたり、足元から続く参道の敷石を眺めたりと、興味深そうにきょろきょろと顔を動かしている。

 もともとは日本文化に興味があり、大学で日本学科を専攻したのだ。それなのに憧れの日本に来てしている事といえば、家と工場の往復、それから家事。詳しくなったのは商店街のお店のどこで何を買うとお得か、くらいのものだ。遊びに来ているわけではないので仕方ないと言えなくもないが、初めて見る思い描いていた通りの日本的な風景に、アルバートの心は満足感で満たされ、笑みが自然に溢れていた。



 石造りの二の鳥居の手前で、吉野は立ち止まり一礼する。そして、鳥居をくぐると手水舎まで来て、「ほら、やり方見ていろよ」と柄杓を手に取って、手と口を清めてみせる。デヴィッドとアルバートは、神妙な顔をしてその通りに真似をする。


「俺、挨拶してくるから。適当にその辺にいて」

 吉野は急ぎ足で社務所に向かった。二人はちらと顔を見合わせ、暫くその場に佇んでいたが、「参拝しましょうか」とアルバートから先に歩き始めた。いつもはうるさいほど喋るデヴィッドが、押し黙ってその後に続いた。


「ここは東京とは思えないほど静かで、空気が綺麗ですね」

 デヴィッドは黙ったまま頷き、アルバートと並んでゆっくりと参道から拝殿に向かった。傍らのそびえ立つような御神木の前でふと立ち止まり、空を仰ぐ。光を透かすように輝く豊かな緑のはるか向こうに、吸い込まれそうな青空が広がっている。


「伏せて」

 言うよりも速くアルバートはデヴィッドの背中に手を回し、腕を掴むと引き倒すように身を屈めていた。


 パシュ!


 デヴィッドを抱え、地を蹴り、御神木の陰に回る。


 パシュ、パシュ!


 サイレンサー付きの鈍い銃声が耳元をかすめる。




「何やって、」

 背後から口を塞ぎ羽交い絞めにした吉野の耳元で、ビル・ベネットは、「静かに」と一言囁いてから口許を覆う力を緩めた。

「な、」

 大声を上げようとする吉野の口をビルはもう一度塞ぎ、「ヨシノ、黙って」と今度は手を外さずに囁いた。



 驚愕する吉野の視線の先では、綺麗に刈られた植え込みの陰からウィリアムがクロスボウに二本目の矢を番えている。


 ひゅん――、と空を切る音と共に、「ぎゃ!」と男の叫び声が上がった。



 一瞬の後、スーツ姿のボディーガード風の集団が、四、五人バラバラと四方から集まり拝殿の陰に向かうと、手頸を押さえて顔を歪ませている西洋人を二人、引きずるようにして引っ立てていった。


 ビルは、今度こそ吉野を押さえつけていた手を緩めて、片耳に取りつけていたイヤホンを外し、ほっと息を吐きつつ御神木に駆け寄った。彼と入れ違いにアルバートが未だ周囲を慎重に伺いながら姿を見せた。ボディーガードの中の、責任者らしい男と並び何やら話始めている。



 その様子に気を取られていた吉野の横に、いつの間にかウィリアムが立っていた。

 吉野は眉根を寄せ、その手に握られた、ライフル銃にも似た大型のクロスボウに目を遣り、不愉快そうに視線を上げて睨めつけた。


「神聖な境内を血で汚すなよ」

 ウィリアムは、意外そうに目を大きく見開くと、「それは申し訳ありませんでした」とまるで悪びれた様子もなく、極上の笑みで謝った。




「もうこれ脱いでもいい~。暑くてたまんないよ~!」

 御神木の陰から出て来たデヴィッドが、ジャケットの前をパタパタとバタつかせて扇いでいる。

「家に戻るまで我慢して下さい」

 ポケットから扇子を取り出し、ビルはデヴィッドに風を送ってやった。


 吉野はデヴィッドに歩み寄ると、「どういう事かちゃんと説明しろよ」と苦虫を潰したような顔で、相変わらず能天気そうな彼の面を睨みつけていた。







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