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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第三章
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  秋の準備5

「ただいま」

 吉野が居間に入ると、座卓の前に胡坐をかいて難しい顔をしていた飛鳥は顔を上げ、ちらりと時計を見て、「遅いよ、吉野」と軽く叱った。もうすでに夜十一時を回っている。


「ごめん。飛鳥は今日は早いんだな」

 座卓を挟んで腰を下ろし、吉野は卓上に散らばっている図面と数字の書き殴られた用紙を一枚ずつ手に取って視線を落とす。


「えらく手間取っているな。画面サイズを小さくするだけだろ?」

「まぁ、そうなんだけれどね……。このサイズになると、投影スクリーンの拡大倍率が五、六倍になって、今ある杜月のガラスじゃ全然対応できないんだよ。二倍でなんとか、三倍でさえ、ぼんやりで使えなかったからね」

「サイズを小さくするっていうよりも、倍率を上げろっていうこと? それも工場生産用で?」

 飛鳥は頷いて、ため息をつきながら、「ガラス製法を根本から組み直さないと……」と畳の上の転がっていた白いプラスチックボトルに手を伸ばし蓋を開ける。吉野は黙ったまま腕を伸ばし、さっ、と取り上げて中を覗き込むと、舌打ちして眉根を寄せた。

「あー、もうこんなに減っている。俺がいる時くらいこいつに頼るなよ」

 叱るように顎を突き出している。だがすぐにニヤッと笑みを作って、取り繕うように言い足した。

「何でも作るからさ」


「お腹空いてないよ……」

 ごろんと畳に寝ころがり、飛鳥はぼんやりと天井を眺めて呟いた。


「シューニヤなら、こんなの簡単にできてしまうのかなぁ……」

「シューニヤって、あのシューニヤ? 数学の?」

 不思議そうな顔をして訊き返す吉野に、「うん。あれ? 言っていなかったっけ? コズモスのCEOはシューニヤなんだよ」

「すごい偶然だな」

「偶然なのかなぁ……」


 飛鳥は身体を起こして机上に肘をついて額をのせ、何とも言えない嬉しそうな笑顔を見せた。


「シューニヤが僕たちを助けてくれたような気がするよ」

 吉野はそんな兄を、やっと腑に落ちた、といった様子で眺めている。

「だからコズモスに買収されても平気だったんだな。大好きなシューニヤだもんな」


 数年前の数学サイトの件を思い出し、吉野は、からかうように笑った。




 ガン・エデン社の厳しい要求に答える為に工場を手伝い、遊ぶことすらできなかった飛鳥の唯一の楽しみが、そのサイトのシューニヤの書き込みを見ることだった。

 他の会員の出した難問を即解するシューニヤの神業を、何度も興奮した面持ちで話してくれた。

 そして、シューニヤの出した誰にも解けなかった問題を、飛鳥と祖父ちゃんで解いたんだ。

 それまで誰からのコメントも一切無視していたシューニヤが、初めて返事をくれた、って喜んでいたっけ。


 そうだ、エリオットに留学しろって、初めに言い出したのはこいつだったはず……。




 吉野の顔から、笑いが消えた。

「偶然にしては出来過ぎているな……」

「そうだね。でもね、僕は常々思うんだけれどね、」

 飛鳥は夢を見ているような淡い視線で、遠くを見るように目を細めた。

「この地球に何億の人がいようと、時代を動かし、人の人生を変える程に影響を与えるような本当の天才は、きっと僅かなんだよ。シューニヤは、まぎれもなくその一人なんだ。だから、僕の運命が彼女によって動かされていたとしても、ちっとも不思議に思わないよ。彼女を知ることができただけで、生まれて来て良かったって思っているしね」

「彼女?」

「そうらしいよ。ヘンリーの恋人なんだ。恐らくだけどね。ヘンリーはシューニヤのこと、サラって呼んでいたよ」


 飛鳥は少し淋しそうに微笑んで、この話を打ち切るように話を変えた。


「なんだか、吉野のだし巻きが食べたくなったよ」




「ヨシノ~、帰っていたんだ? いい匂いがするよ~。だし巻き玉子? 僕も頂戴」

 美味しそうな臭いに釣られて、デヴィッドが二階から下りて来て暖簾の間から顔を出す。


「お前の分はない!」

「え~! せっかくお土産買って来てあげたのにさ!」

「デイブ、僕と分けて食べようよ」

 飛鳥がいつものように口を挟み、居間から呼びかける。

「ありがとう、アスカちゃん!」

 デヴィッドはすぐに顔を引っ込めて、うきうきと居間に移動した。




「何、これ?」

 卓上に所狭しと置かれた、色取り取りの細かな模様の入った木製の小箱を見据えて、吉野は呆気に取られて立ち尽くしている。


「からくり箱だよ。知らないの?」

「いや、それは判るけれど、なんだよこの数! お前、これいくつ買ったの?」

「全種類一個づづだから、大したことないよ~。これだけだし」


 ざっと四十個以上はある小箱を吉野は眉を寄せて一瞥し、澄まして答えるデヴィッドに怪訝そうに訊ねた。


「こんなもの、どうするの?」

「お土産。ヨシノ、開けられるか試してみてよ」

「一番難しいのどれ? 面倒だから一個だけな」

 長皿にのせただし巻き玉子を飛鳥の前に置くと、ため息混じりに応じて腰を下ろした。



 一番大きい二十センチ程のえんじ色の紗綾型(さやがた)模様の箱を吉野に手渡すと、「いただきま~す」とデヴィッドは早速手を合わせて箸を持っている。

 一つ食べ終わって、「やっぱり出来立てが一番だね」と吉野に視線を向けたのと同時に、「ほら」、吉野は蓋の開いたからくり箱をデヴィッドの前に置く。


「もう、開いちゃったの? アスカちゃんより早いじゃん」

「吉野ならもうこれの展開図だって描けるよ」

「へえ~」


 感心しながら口をもごもごと動かしているデヴィッドを尻目に、飛鳥は手に持った寄木細工の木箱をじっと見つめている。

「この細工の模様、面白いね」

 傍に置かれただし巻きのことなど、もう眼中にはないかのように、下を向いて木箱を凝視している。


「吉野、プレプレートをこんなふうに互い違いに組んでいったら、粒子の密度と配列はどうなる?」



 だが暫く待っても返事がない。飛鳥は訝し気に顔を上げた。


「吉野?」

 吉野は苦笑いして、飛鳥の箸を木箱の上に置いて言った。


「食ったら答えてやる」






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