春の墓廟2
キッチン・ガーデンを抜け、コロラド・スプルースに挟まれたうねうねとした小道を上って行く。サラは先ほどまでよりもずっと楽に、足取りも軽く歩けている自分に気が付いた。
ヘンリーが、歩調を緩めサラに合わせて横を歩いてくれている。
そして、自分がいない間の日常のことや、今、興味を持っていること、困っていること、いろんなことを聞いてくれる。ちゃんと、サラのことを見ていてくれている。先ほどとは打って変わって、サラは喋り続けていた。
「心配しないで。私、友達だっているのよ」
サラは、頬を紅潮させ、息を弾ませながら言った。
「インターネット上の友達は、友達とは言えないよ。本当のサラを知らないんだから。
サラの友達じゃなくて、“シューニヤ”のファンだろ」
「そうだけど、いいじゃない」
口を尖らせてふくれっ面をするサラ。
ヘンリーはそんな義妹のお喋りを、にこにこと楽しそうに聞いている。
サラは、いろんなネットコミュニティに登録しているらしく、難解な数学の問題を自作し解き合うコミュニティでは、ハンドルネーム“シューニヤ”は、一目置かれる存在らしい。
当然だ。サラなんだから。
サラの頭脳がいかに優秀か、一番分かっているのは自分だと、ヘンリーは自負している。あれほど苦手だった数学も、サラの手ほどきで克服できた。パブリックスクールの中でも、最難関のエリオット校の入学試験も、サラの作ってくれた予想問題のおかげで、難なくパスできた。それだけじゃない。奨学生の試験にまで合格するというおまけ付きだ。教師が優秀だとこうも変われるものなのか? まさに奇跡の具現化を我が身で体験した気分だった。
今だって、定期テストの予想問題を……。
「そうだ、サラ。賭けの対価を今貰ってもいいかい?」
「何? また、テスト問題の予想?」
「そうじゃなくて、今から話すことに絶対に怒らないって約束して」
「怒るようなことなの?」
「たぶん」
サラは不安げにヘンリーを見つめている。
「わたし、ヘンリーが何をしても怒らないと思うわ」
「本当に?」ヘンリーは、少し間をおいてから、言葉を選ぶように話を続けた。
「幼馴染に、入学試験で数学が危ないやつがいて、その……、サラが作ってくれた予想問題を、」
「あげたの? その彼に」
「売ったんだ。五十ポンドで」
「それで?」
「それで、そいつがまた別のやつに売って、あっと言う間に寮のみんなが手にしていた。おかげで、全員合格! 先生もびっくりさ!」
「よかったじゃない。わたし、そんなことで怒ったりしないわ」
サラは、ほっとして笑った。
「いや、サラが僕の為に作ってくれたものを、友達に売りつけるなんて、紳士じゃない、ってサラに嫌われるんじゃないかと思ったよ」
「ヘンリーなら、いいの」
サラは甘えるようにヘンリーの腕に抱き着いた。
「ヘンリーは、いくらでもわたしを利用していいの」
サラは、ヘンリーを見つめて言葉を続けた。
「だって、ヘンリーのおかげで、わたしはここで、こんなにも自由でいられるもの」
「利用なんて心外だな。確かに僕はサラに甘えて頼ってばかりだけど……。あ、ここで曲がるんだよ」
ヘンリーはサラの手を引くと、林の中に分け入って、薄っすらと残る獣道を進んで行く。
「確かに、僕はサラに甘えているけど……」
ヘンリーは、続きを言葉にはのせず、自分の胸の内に呑み込んだ。
そのかわり僕は、その神様が与えてくれた頭脳を、好奇心を、誰にも邪魔されずに満たしていけるように、サラを守るから。絶対に。
「足元に気を付けて。もうすぐだよ」
「ヘンリーとわたしの時間知覚はかなり違うみたい。基礎刺激の量が同じでも、体格も体力も劣っているわたしの知覚する時間は、ずっと長くなる」
サラは、早口に独り言のように呟いた。
「また、難しいことを言っているね、サラ。今度のは、何理論? ほら、もうそこだよ」
薄靄の中に浮かぶように佇んでいるシルバー・ブルーの木々の間をすり抜けるように進んで行くと、目の前に緑の蔦のカーテンが現れた。いや、正しくは、びっしりと隠されるように蔦に覆われた壁面だ。
「お疲れさま」
ヘンリーは、優しくサラの頭を撫でて言った。




