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胡桃の中の蜃気楼  作者: 萩尾雅縁
第二章
115/805

  進路5

 白いボウタイを結び、髪を撫でつける。今日はいつもの制服ではなく、特別の日のための燕尾服だ。

 黒のテールコートに、黒のウエストコート、グレーのピンストライプのトラウザーズ。

 鏡の中の自分を見て、杜月飛鳥は苦笑してため息をついた。


 何度鏡を覗き込んでも、僕だけ七五三みたいだ……、と。



 飛鳥が汚れた制服の替わりを仕立てて貰い受け取りに行くと、一緒にこの燕尾服も仕立てられていた。


 ヘンリーに文句を言った。

 『さすがに僕も燕尾服の仕立て直しは出来ないよ。身体に合っていないと不格好だろ? きみは留学生だから寮監からもいろいろ教えてあげるように言われているんだ。特許代の上乗せってことでいいじゃないか』

 困ったように苦笑され、返す言葉が無かった。


 ――きみがそんなだと、同室の僕が恥をかく。


 と、暗に言われたようで、無性に情けなかった。


 なんだって、彼に、あれもこれも面倒見て貰わなきやいけないんだ! と、あの頃の飛鳥の胸の内は、ヘンリーへの八つ当たりめいた気持ちで一杯だった。




「準備はできた?」

 ノックの音と共に、とっくに着替えて先生方との最終打ち合わせを行っていたヘンリーが戻って来た。


 燕尾服っていう奴は、彼みたいな英国紳士を一番美しく装うための服装だよ――。


 同じカレッジ・スカラーの中でも芸術面に秀でたヘンリーは、グレーのウエストコートだ。その中央には最優秀スカラーの証の銀ボタンが並んでいる。細身のすらりとした長身に、優雅な身のこなし。貴族の令息らしい品位。


 飛鳥は改めて、ヘンリーに初めて会った日のことを思い出していた。エリオットでも、ウイスタンで再会した時も、今と同じように、一瞬、何もかも忘れて見とれていた。



 ヘンリーは飛鳥の表情に釣られて、同じように華やかな笑みを零した。

「何を笑っているんだい?」

「いろいろ思い出していたんだ。ここに来た頃は、こんな風にきみと仲良くなれるなんて思ってもみなかったな、って。それにこの学校も、こんなに好きになるとは思っていなかった」

「来て良かった?」

 飛鳥は感慨深そうな表情で頷いた。


「そう、良かった。これからもずっと、きみが僕の国を好きでいてくれるといいな」

「先のことは判らないけれど、ここでの一年間は僕の人生の中でもすごく大切で、貴重な、宝物のような思い出になると思うよ。


 Veri amici rari. (真の友はまれである)

 Amor enim,ex quo amicitia nominata est, princeps est ad benevolentiam conjungendam.  (友情という言葉の元にはまず愛があり、それが好意を結び合わせる)


 “損得勘定抜きに互いを敬愛することから、友情は生まれる”

 きみが僕に教えてくれたんだ。ありがとう、ヘンリー。ここに来て、きみに出会えて良かった」


 飛鳥が大の苦手な悪戦苦闘していたラテン語で、キケロの『友情について』を引用したので、


 負けず嫌いめ……。


 と、ヘンリーは思わず笑ってしまいそうになった。でも、それでは余りにも彼に失礼だ。ぐっと押し堪えて、ヘンリーも同じキケロから引用して返した。


「お礼を言うのは僕の方だよ。きみが、“simulatione amicitiae(友達のフリ)”しなかったから……。In amicitia nihil fictum est, nihil simulatum.(友情には、偽りも、見せ掛けもない)。僕も、きみを信頼しているよ」


 ヘンリーは飛鳥に右手を差し出して握手すると、軽くハグして言った。


「卒業おめでとう、アスカ」




 夕方とはいえ未だ日の高い午後六時前に、卒業生の保護者を招待したレセプションが行われた。涼やかな風の通り抜ける小川の辺の芝地には、大きな真っ白のテントが張られ、祝杯のシャンパンが配られる。


 歓談の後、卒業生と教師はカレッジ・ホールへと集まり、セレモニーが行われた。年間を通じて活躍した生徒への賞の授与式だ。そして校歌斉唱。


 学舎の中には入れない保護者たちは、カレッジ・ホールに続く、狭く、長い階段の入り口に面した中庭に集まり、そこから響いてくるウイスタンでの日々を完結するための歌声に耳を澄ませる。

 曲が終わると同時に、拍手と、雄叫びにも似た歓声が、階下に響き渡る。


 そしてこの後、卒業生と校長、教師陣との最後の晩餐会が開かれる。それがここウイスタンでの、彼らの最後の行事となる。


 晩餐会は、ゆっくりと傾いていく陽光で紅に染まっていく空を眺めながら催され、彼らの学校生活は、日没と共に終わりを告げた。






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