魔法使い前史前史
壁の時計が零時を告げ、私は全裸で正座している。無慈悲に打たれる鐘の音に私は敗北を悟った。三十分の苦闘は徒労と果てた。我が眼光は以て時を止めるに及ばず、私は一つ歳をとった。二十九歳、呼んでもいない現実が私の前に厚かましく腰を据えた。
のそのそと布団へ潜り込む、そのまま不貞腐れていようと思ったが、暑さに耐え切れずすぐに掛け布団を投げやった。全身から放たれ続けた気迫は、時を止める代わりに室温を遠慮なく上げたらしい。夏だというのに窓に結露が出来ている。
「チクショウめ」
丸くなったまま呟く。窓を開けようかとも思ったが、裏の焼肉屋の事を思って止めた。この数日ロクに物を食べていない。この上部屋に焼けた肉の香りなど充満させては人死にが出かねない。
「チクショウめ」
同じ呟きが口をつく。まったく面白くない。私ばかりがこんな思いをして良いものか。機会平等の原則は何処にか。夜があけたら哀川の家へ押しかけてやろう。あいつの事だ、日が登り切るまでは寝ているだろう。鼻っ柱に特大のロウソクを立ててやろうか。クラッカーの百本も束ねて一斉に鳴らした方が面白いかもしれない。十年来の悪友のマヌケ面を妄想する内気も幾らか晴れた。投げ捨てた布団を腹までかけると私は健やかな眠りについた。