Blau Meer
「ぐぁ」
目が覚めると同時、あたしは思わずうめき声を上げた。
――寝過ごした。
すでに電車は見知らぬ風景の中を快走中。
鞄から携帯電話を取り出す。
液晶画面に表示された時計は午前十時三十分過ぎを指していた。
遅刻遅刻。ていうか今から戻っても間に合いませんな。
電車の中にはほとんど乗客はいない。
夏休みに入って二日目。世の学生諸君は一学期の疲れを癒し、遊びに行く気力を溜め始める頃だ。
そんな中、なにが悲しゅーて補習なんぞに出なアカンのさ。
――はい。自業自得でござんす。へへぇ。
それにしたって初っ端からサボりってのはあまり良ろしくない。
なんとか言い訳をでっち上げて……。
と。
ふと、窓の外に目が行く。
ちょうど線路の横に並んでいた並木が途切れた所だ。
そこに広がっていたのは、空の蒼と、そしてもう一つ、それよりさらに深い蒼。
海だ。
深く澄んだ蒼い海が広がっていた。
「うわ……」
――こんな奇麗な海がこんな近くにあったんだ……。
テレビや雑誌でしか見たことのない南の島の海。そんなカンジだ。
なんとなく、もっと近くで見てみたくなった。
「……どーせ間に合わないし」
次の駅で下車することにした。
駅は小さな無人駅。
場所は海沿いに走っていた線路がちょいと内陸に入ったあたり。ここから海は見えない。
車掌に乗り越し料金を支払い、外に出て、なんとなくこっちが海かなー、ってカンジの方角に向かって歩く歩く。
周りには家の一軒もない田舎道。
舗装もされてない道を歩くなんてずいぶん久しぶり。
ま、それはいいんだけど、
「暑い……死む……」
太陽に恨みを買った覚えは無い。
なのに、なんでそんな親の敵でも相手にするみたいにガンガン照り付けるかねアンタは。
わー。しかもいきなり下り坂。
靴がローファーとかじゃなくてスニーカーで良かったわよ。あと鞄の中も教科書が数冊入ってるだけだし。不幸中の幸いってカンジ。
けど、ついでに飲み物の一つもあれば良かったんだけどなー。
いつもそーゆーのは駅を出た後のコンビニで買ってるのよ。
ウチの近くにもコンビニはあるんだけどね、少しでも荷物になるのがイヤで。
いつも買ってるコンビニならもうすぐ学校だし。
――はっ。これはまさか、そのウチの近くのコンビニの店長の呪い!?
うーむ。ありえるなー。なんかこー、呪いとかかけそうな顔してるし。ヒゲとか。
うん、ヒゲがあまり良くない。
でも、ヒゲがあるヒトがいきなり剃って来ても違和感あるしなー。
ヒゲ無しアンディ・フグは結局最後まで慣れなかった。
…………。
むー、なんか思考が暴走してるなー。
こりゃそろそろお迎えも近いのかしら。
ってか、いよいよダメ? 行き倒れ? エンド・オブ・人生?
「ああ、こんな名も知らない田舎道で(確認しとけよ)誰にも知られずに死んで行くのね。さよなら皆。そーいえば借りた本そのまんま。まぁいいか。貸した CDもそのまんま。許すまじ」
などと意味不明な呟きと共に、それこそホンキで倒れてやろうかと思ったとき。
坂の向こうにジュースの自動販売機が見えた。
「ああっ、カミサマありがとー。これからはちゃんとお盆にお墓参りに行きますっ」
え、なんか違う? まぁドンマイドンマイ。
なんとか辿り着くと、硬貨を投入、ボタンを打撃(やめれ。
スポーツ飲料五百ミリリットルをいっき飲みという偉業を成しとげ、ようやく一息つく。
「ふー、生き返ったー。――って、何こんなトコで行き倒れそうになってんのよあたし」
微妙に冷静になってみたり。
えーと。……あ、そうだ。海海。
「こっちで良いのかな、っと」
周りを見渡す。
それほど方向オンチってワケじゃない(と思う)けどさほど自信があるワケでもなし。
うーむ。やっぱ帰っちゃおっかなー。
――と。
「暑い……死む……」
背後から、声。
見ると、小学生ぐらいの男のコがふらふらと歩いてくる所だった。
そのままあたしの――というよりも自動販売機の近くまでやってきて、倒れる。
「ばたん」
擬音付き。
「…………」
「…………」
「あー……」
「…………」
「……大丈夫?」
「いぇーい」
声をかけると、なぜかおざなりなピースサインが返ってきた。
「いや、『いぇーい』じゃなくて」
「んーと、割とダメ。死にそう。というワケでおネーちゃん何かおごって」
「なんで」
「死にそうだから」
「知らないわよ」
うーん。なんか冷静に見ると、あたしってめちゃめちゃ冷たいヤツねー。まぁ、暑さで思考が停止してたっつーことで一つ。
しばしの沈黙の後、少年が再び口を開いた。
「ああ、こんな名も知らない田舎道で誰にも知られずに一人朽ち果てて行くんだ。みんなさようなら。ていうか地元民だけど」
どっかで聞いたセリフ。
「あーもう、わかったわよ」と、あたしは硬貨を投入口に放り込み、「どれがいいの? とっとと選びなさい」
「おネーちゃんありがとー♪」
「いぃえぇー♪」
にっこりと微笑みを返しつつ、少年が抱えた一・五リットルペットボトル入りの烏龍茶に誓う。もう二度とこーゆ状況で五百円玉は使わない。
ってかなんで自動販売機でペットボトルなんか売るのよ。缶だけで良いじゃない。
あれから、少年の案内でなんとか海についた。
周りには誰もいない、どこまでも広がる白い砂浜。
「ふー」
風が心地良い。
することも無いので少年と雑談とかしてみたり。
「アンタ、小学生? 夏休み?」
「うん。おネーちゃんは?」
「高校二年。ウチも一応夏休みなんだけどね」
「制服じゃん」
「補習よ、補習」
「ホシュー?」
「んー、まぁいろいろあるのよ。コーコーセーにもなると」
「おネーちゃん、それおもいっきりオバサンのセリフ」
「うっさい」
そのまま、まぁいろいろとあたしのガッコのこととか少年の友達の話とかいろいろ。
いや、だからそんなゲームのハナシされてもわかんないから。
なんでそんなにキャラクターの名前を暗唱できるのアンタは。
――って、あたしも似たようなモンだったかなー。
昔流行ったわよね、シールのオマケ付きの三十円ぐらいのチョコレート菓子。
アレを集めるのが好きで、男のコに混じってダブったシールを交換したり。
あの頃はあたしもほとんどのキャラの名前覚えてたなー。
今じゃお気に入りだったいくつかのキャラしか出てこないけど。
……うーん、なんかホントにオバサンはってるぞオイ(死。
あたしが想い出モードに入ると、少年はつまらなくなったのか、波打ち際の方へ行って一人で遊び始めた。
あー、そーいえばあの頃のコトなんてここんとこ全然思い出してなかったなー。
なんかチーム組んでたわね。名前は忘れちゃったけど。それとも付けてなかったっけ?
いつも一緒に遊んで、秘密基地とか作ったり、お互いにお誕生日会に呼んだり。
その頃住んでた団地の友達同士。ほとんど男のコで、女のコはあたしともう一人だけ。
そのコはどっちかっていうとあたしに引きずられて仲間入りしたみたいなカンジで。
今なにしてるのかなー。
去年、年賀状が来たっけ。交換留学とやらで米国行ったとかなんとか。スゴいねホント。アタマ良かったもんねー。
会いたいなー。他のコたちにも。えーと……。うわ、名前出てこねェ。
――と。
「ひゃっ」
冷。
水。
顔に。
潮の味。
いつの間にか海の水をすくって近くまでやってきた少年が、あたしの顔にかけたのだ。
作戦を成し遂げた攻撃機はすぐさま戦線離脱。
再び波打ち際まで戻り、
「いぇーい」
おざなりなピースサイン。
あたしはしばし呆然とした後、
「……ふっ」
小さく笑みをもらすと、やおら立ち上がり、靴と靴下を脱ぐ。
そして
「おらァ~~~~~ッ!!」
いっきに突撃。
小学校の頃、男のコたちと一緒に毎日サッカー三昧だったあたしが蹴り上げた水が少年を襲った。
これでもかってぐらいビショ濡れだった服も、しばらく歩いていたら風と太陽のおかげですっかり乾いた。はやめに洗濯しないと潮でごわごわになりそうだけど、まぁとりあえず電車には乗れる。やっぱり太陽は味方だったらしい。
この辺りに一軒だというラーメン屋で少年と昼食を済ませ、その後あちこちをふらふらと散策。頼むから近道だとか言って私有地に入るのはやめなさい。
とかなんとかやっているうちにだんだん陽も傾き始めた。
じゃぁそろそろ帰ろーかな、ということで少年の案内で駅まで歩く(案内が無かったら今日中に辿り着けたかどーか)。
「いやー、なんか充実した一日だったなー、ってこれでいいのか自分」
「あははは」
駅に着くと、ちょうど電車が停まっていたが、反対側から来る電車を待ってそれと連結してから発車するとのこと。
というワケで、ホームに立った少年と窓越しにまだしばらく雑談タイム。
今日一日で覚えた、少年が話していたゲームのキャラ名の暗唱テスト。
っても名前しかわからないからいまいちイメージがつかみにくい。今度探してみよかな。
しばらくして反対側から電車がやってきて、連結作業開始。
それもすぐに完了し、やがて駅員が発車を告げる。
「じゃ、おネーちゃん。またね」
「ん。またね」
軽く手を振って別れる。
と、重要なことに気付いた。
「あ……そーいえばアンタの名前聞いてな……」
言いかけた頃にはもう間に合わない。見る間にホームが遠ざかる。
そういえば駅の名前も確認してない……気が……。
まぁ、いー……か……。
…………。
ぐー(眠。
目が覚めたのはちょうど自宅の近くの駅だった。慌てて下車。
雑踏の中、車のクラクションや辺りの店から流れてくる音楽を聴きながら歩いていると、昼間の出来事の印象が妙に薄くなる。まるで夢でも見ていたようなカンジだ。
「…………」
自分の服に触れてみる。ごわごわとした感触は、間違いなくあの海のものだ。
「うーん……」
家に帰って路線図とこの辺りの地図を眺めてみたが、やはりというかなんというか、海岸の近くにそれらしい駅は見当たらなかった。
家族に聞いても、この近くにそんな奇麗な海は無いという。
というか、よく考えたらこの時期ほとんどの海岸は海水浴客でいっぱいだろうし。
さてさて。じゃぁアレはいったいなんだったんだろうか。
数日後、なんとなく例の交換留学とやらで米国へ行っていた女のコに連絡をとって昔話に華など咲かせていると、また皆で集まりたいねという話になった。
その頃の仲間の何人かには連絡がつくということで、彼らに聞けば他の皆も集められるかも知れない。
あの日の出来事は、結局自分の中で『そーゆーモンだ』ということで置いておくことにした。それが一番正解な気がしたから。
唯一の証拠である海水が染み込んだ服も、そのままにしておくワケにはいかなので当然洗った。やがて記憶も薄れていって、きれいに消えてしまうだろう。
でも、あの日の出来事をきっかけとして訪れた小さな変化は多分ずっと残る。
というか、物事ってのはなんでもいつかは変化するもので、どんな小さな変化にもやっぱりきっかけってものはあって。
ま、そーゆーモンかな、って。
(了)
十三年ぐらい昔に書いたものです。アンディ・フグが亡くなってからまだ一年も経ってない頃ですね。括弧付きで自己ツッコミしてたりとか〝蒼〟って字を使いたがったりとか今読み返すとちょっと「うへぇ」ってなりますがこれもまた紛れもなく自分の足跡ということでひとつ。〝黒歴史〟って言葉は嫌いです。