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雨がその勢いを増していた。
鈍色の雲の向う側にいた太陽は姿を現さないままとっくに沈み暗闇が街を覆っている。
多芸無芸の詰所でパルは一人で物思いにふけっていた。
机にずっと突っ伏している。もう数時間は経過しただろうか。
すっかり暗くなってしまったが明りを灯すのも億劫だった。
「はあ」
もう何度目かもわからないが、口からは飽きずにため息が出てくる。
「なにこれ! 暗いわね~」
そこへ時間帯とも天候ともその場の空気とも不釣り合いな明るく呑気な声が聞こえた。
パルはビクリと顔を上げ、入ってきた人物を見て驚いた。
「フローラさん?」
「もう、居るんなら明るくしておいてよ! 帰る家が暗いままっていうのはキちゃうんだからね、心に!」
ナリアとはまた種類が違うそのかしましさにパルはかえってほっとした。
「そうですか、それは大変ですね」
信頼する人の明るい声を聴いただけで安心してしまう。自分はこんなに単純でいいのか。そう思いながらパルは部屋の明かりをつけて回るフローラに声をかけた。
「あれ? 今、聞こえたわ。私を心底から嘲り笑うあなた心の声が!」
「被害妄想です!」
難しいお年頃の方に特有の! と本来なら続くがそこは言葉にしなかった。
何といっても命にかかわる問題である。
「いいわ。ここは暖かい晩ごはんで手を打ちましょう!」
「なんて無茶な取引! って、食べてないんですか?」
「そうなの~! 今の今まで現場の調査ってわけ! もうお腹ぺこぺこ~」
フローラは大仰な仕草でお腹の辺りをさすっている。
こういう年の割に(言ったら命が危ない)幼い言動からは全く信じられないが、彼女も元オプティムス、したがって極めて優秀な能力者の一人である。
オプティムスとは魔王討伐のために無の荒野の最深部目指してこの国から旅立った特に優秀なフォルトゥナの一団のことを言う。パルの姉、コートニー=リミットエンドもその一人だったのだ。
もっとも、フローラは旅先でオプティムスに参加したらしく、彼女はこの国の出身ではない。
戦後、彼女はこの国にやってきた。現在はこの国が正式に召し抱えている唯一の能力者としてその力を国のために振るっている。今日もその関係でこうして遅くまで昼間の事件の調査にあたっていたのだろう。
彼女がこの国にやってきた理由は、戦友であったコートニー=リミットエンドの死の事実を残された家族であるパルへ伝えるためと聞いている。
その知らせを聞いたときの気持ちをパルはいまだに忘れることができない。
足元から世界が崩れていくような喪失感。
ナリアの励ましもフローラの鼓吹も届かずに一人で殻の中に閉じこもる日々が続いた。
そんな彼を再び立ち上がらせてくれたのは姉の言葉だった。
『皆を笑顔に』
彼女はそう言って旅立ち、力の限り戦い、そして力尽きた。
今のこの世界はその戦いの賜物だ。
自分くらいはそう思っても罰が当たることはあるまい。
姉が命がけでつないだこの世界でそのたった一人の家族である自分が泣き暮らしている。そんなことを姉が望んでいるわけはなかった。
そう思ったパルは心に誓ったのだ。
姉が守ったこの世界で、自分も姉と同じものを守るために戦おうと。
そしてすぐさまパルはフローラに弟子入りを志願した。
最初は戸惑っていた様子のフローラだったがパルの熱意に最終的には応じてくれた。
以後、フローラはパルとナリアの良き姉代わりとして共に暮らし二人の面倒を見てくれている。多芸無芸にも一応籍を置いており、国の役目の傍ら、時間が開いたときにはその仕事を手伝ったりもしてくれる。
そういうことを思い返せば、晩ごはんの支度くらいは何でもない。
「あの、俺たちも仕事の途中で。大したものはないんですけど」
パルはそう断りを入れた。
ここ数日は孤児院に泊まり込みだったので、こちらには食料の蓄えがあまりない。
今日の一件で嫌がらせの犯人と思われたあの男が拘束されたため、依頼は一旦完了しパルは帰宅してきていた。
ナリアは孤児院が気に入ったのか今夜は残ることにしたようだ。
彼女なりに気を利かせたくれたのだろう。今日は一人になれる時間を持てるのがありがたかった。
「いいわよ~。自分で作らない、ってところが大事なの!」
「わかりました。じゃあ簡単なものを用意しますんで」
「ありがと! 私はちょっと着替えてくるわね」
「はい。できたら呼びますから」
フローラはそういうと自室のある二階へと上がっていった。
パルはそれを見送ると晩ごはんの支度にとりかかった。
「はあ~、生き返ったわ~!」
「ご粗末さまでした」
パルは料理が得意というわけではない。
しかし、同居人であるナリアもフローラも彼以上に料理が不得意なので多芸無芸の食事は彼が準備することが多い。最近はようやく最低限のことができるようになってきたところだ。
「あの、フローラさん。訊いてもいいですか?」
食後のお茶を出しながらパルが尋ねる。
「ありがと。何?」
「えっと、その」
「今日の一件のことかしら?」
「はい。その、ウチの仕事にも関わることですから」
「そうね。貴方たちがソラと知り合いになっていたとは思わなかったわ」
「あの、ナリアがたまたま孤児院のラッセルさんと知り合いだったみたいで」
「そうなのねぇ。ソラとは上手くいってる?」
「ナリアは。俺は、その、あんまり」
「そうなの。あの娘も色々あって素直じゃなくなってるのよ。本当は優しい娘だから、守ってあげるのよ?」
「はい」
パルはしっかりと頷いた。
「それで、その後の調査で何かわかったんですか?」
「いえ。収穫と呼べるものは何もなかったわ。残念だけど」
フローラは苦々しい表情でお茶に口をつけた。
「何も、ですか?」
「うん、何も。怪物は文字通り煙のように消えてしまって遺留物は何もなし。ソラが見たという黒い石も現場からは見つからなかった」
「あれって、魔獣じゃないんですか?」
魔王と人間の戦いは主に大陸の中部から北側で行われていた。魔王軍が大陸北端から南進してきたためである。
大陸の南端にあるといってよいグラスクラグはそれゆえ戦場になることはなかった。
今回の一件がこの国が初めて体験した未知なるものとの戦いである。
パルも魔獣というものを直接見たことはなかった。
「違うわ」
フローラは首を振る。
「魔獣といっても生き物よ。あんな摩訶不思議な存在じゃないわ。死ねば死体は残る」
経験者の言葉だ。説得力が違う。
「おっさんの方からは何かわからないんですか?」
「それも難しそうなのよ」
フローラはため息をつく。
「何も覚えていない。というかまともに話の出来る状態じゃないの」
「そうなんですか?」
「ええ。何を尋ねても全く反応しない。ただボツボツとずっと何かを呟いているだけ」
「ふうん」
男が孤児院へ送りつけた脅迫状が思い起こされた。
殺す。
壊す。
不気味で物騒なあの文面。
彼の理性はあの頃から徐々に失われつつあったのかもしれない。
「前に彼を捕まえたときの様子はどうだった?」
「う~ん。身のこなしはすごかったですけど。特に変わったところはなかったです。話だって普通にできたし。その、黒い石ですか? そういうのも身に着けてはいなかったような」
「そう」
フローラはカップを置いた。
「彼の履歴は今調査中よ。でも能力者であったと示唆する情報はまだ上がってきてない」
「じゃあ、そもそもなんで脱走なんてできたんですか? 能力者でもないのに」
「わからない。看守に話を訊いたけれど、彼らも何も見ていなかった。いきなり意識が遠くなったって」
「あいつ、今日はまともじゃなかったですよ」
「ええ。そうらしいわね」
フローラは右手で顎を抑えて思案顔を作る。
それに合わせてパルも黙って考え込む。
不可能なはずの脱走。
わずか一〇日ほどの間に起きた著しい様子の変貌。
どこからか手に入れたらしいオムニアに似た黒い石。
そしてその石を使ってあのような怪物を顕現させた。今までそんな能力はなかったのに。
「何だか――」
悪意の第三者の存在が見え隠れしているように思えて仕方がない。
「そうね。少し、きな臭くなってきたわ」
パルの言葉にフローラが続けた。
オプティムスによって魔王が倒されておよそ一年。
世界を覆っていた平穏の薄膜に小さいが確かな風穴が空けられた。
そこから吹き込む冷たい風にパルは凍えるような思いだった。
「フローラさん。あの、俺――」
「何?」
その不安にあてられたのか。
「どうして、今日ダメだったんでしょうか?」
パルはそんな情けない質問が口を素通りするのを許してしまった。
『立派な決意だったわ』
ソラの言葉は多分に皮肉めいた響きだったがパルはそのことを気にはしていなかった。
言われて当然の言葉だったからだ。
それよりもそういった後の彼女の表情が気がかりだった。はっとしたような、何かに怯えるかのような表情を作ったのだ。
「オムニアを使えなかったこと?」
「そうです」
フローラは真摯な視線でパルを見返すと、しばらく間をおいて答え始めた。
「パル。前にも教えたけれどフォルトゥナの力は心の力よ。使用者の心持ち一つで発揮できる力は大きく変わってくるし、場合によっては力そのものを使えなくなってしまうことだってある。」
「はい」
フローラがゆっくりと浸み込ませるかのように言葉を続けた。
「今回あなたが力を使えなかったのは、心が負けてしまっていたからよ。恐怖にね」
「恐怖?」
「そう。あの怪物が放つ恐怖。怪我をするかもしれない、死んでしまうかもしれない。そういう恐怖よ」
「でも」
パルは首を振る。
「俺はわかってたんです。こういうときが来るってことは。そういう覚悟だってしていたのに」
「そうね。だから力がなかったのよ。あなたのその決意や覚悟に。恐怖を跳ね除けるだけの力が」
普段のフローラとは違う、戦う者としての厳しい言葉がパルを打つ。
「パル、前に私に言ったわね? 人の笑顔のために力を使いたいって」
「はい」
「その言葉は……どこから来たの?」
「え?」
フローラの真剣な言葉と視線がパルを射抜く。
本当に大事な話をしているときにだけ見せる目だ。
今、自分は真に重要なことを尋ねられている。
それは理解できるのだが、パルにはフローラの問いの真意がよくわからなかった。
パルはすぐには答えを出せず、しばしの沈黙が部屋を支配する。
「なんて、ね」
やがてフローラは体から力を抜くと、元の朗らかな表情へと戻った。
「ま、そんなに気にしなくたって大丈夫よ。いきなり上手くなんていかないんだから。それよりもお茶をもう一杯くれない? 真面目な話をしたらが喉乾いちゃった」
「はあ」
急なテンションの変化にパルはついていけない。混乱したまま曖昧に頷いて立ち上がる。
「さっき食べた分も消費しちゃったかも?」
「それは早すぎるでしょう……」
パルの返事にもさすがにいつもの調子ではなかった。




