エピローグ
「おはようございます」
パルが頭を掻きながら一階へと降りていく。
まだ左足の怪我が治っておらずパルには意外とこの動作がめんどくさい。
多芸無芸は相変わらずの開店休業状態だ。
この良い天気がせめてもの慰めである。
「おはよ~!」
「おはよう」
下には先に起きていた職場仲間兼同居人の二人、ナリアとフローラがいた。
フローラは一足先に食事を摂り終えたところのようだ。
「どう、パル? 怪我の経過は」
心配そうにパルに訊ねてくる。
「順調です。ありがとうございます」
「良かったわ~」
フローラが安心したように大きく息を吐いた。
――あれから数日が経っていた。
フローラは後継者と名乗る謎の相手の陽動にあいパル達の援護に来れなかったことを気に病んでいるのだ。
フローラの前に現れたのは炎を操るフォルトゥナ、イグニスで彼女の力をもってしても簡単には倒せないほどの実力者だったらしい。
暫くは楽しむ様にフローラと戦った後、『今日はここまでですわ』と捨て台詞を残して逃げ去ってしまったとのこと。
「暫くは、じっとしてなきゃだめよ」
「そうします。今日もまた調査ですか?」
「ええ。そうなのよ~」
フローラは眉毛をハの字にすると立ち上がる。
相変わらずフローラは怪物事件の事後処理と調査に駆り出されていた。
今回新たに分かったことは多くはないが、先日パルが捕まえた泥棒男が牢獄内で死亡しているのが発見された。
外傷はなくはっきりとした死因はわからない。身体中のコルを奪われたため衰弱死したものと推測されているという。あの怪物との関係が当然に疑われるところである。
フローラが忙しいのも無理はなかった。
「行ってらっしゃい」
「行ってらっさ~い!」
パルとナリアに見送られフローラが出勤していった。
「さて、パルもご飯食べるよね?」
フローラが出ていったのを見送るとナリアが朝ごはんの準備とりかかる。
「おう。食うよ」
パルが答えた。
「そっちはどうだよ?」
「え、何が?」
ナリアがきょとんとした。
「何がって、怪我の調子だよ」
「ああ! もう全然平気!」
ナリアは包帯を巻いた右腕をぐるぐる回してみせる。
「そうか……よかったな」
「ありがと!」
彼女も先日の一件ではあちこちに怪我をしていたが、いずれも深刻なものではなく特に跡が残るようなものでもないとのことだった。
その元気さにパルは胸をなでおろす。
更に幸運なことにフレニーにも怪我はなかった。
あれ以来、パルとナリアに完全になついてしまい一人でもここまで遊びに来る。
段々と見られるになってきた彼女の笑顔はパルとナリアにとって何よりの報酬だ。
ナリアはテーブルの上に二人分の朝食を準備するといつものようにパルと向かい合って座った。
「いただきます」
「いただきま~す」
二人して食事に取り掛かかる。
相変わらずナリアは食事の時だけは無口になる。
パルよりもずいぶん多く食べているようだが小柄なあの体のどこにあれだけの量が入るのか、と何度目か分らない疑問がパルの頭を過っていった。
そこへ。
「し、失礼するわ」
最近よく聞くようになった澄んだ声。ソラだ。
「おはようございます」
「おはよーございます!」
「お、おはよう」
ソラはなんだか疲れた様子であいさつをする。
よく見るといつもは艶やかな黒髪が今日はぼさぼさになっていた。
「ソラさんどうしたんですか? 朝っぱらからなんか疲れてません?」
ナリアが問う。
「そこでフローラさんとすれ違ったの。――なぜあの人は意味もなく人を絞め落とそうとするのかしら?」
ソラが心底疲れたといった様子で答える。手ぐしで髪を直そうと悪戦苦闘する姿が何となく可愛らしい。
「ああ、なるほど」
過剰すぎるフローラのスキンシップの犠牲になったのだ。
パルとナリアは同情するしかなかった。
「今日はどういった御用ですか?」
パルが仕切り直して質問を投げかけた。
「ええ。ちょっと、ね」
そういったソラがやや緊張した面持ちとなる。
「ちょっと?」
パルとナリアが首をかしげた。
「今日はお願いがあってきたのよ」
ソラはうつむき加減で視線を左右に彷徨わせている。
「依頼ですか!?」
ナリアが目を輝かせる。
「いえ、ごめんなさい。そうじゃないの」
「そうですか」
願望をバッサリと否定されナリアが小さくなる。
「では、どういう、そのお願いですか?」
「えっと」
「前にも言ったじゃないですか! あたし達くんだりに遠慮は不要ですよ!」
「お前はいつもそれだな」
パルが苦笑する。
「そうですね。ぶちまけてくださって大丈夫ですよ」
「あのその……」
パルとナリアはソラの言葉を続きを黙って待つ。
「私を、ここで雇ってくれないかしら?」
意外なソラの提案にパルとナリアは呆けた顔で顔を見合わせ
「「え゛え゛!?」」
と同時に素っ頓狂な声を上がる。
「な、なによ」
あまりの驚き様にソラが少し気圧された。
「依頼じゃなくて従業員? あたしの後輩で……すなわち下僕?」
「全く、すなわち、じゃないだろ」
パルが訂正する。
「そうよ。で、どうかしら? それなりには、役に立つと思うんだけど」
ソラがらしくなく、ふん、と胸を張って見せる。
ナリアはそれはまじまじと見つめ
「そうですね。そうある方じゃないかなぁ。どちらかと言えばあたしの仲間ですねぇ」
「――何の話よ?」
「いやいや! 何でも!」
部屋の温度がわずかに下がる。パルが慌てて割って入った。
「ソラさんが加わってくれればそりゃもう百人力ですけど。孤児院はいいんですか?」
孤児院のラッセル先生は体調を崩しがちでその分ソラが果たす役割が大きなっていたはずだ。そのソラがこちらに来てしまっては孤児院が立ち行かなくなるのではないか。
そう思ったパルが問う。
「それなら大丈夫。お手伝いさんのなり手が見つかったのよ。今までずっと見つからなかったのに。多分、私のせいで」
「この間の一件でソラさんのことを分ってくれた人が出てきたってことですよ」
ナリアが自分のことのように喜んでいる
「みんな単純ね。それにお調子者だわ。昔のことなんかすぐに忘れて」
そういうソラの表情は、言葉の割に穏やかだった。
ソラが少しだけでも前向きになった。
その事実にパルは自分のことの様にうれしくなるのを感じる。
「それなら、何の問題もないですね! 勿論、採用ですよ!」
「ナリア! それ決めるのは俺だからな! 一応言っておくけど!」
ナリアにパルがいう。
「じゃあ、不採用だっていうわけ?」
ナリアが眉を吊り上げる。
不採用――その言葉を聞いた瞬間、ソラの肩がビクリと震えるのがわかった。
「んなこと言っていないだろ!」
「じゃあ、採用でしょ?」
「まぁ、そうだけど……」
「あ……ありがとう!」
パルの決定を聞いてソラが微笑む。
「お給料のほうはそんなに払えないんですけど。いいですか?」
「もちろんよ」
「分りました。じゃあこれからよろしくお願いします」
「ええ。よろし……ぐぇ?!」
ソラのセリフが途切れる。
「よろしくです~!」
ナリアが横から勢いよく抱き付いたのだ。
ソラとナリアがじゃれつく様子は傍から見ていても微笑ましかった。
「頑張りましょうね、ソラさん!」
「え、ええ。よろしくね……ゲホ」
思いがけない方向からの一撃(?)に狼狽しながら何とかソラが返事をした。
「そうと決まったら、二人にお願いがあるのだけど」
ナリアをようやく引きはがしながらソラが言う。
「はい?」
「何ですか?」
「その、これからは……要らないわ」
「いらないって何がですか?」
ソラの意図を測りかねたパルが訪ねた。
「敬語よ。それに私のことはソラでいい。私はもうお客さんではないのだから。――そうして欲しい」
それを聞いてパルとナリアは顔を見合わせ……やがてお互いに微笑んだ。
「何よ」
ソラが半減で二人を睨み付ける。
「いや、なんでもないよ。ってこんな感じでいいですかね?」
「ええ」
ソラが頷く。
「これからよろしくね、ソラ!」
パルとナリアはソラの方へと向き直ると間をおかずそう言った。
二人の対応に、ソラの頬が朱に染まる。
「あ……うん! こちらこそ……お願いします!」
ソラの声が詰所に響き渡った。