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 沈黙が辛い。

 パルとソラは隣り合い――ただし一定の距離を開けて――木陰に座ると黙々と弁当を食べていく。

 その間、二人は一言も発しなかった。

「あの、ごちそうさまでした。美味しかったです」

 やがて食事は終わり、いよいよ進退窮まったパルが思い切ってソラに声をかける。感想自体に嘘偽りは全くない。

「そ、そう。よかった」

 ソラが弁当に視線を向けたまま僅かに頷く。少しだけ頬が赤くなっているようだ。

 パルの方が食べるのが早く、ソラの弁当はまだかなり残っていた。

「あの、俺、お茶でも貰ってきます」

 パルはこの場からの一時離脱を図るべくそう言って腰を浮かした。

「い、いいわ。大丈夫だからそこにいて」

 しかし、ぴしゃりとそう言われパルは再びそこへ腰を下ろした。

 黙って彼女が食べ終わるのを待つことにする。

 そうすると否応なしにソラの存在が意識されてくる。

 急にお昼を作ってきてくれるなんてどういうことだろうか。

 ソラの料理の腕は確かだし、見た目だって、その、一見して人目を引くほどに綺麗だ。

 ほっそりとした白い手が小さな口へ機械的に食べ物を運ぶ。その一つ一つ動作にも彫刻のような美しさがある。

 そんな人物のお手製の弁当である。胸がときめかないと言えばもちろん嘘だ。

 しかし、である。

 先日、パルは彼女にそれはもう最悪にみっともない姿を見せてしまっている。

 本来であれば彼はこのようなありがたい物をいただける身分ではないのだ。

 にもかかわらずこうして御相伴にあずかれているという矛盾した状況が何となく彼を不安にさせる。

 一体、ソラはどういうつもりなのか? 

 目的はなんだ?

 パルは恐る恐る横目でソラの様子を窺っていた。

「ふう」

 ソラが食事を終えて小さく息を吐いた。それはこの会食が次の段階へと進むことを意味している。

 自然、パルは身構えた。

 い、いよいよか! いったい何を言われるんだ? そもそも何なんだこの沈黙の晩餐は! 

 パルの不安が加速度を増して増大していく。

 言葉を発そうとしてソラが大きく息を吸うのがわかった。

 鼓動の音がどんどん五月蝿さを増していく。

 そして。

「いぎょ!」

「――って何ごとですか!」

 次にソラから聞こえてきたのはひっくり返った様な不思議な声――というか音。

 パルの緊張が木っ端みじんに吹き飛ばされてしまった。

 ソラが口を片手で押え俯いて震えている。黒髪の間から覗いた眼には薄っすらと涙が光っていた。

「もしかして舌、噛みました?」

 こくこく! 

 ソラが首を小刻みに縦に振って答える。

「あの、大丈夫ですか?」

 こくこ――ぶんぶん! 

 ソラはまた同じように頷こうとして、やっぱり首を横に振った。 

 ……ダメージは大きいようだ。

「ゆっくりでいいので、落ち着いてから話してください」

 こくり。

 また頷く。こんどはゆっくり1回だ。多少は痛みが引いてきたのかもしれない。

「しかし――ぶ、ぶふっ!」

 ソラの余りの様子にパルが我慢しきれずに噴き出してしまった。

 実はソラの方にもかなりの緊張があったようだ。そのことがかえってパルを安心させていた。

「ははは――ひぃ!?」

 刹那、パルの耳はギンッという金属同士が衝突するような甲高い音を確かに捉えた。

 恐る恐るソラの方へ視線を戻すと吹雪を呼びそうな冷たい涙目でこちらを睨み付けている。

「は、ははは。――ごめんなさい」

 パルは頭を下げた。

 ソラの鋭い視線を受け止めているであろう後頭部がちくちくともう完全に物理的な痛みを覚えている。

「ナリアにもそんな風に笑われたわ」

 落ち着いてきたのかソラが話し出す。

「ほんとですか! おのれ、ソラさんのことをあざ笑うなど何という奴だ! 安心してください、後で俺が天誅を下しておきますから」

 ソラが半眼で睨み付けてくる。

「貴方程じゃないように思えたけど?」

「すいません許してくださいごめんなさい勘弁して下さい」

 パルは瞬時に平身低頭しあらん限りの謝罪の言葉を並べる。

「いいわ」ソラはため息交じりにそういって許してくれた。

「今日はあなたを謝らせるために来たのではないもの」

「え?」

 それを聞いてパルは頭を上げた。

「そういえば、どうして今日は来てくれたんですか」

「それは――」

 ソラはパルの方にきちんと向き直り

「謝りにきたのよ。あなたに」

 はっきりとそう言った。

「ソラさんが、俺にですか?」

「ええ」

「あの、こう言っちゃなんですけど、何でですか?」

 パルとしては訳が分からない。

 謝る理由は数あれど、謝られる理由など一つも思い当らなかった。

「何も知らないくせに酷いことを言ってしまったから」

 そういうソラの顔が痛みに耐えるように歪んでいた。

「酷いことって――あの広場で言われたあれですか?」

 まさかという気持ちで訊ねると、コクリとソラが頷く。

「そんなの! 気にしないで下さいよ! あれはもう俺が全面的にダメダメだったんですから」

 パルは手を振って否定する。

 別にソラに気を使ってではない。パルの心底から出た本気の言葉である。

 あのときの自分に対しては今思い返してもぶん殴りたいくらいの怒りを覚えているのだ。

 この自分自身が。

「いえ、だめよ」

 しかし、ソラはきっぱりとそう言った。

「そんな事は許されない。私は責められて当然のことをした」

「ソラさん?」

 ソラの口調はあまりに真剣でパルにそれ以上謝罪を拒むことを許さなかった。

「私はあなたに昔の自分を重ねてみていたのだと思う」

「昔のソラさんをですか?」

「あなたは知ってる? 昔の私を」

「いえ。オプティムスになる前のお話しは全然」パルは首を振る。

「――私の両親は私が幼いころに亡くなったの。顔も覚えていない」

 ソラがゆっくりと話しだした。

「そうなんですか」

「そして、この国の、今住んでいるのとは別の小さな孤児院で育った。そこはラッセル先生の孤児院とは全然違う冷たい場所で。勿論私がこんな風に不愛想なのもよくなかったのだけど。友達も信頼できる人もいなかったわ」

 ソラの目が遠くを見るような様子になる。

「だから多分、飢えていたのよ。誰かから認められること、褒められることに」

 パルはソラの話に黙って耳を傾けていた。

「そんな中、北の大地に魔王が出現した。そして私にフォルトゥナの素質があることがわかった。それも勇者一向に参加できるほどの素質が。だから魔王が現れたことは世界にとっては不幸だったけれど、私にとっては大きな幸運だった。世界の悲劇をチャンスになんて、酷い話でしょ?」

 ソラは自嘲気味に笑った。

「私は迷わずオプティムスとして旅に出ることを志願した。勿論周りから認められるため、褒められるために。でも、そんな気持ちでついていった人間が全うできるほどあの旅は簡単なものじゃなかった。実際、仲間はみんな強い信念や心の持ち主だったわ。フローラさんも。もちろんあなたのお姉さんも」

「姉さん?」

 パルの心中に少しの寂しさと誇り高さが混じったような不思議な気持ちが生まれた。

「ソラさん、俺のこと知っていたんですか?」

「少し前にナリアが教えてくれたの」

「そうでしたか」

「私が無理に言わせたの。彼女を責めないであげて」

「いえ、大丈夫です。別に口止めしているわけではないですし。あいつが言ったのなら必要なことだったと思います」

「そう。ありがとう」

 ソラは少しだけ安心したようだった。

「私には彼女たちのような強い理由がなかった。だからかしら、私のフォルトゥナとしての力が急激に衰えだした」

「そんなことあるんですか?」

「フォルトゥナの力は使用者の心の力。それ次第で強くも弱くもなる。あなたも実際に経験しているでしょう?」

「そうですね」

 広場の時のことを思い出しパルは神妙に頷いた。

「それは私の決意の脆さの表れだった。他者から肯定されたい。そんなのは命がけの戦いを続ける動機としては弱すぎた。そして勇者たちの足を引っ張るようになり、遂には旅から離脱するように言われたというわけ」

 そこから先のことはパルもざっとは知っている。

 そうして故郷へと帰って来たソラを待っていたのは、人々の嘲笑であり、侮蔑であった。勇者たちが魔王を倒し賞賛を浴びるにつれて彼女への風当たりが強まる。

 ソラの名は脱落者・落伍者として勇者たちの伝説の一部となり、ある種の笑い話として残ることになった。

「私は後悔したわ。手に入れたかったものとまったく逆の結果になって。そして諦めた。何を言われたって仕方がないと。そうしたらついに力は全く使えなくなった。ラッセル先生や孤児院の子供達には感謝してる。皆は私のことを受け入れてくれた。ようやく手に入れた私の最初の家族」

 パルは初めて孤児院を訪れた時のことを思い出していた。破壊された孤児院をみて『許せない』と呟いた彼女の姿、そこから発せられていたあの烈しい怒気。

あれは彼女のラッセルや子供たちに対する愛情の裏返しだったのだ。

「人のために力を使う。あなたの言葉を聞いたとき、私はそんな自分をあなたに見ていた。何も知らず、たまたま得られた特別な力に溺れて。ただ誰かから肯定されることに躍起になっている。そんな風に思ったわ。――本当は全然違っていたのに」

 ソラの表情が今日一番つらそうなものに変わる。

「そして、力を使えなかったあなたを見たとき。気持ちが晴れていくのを感じた。いい気味だとそんな風に考えた。あなたの失敗を私、私は――」

 ソラは、少しいい淀んだがやがて意を決したように

「――私は心から喜んだ」

 と言った。

「別に、何もそんなふうに」

 大なり小なり誰にでもあることだ。もちろん自分も。

「だから謝らせてほしい。自分のための謝罪だなんて傲慢なのはわかっているけれど。」

 ソラはそこで言葉を切ると。

「ごめんなさい」

 と頭を下げた。

 パルは黙ってみている。これを否定することは彼女のためにならない。そう思われた。

「わかりました。お受け取りします」だからそう答える。

「ありがとう」

 そういうとソラは顔を上げる。

「いえ、そんなこちらこそ申し訳ありませんでした。肝心なときになにもできないで」

「それももういいわ。あなたがどう考えるかはともかく、私に謝罪する必要はない」

「わかりました。じゃあ、これでお互い謝ることはもうないですかね?」

「そうね」

 なすべきことをとりあえずなしたという安心感からか。

 二人の間に流れる空気はそれまでよりも幾分か柔らかいものになっていた。

「で、もう言われちゃったから言うんですけど。実はそう間違ってもいないんですよね。ソラさんの考えた事」

 そんな空気に背中を押されて、今度はパルの口から言葉が漏れる。

「そうなの?」ソラが意外そうな顔をする。

 本当に不思議に思った。そういう素直な感情を表した顔だった。

「ええ。俺はきっと認めたくて……許したくて仕方がなかったんですよね。自分を」

 パルは左手で腕輪をさする。

「自分を?」

「はい。ソラさんや姉さんが旅に出たとき俺はついていかなかった。――怖かったからです。知らない土地に行くことも、魔獣なんて化け物と戦うことも、ただただ怖かった。悪い想像ばかりがどんどん先に立って動けなったんです。一年が経ってフローラさんから姉さんが死んだって聞いたとき、俺は死ぬほど後悔しました。だから戦おうと思った。姉さんが命がけ守ったものを俺も守ろうと思ったんです」

「ええ」

「俺は旅に出ずに後悔して。ソラさんは旅に出て後悔した。こんな風に並べちゃ失礼でしょうか?」

「構わない。――似た者同士よね、ある種」

「行動してもしなくても後悔するときはするんですから難しいですよね」

「そうね」

 パルとソラは顔を見合わせて笑みをかわす。

 お互い、内容の割には後ろ向きな空気を感じさせない笑みだった。

「でも、俺は何にもわかってませんでした。姉さんと同じことを言って、ただそれだけで強くなったような気になっていた。それがわかったのがこの間の広場の一件です。ソラさんに言われたおかげで目が覚めました」

「怪我の功名かしら」

「はは、かもしれないです」

 先程から自然に笑いがこぼれる。今までこんなことはなかった。

「あの、ソラさん」

 そんな暖かい空気に絆されて。

 パルは立ち上がってソラの目に立つ。少しかがんでスッと手を差し出す。

「何?」

 突然の行動にソラは不思議そうな顔だ。

「いや、握手ってどうですか?」

 照れ隠しに頭を掻きながらパルは言った。

「あ、握手?」

「ええ。ナリアとはいつもそうだったんです。喧嘩したら握手して仲直りっていう」

「そうなの?」

「はい。不思議なんですけど、握手すると機嫌がよくなるんですよね、あいつ」

「別に私たちは喧嘩していたわけではないけれど」

「まぁ、そうですけど。理解――じゃ言い過ぎだな。ともかくいろいろ話せた記念に」

「記念……」

 ソラは困ったような顔で視線を左右に彷徨わせている。

 調子に乗りすぎたか。

 パルは顔を少し上げると視線をソラから外した。

 仲直りは握手で、というのはあくまで自分とナリアの話だ。ソラも突然こんなことを言われて対応に苦慮しているのかもしれない。

 そう考えると何か大それたことをしているようで恥ずかしくなってきた。

 もうやめよう。そう思っていると。

 手に柔らかいものが当たるのがわかった。パルは驚いて視線を戻す。

 ソラがおずおずとパルの手を掴んでいたのだ。

「そ、そっちが言い出したんでしょ」

 呆然としていたパルの態度にソラが少し怒ったように言った。顔を赤らめ頬を膨らませている。

「す、すいません!」

 パルは慌てて手を握り返す。

 細く冷たい手。

 感じるのは冷たさなのに心は温まる。不思議な経験だった。

「えっと、依頼の方はいったん終了ですけど。ナリアは多分ほっといても孤児院へ伺うと思いますし、俺もいろいろ訊きたいことがありますから。その、よろしくお願いします。これからも」

「こ、こちらこそ」

 ソラは顔を赤くしてコクリと頷いた。

 誰かと絆をつなぐ。

 それはパルにとって――おそらくソラにとっても――久しぶりの出来事だった。


 その時。

 

 遠方からくぐもった爆発音のようなものが聞こえてきた。



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