10
それから広場へと通う日々が始まった。
朝起きるとご飯を食べてそのまま広場へ。日中は復旧作業を手伝い日が落ちると帰ってくる。そんな日々である。
瓦礫の撤去も徐々にだが進展つつある。
ナリアはパルからフレニーのことを聞くと翌日からお昼には必ず顔を出して一緒に食事をとるようになった。
自分のときと同じで放っておけないのだろうとパルは思う。
「フレニー~!」
「うぷっ」
ある日、パルはナリアがフレニーめがけて飛びついて後ろからギュッと抱き締めるところを目撃した。一見迷惑そうにしていたフレニーだが口元にはうっすらと笑みが浮かんでいるのがわかった。
恐ろしい攻城力だ。子供とはああやって仲良くなるのかとパルは感心した。
フレニーはナリアを介してパルとも段々と打ち解けてきていた。少なくとも初日のように逃げ出されることはなくなった。
そうして一週間も過ぎた日の朝方。
その日もパルは慣れた手つきで瓦礫を運んでいた。
撤去作業も最終盤に差し掛かっており、もう少しで終了というところまで来ている。
「おい、兄ちゃん! 今日も精が出るな!」
「あ、おはようございます! お互い様でしょ、おじさん」
作業中に顔見知りになった男性と朝のあいさつを交わす。その言葉通り二人の服は既に泥だらけだ。
「今日はいつもの彼女は一緒じゃないのか?」
「だからあいつはそういうんじゃないって言ってるでしょ!」
そしてもうお決まりとなったやり取りが繰り返される。
ここの人たちの特徴だろうか、皆この手の話が好きでパルは散々からかわれていた。
(俺とナリアがなぁ?)
パルは特別な関係となった自分たちを想像してみる。
呼び捨てでは……もう呼び合ってるな。
二人で出かける……なんていうのも結構している。
あまりピンとこないというのが正直な結論だった。
「やっぱり脈あるんじゃないか」
考え込んだパルの様子を誤解したのかおじさんがいやらしい笑みでさらり。
「違いますって!」
「ははは、照れるな照れるな! じゃあ彼女に愛想突かされないように頑張れよ!」
パルが慌てて否定するが後の祭りだ。
おじさんは豪快な勘違いをして、豪快な笑い声を上げながら、自分の作業へと戻っていった。
「やれやれ」
パルは若干疲れたようにつぶやいた。
ああやってからかわれるのは堪らないが、ここの人たちが基本的に陽性の気持ちの良い人たちであることも作業に参加したパルには分っていた。
そのため怒るに怒れない。
「あれ?」
瓦礫を集積場へ運んだ帰り道、パルはフレニーが歩いているのを見かけた。
ただ、何だか様子がおかしかった。どこか上の空なのだ。
人にぶつからないか、転ぶのではないかと不安になって見ているとそのままふらふらと歩き去ってしまう。
「う~ん」
パルは迷ったが放っておくこともできず結局はフレニーの後をついていくことにした。
しっかりフレニーを観察するとやはり様子がどこかおかしい。
その内、彼女が空、いや、空を飛ぶ鳥を見ていることがわかった。鳥を追いかけて上空を見つめたままで歩いていく。
「危ないっ!」
パルが叫んだが間に合わなかった。
足元への注意が疎かになっていたフレニーが石に躓いて転んだのだ。
「だ、大丈夫か?」
パルは慌てて駆け寄るとフレニーを助け起こす。
「あ」
フレニーはパルを見て一瞬だけ驚いたように目を丸くするが、すぐに興味を失った様子で立ち上がる。
そしてパルから離れると再び空を見上げながら歩き出す。泣き出すどころか痛がっている様子もない。
よほど夢中になっているのだろうパルは思った。
しかし、このままではやはり危険である。
どうしたものかと頭を悩ませると、ふと先日のナリアとフレニーの様子が思い出された。あのぐらいの勢いでいった方がいいのかもしれない。
「おっし!」
パルはひと声あげるとフレニーを肩車した。
「う」
驚いたような声を聞いたがパルは気にしないことにする。
「あいつら追いかけるんだろ! しっかりつかまって!」
「……」
フレニーは応えなかったが髪の毛を小さな両手が掴むのがわかった。
「よし! しゅっぱ~つ!」
パルはそういって静かに走り出す。
今日は彼女の追い駆けっこに付き合おうと決めたのである。
「あっち」
「こっち」
「早く」
「遅い」
その途中で下された彼女の指示は相変わらず抑揚の少ない声だった。
だが途中で「がんばれ」ときたときには嬉しくなったものだ。
そんなこんなでパルは昼近くになるまで走り続けることになった。
しかし、当然ながら人間が鳥に追いつけるはずはない。結局追いかけっこは相手を捕まえられないままパルの体力が尽きるという形で終結した。
パルはよろよろと歩いて広場の隅、芝生のようになっているところまで来るとフレニーを下して自分は地面に横になった。
「は~! は~!」
荒く肩を上下させて空気を取り込むことに全力を尽くす。長時間走ったことで足も心臓も悲鳴を上げていた。
「大丈夫?」
フレニーが頭の横でしゃがむと頬に手で触れてきた。
心配したような声色。そんな風に彼女から話しかけてくるのは初めてのことだった。
冷たい手が心地よい。
「ごめんなさい」フレニーはそう言った。
「いや、俺も楽しかったよ」
そういってパルは笑ってみせる。
疲れもあり初めて会った時に見せた笑顔よりはかなりぎこちなかったはずだがその表情をみてフレニーも安心したようだった。不思議なものである。
「フレニーちゃん。一つ聞いても……いいかな?」
「なに?」
フレニーが返事をしてくれる。
どうやらパルに対する恐怖心は完全に消すことができたようだ。それだけでも疲れたことも無駄ではなかったと思える。
「どうして鳥なんて追いかけようと思ったの?」
「あ……」
彼女の表情に悲しみの色が浮かぶ。
「あっ。ごめんな、変なこと聞いて」
「――お父さんとお母さんだから」
彼女は表情の割にはっきりとした口調でそう言った。
「えっ?」その内容にパルは思わず聞き返す。
「おばあちゃんが教えてくれた。私のお父さんとお母さんは鳥になって遠い処へ飛んで行っちゃったんだって」
「……」
「だからもしかしたら。あれがそうかもしれないと思って」
少し前に両親を亡くした。ロイスの話が思い出されていた。その事実をロイスはそうやって幼い少女に説明したのだろう。
幼い子を残して両親が。あるいはもちろんその逆も。この一家がいたという北方ではよくあることなのだ。こんな言い方はあまりにも悲しいけれど。
「会いたいかな? お父さんとお母さんに」
家族を失う痛みにはパルには覚えがある。答えなんて分っているのに。パルは言ってから、なんてつまらないことを、と後悔した。
「うん」
案の定、少女はコクリと頷く。
死んだ家族と会いたい。何とも絶望的な願いだ。多くの人が願うのだろうが消して叶うことはない願い。
しかし、それでも。この子に目にどうしようもなくこびりついてしまった寂しさの影を。晴らすことは無理でも気を紛らわさせるくらいのことはしようと思った。――そうしたいと思った。
「ちょっとここで待ってて!」
「え?」
パルは跳ね起きる。
「ど、どこへ?」
「ちょっとね!」
走り出しながらパルはこういうときにいつもナリアが行先を告げない理由がわかった気がした。
――目的の場所、というかお店はすぐに見つかった。広場の近くお店である。手の空いている女性や子供には広場の周りで商魂たくましく露店を開いている人たちもいた。今回訪ねたのはそのうちの一つだ。お店では簡単な玩具や小物を売っている。
「いらっしゃい!」
売り子の女性が威勢よく出迎えてくれた。
「ふむ」
パルは身を乗り出して商品を物色する。いいのがあればいいけれど。
「おっ」
パルはお目当てに近い物を見つけて手に取ってみた。小鳥を模した人形だ。子供の手のひらにも容易に乗るくらいの小さなものだが、幼い少女へ送る物としてそれ位が良いように思えた。
「おばちゃん、これ下さい」
「はいよ」
女性はお金を受け取りパルに商品を手渡しながら、ニヤリとしか言いようのない笑顔をうかべる。
「あんた。いつもの彼女だけじゃ飽き足らずあんなちっちゃい子にも手ぇ出してるのかい?」
「二か所、完全に間違ってますからね」
肩車して走り回っていた姿を見ていたのだろうか。不穏当極まりない問題発言をパルはきっちりと否定しておく。
「はいはい」おばさんは全く気にしていない。
本当にみんなこの手の話が好きだ。パルは少し呆れた。
「――戻るか」
気にしても仕方がないと思い切り、パルは再び走り出す。
「はい」
先程の木陰に戻るとパルは小鳥の人形を右の手のひらに乗せてフレニーに差し出した。
「え?」
フレニーは小首をかしげる。
「プレゼント」
「プレゼント?」
「そう、プレゼント」
「どうして?」
フレニーの手はピクリと動いただけで、人形を受け取ってはくれない。
「お近づきの――友達になった証かな?」
「でも、別にパルとは友達じゃないし」
「ぐはぁ!」
余りといえば余りの言葉にパルはがっくりと首を垂れる。
「さすがに傷つくなぁ」
弱々しい視線を作ってフレニーに向けるがどこ吹く風だ。
「ならば」
パルはそっと左手を上げて右手の腕輪に触れる。
同調。群雀。
心の中で呟く。
すると腕輪のオムニアが淡い青色に輝く。
発せられた光は収束し手に平にちょこんと乗った人形の周りにそれと同じくらいの大きさの小さな三羽の鳥の形を形成する。
「わぁ」
今度は効果てきめんだった。目の前で起こったささやかだが幻想的な光景にフレニーの目が見開かれる。
三羽の光の鳥は戯れるようにフレニーの周囲を飛び回る。フレニーはそれに触れようと手を一杯に伸ばす。一羽がその指先に止まった。よく懐いた様子で彼女の指先を突っついてみせる。
「きれい。かわいい」
フレニーは目を細め慈しむような視線を送っている。一人の少女が光の鳥と戯れる。それはパルの目から見ても幻想的な光景だった。
しばらくそうしていた後、三羽はパルの手の上の人形へと吸い込まれるように消えていった。
「今の、なに?」
フレニーは不思議そうにパルに尋ねてきた。まだ月蒼石やフォルトゥナのことはわからないのだろう。
「俺の心? とかそういうの」
「パルの?」
「そう、俺の。今、こいつにそれを移しました」パルは手の人形をフレニー目の前に指し示す。
「これに、パルが?」
「そうなのだ。おかげでこいつは今までに輪をかけて寂しがりになった!」
「?」
「だから、かわいい女の子の近くいないと大変なことになる!」
「大変なことって?」
「え? えっと、とにかく、大変といったら大変なことだ! だから、その、とにかくソイツとだけでも友達になってやってくれないか?」
「この子と?」
「そうそう!」パルは首を縦にぶんぶんと振る。
「……」
フレニーは視線を左右にさまよわせだいぶ迷っていたようだが、やがて「わかった。そういうことなら」と肯定の返事をする
「ほんとか! よかった~!」パルはそれを聞いて胸をなでおろす。
フレニーはおずおずと人形を手にすると、パッと両手で抱え込んだ。
「大事にしてやってくれよな」
「うん。……あの」
少女は頷くとパルの方をまっすぐと見つめ。ギュッと人形を抱き締めると。
「――ありがとう」
そういって朗らかな笑みをこぼした。
満面とはいいがたい。はにかんだ様な笑顔。しかしそれは不思議とパルの心を打った。
「パル? どうしたの?」
「え! いやいや! 何でもない!」
パルははっとして答えた。気を取られていたのだ。フレニーの笑顔に。
それは子供らしさに満ちたかわいいものだったが、見とれていたというわけではない。
一瞬重なって見えたからだ。フレニーの笑顔に姉の笑顔が。
なんだ? パルは自分でも疑問を感じずにはいられない。
「あれ、ということはパルは寂しがり屋で綺麗な人の近くにいたい?」
「いやいや! そういう解釈はやめて?」
ふと気付いたように発せられたフレニーの言葉をパルは慌てて注意した。
そんなパルとフレニーの様子を少し離れた場所から見守っている影があった。
黒く瑞々しい長髪が風に揺れる。手には籠を抱えている。
「一週間は待たせ過ぎですよ」
「うひっ?!」
背中から掛けられた言葉にその影――ソラ=セルセスがビクリと振り向く。
声の主はナリアだった。ナリアは腰に手を当て呆れたような表情で立っていた。
「びっくりするじゃない」
ソラが口を尖らせた。
「ふふっ、すいません」
ソラは非難がましい視線を向けるが、ナリアは悪びれた様子もなく笑うだけだ。
「いつまでたっても来ないから先に作業が終わっちゃうんじゃないかと冷や冷やしましたよ。これが例のブツですか?」
「いや、これは」
ナリアはソラの持っていた籠をのぞき込む。中には目移りしそうな料理が詰め込まれていた。
「やっぱりそうじゃないですか!」
「え、ええ」ソラは曖昧に頷く。
「じゃあ、後はパルに声をかけるだけですね!」
「あの、それなのだけど」
「何ですか?」
「一緒に……どう?」ソラがおずおずと尋ねる。
先日、ソラがナリアにした相談。それはパルに謝罪するためにはどうすればいいかということだった。
『そんなのほっといて大丈夫ですよ』とナリアは言ったのだが、ソラとしてはそれでは気が済まなかったのだ。
そんなソラにナリアが授けた作戦、それは端的にいうところの『食べ物で釣る』というものであった。
自分たちはこれから広場の作業を手伝うのでお弁当でも作ってくれば話のきっかけになる。そんな作戦だ。
今回の修復作業の手伝いには実は一石二鳥ではなく一石三鳥の意味があったのである。
「えっ! あたしもですか?」
「お願いできないかしら?」
背に腹は代えられないとソラは伏し目がちにナリアに頼み込む。
実はソラはここ何日か作業場へと来ていたのだ。もちろん弁当を携えて。
しかし、なかなか声をかけることができずにすごすごと引き返す日々が続いていた。作った弁当は孤児院の晩ご飯となった。結果、冷えた夕飯が続くこととなり、暖かいものが食べたいと子供達からも不満が噴出している。
そろそろ手を打たなければいけないところまで事態は進んでいた。
ナリアと一緒なら何とか、とソラは思ったのである。
「う~ん」
ナリアは少し逡巡した様子だったが
「わかりました。ご一緒しましょう」と返事をしてくれた。
「ありがとう。助かるわ」
ソラはほっとして礼を言った。
「なんのなんの。んじゃ、早速行きましょうか」
「え?」
言い終わるや否やナリアは「パル~! フレニー! お昼にしよ~!」と駆け出した。
「ちょ、ちょっと!」
ソラも慌てて走り出した。
「おうナリア! もう昼飯……か?」
駆け寄ったソラとナリアに気付いたのかパルが顔を上げた。そしてこちらを見て固まってしまう。
「ソラさん? どうしたんですか?」
「いや、今そこで会ったんだよ」
とナリアが言う。
「こ、こんにちわ、二人とも」
ソラは勤めて冷静に挨拶をした。ここで慌てていては本題へは入れない。
「こんにちわ」
「こんにちわ」
ソラのあいさつにパルとフレニーが同時に反応する。
「ソラさんがお弁当を作ってきてくれから、ありがたくいただくことにしよ」
「えっ? そうなんですか?」
パルがいささか驚いた様子で尋ねてきた。
「え、ええ。まあ」ソラは控えめに頷く。
「あ、ありがとうございます!」
随分と感動してくれているようだ。ソラとしても悪い気はしなかった。
「ああああ~!!」
とそこへナリアが急に大声を上げた。
「ひわっ?」「何だよ?」「っ!」突然の大きい声に他の三人が驚く。反応はソラ、パル、フレニーの順だ。
つい見驚いて大げさに身をすくませてしまった。ソラは恥ずかしい思いでパルとフレニーを見るがこちらの様子には気づいていなかったようだ。
「うるさいな!」パルが言った。
「いっけねぇ! あたしとしたことが! 詰所に重大な忘れ物をしてしまったぜ!」
ナリアがそう叫ぶ。
「なんだよ、重大な忘れ物って?」
あまりに不可思議なナリアの挙動にパルが言った。
「それは……最重要機密書類的な? そういうやつ! あれが奪われればパルの人生が終わるっていう」
「終わるの俺なの?」
「パルにどんな機密があるの?」
ポカンとした表情でソラが言う。
「いや、大したことはないですよ?」
パルが言った。
「だからすぐ取りにいかないと! んじゃそういうことで! 後はごゆっくり!」
ナリアは二人の反応にはお構いなしで一気にまくしたてると、なぜかフレニーを抱えて走り出した。
「ふぇ?」
フレニーの間の抜けた声だけがその場に取り残される。
パルとソラはぽかんとして顔を見合わせたのだった。