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「失敗、ということでよろしいのかしら?」
とある建造物の屋根の上。
二つの影が降りしきる雨など全く気にも留めていないという様子で、眼下の広場を見下ろしている。
廃墟と化した家屋。彼方此方に散乱した瓦礫。昼間怪物が暴れまわったあの広場。
二人とも全身をローブで覆い顔は仮面で隠している。一人は漆黒の、一人は真紅のローブだ。仮面は細い目の穴だけが開いた簡易な仮面である。ローブと同じように黒と赤に塗りつぶされている。
問うたのは赤いローブを纏った方である。その声と長い金髪から今喋った人物が女性であることが分かる。
「いえ。そこまで悲観する必要はないでしょう。多くの事実を確認できました」
もう一人の人物が落ち着いた様子で首を振った。頭の後ろで結わいた黒髪が揺れる。牢内の泥棒を訪ねアーテルと名乗った女性だ。
「そもそも今回が最初の実験だったのですよ? ああして暴れて見せてくれただけでも十分なのです。重要なのは結果ではない。その過程を観察できたことにこそ成果があるのです」
「そうなのですか? あっという間にやられてしまいましたけど?」
「フローラ=ホロウェイはオプティムスの一人。貴女は良くは知らないかもしれませんがこの大陸でも間違いなく五指に入る実力者ですよ。いきなり彼女と互角に戦えるなどという妄想は抱いていませんよ。それではあまりに面白くない」
「ふん。まあ、その通りですけれど」
「ですが確かに戦闘力の確認は十分ではないですね。それもあってソラ=セレセスを襲わせたのですが」
「まさか、完全に能力が使えなくなっていたなんて! さすがは脱落者。お笑い草もいいところですわ」
金髪の女は鼻で笑う。
「ええ。しかし、そうなると標的を変える必要がありそうですね」
「あの情けない小僧ですの?」
「そうですね。フローラでは強すぎますしソラはもはや戦えない。とすればこの国には彼しか適任がおりません」
「確かに」
「これもまた、実験ですよ」
「アナタ……」
「何でしょう?」
「何だか、楽しそうですわね」
「楽しい? そうですね」
黒髪の女が僅かに頷く。
「昔を、思い出しますよ」
「そうですか。ですが、小僧の近くにはあのフローラがおりますわよ。彼女が出てきたらまたやられてしまうのではなくて?」
「確かに。そこであなたに頼みがあるのですが」
「わたくしに? 珍しいですわね。何ですの?」
金髪の女は説明を聞き。
「よいでしょう。――面白くなってきましたわ」
と満足そうに笑ったのだった。
※※※
前夜の雨が嘘のように晴れ渡っていた。
パルは自室の窓を開け外の空気を取り込む。
春の早朝の涼しい大気がまんじりともしない夜を過ごしたパルをリフレッシュさせてくれた。
朝日の柔らかい陽光。
聞こえてくる鳥のさえずり。
澄んだ空気。
そして。
「パル~! ご飯にしよ~!」
そんな朝の空気を切り裂く、いや、木端微塵に爆破粉砕するナリアの大声。
ここ最近の出来事に比べるとどうしようもなくいつも通りの朝だった。
あいつ、孤児院に泊まったんじゃ?
パルは自室を出ると一階へと降りていく。
そこで見たのはテーブルにたくさんの食べ物を並べているナリアの姿だった。
「な、何をやってるんだ?」
「え? 朝ごはんの準備だよ?」
ナリアはきょとんとする。
「お前……誰だ?」
ナリアの料理の腕はお世辞にも良いとは言えないのである。彼女もそのことはしっかりと自覚していて普段は料理などしない。
「酷い!」とナリアは苦笑い。
「さらに信じられないことに美味そうに見える」
「孤児院からのお裾分けだからね」
「そういうことか」
「ソラさんお手製」
「なら、間違いはないな」
昨日の彼女の冷たい表情が脳裏に蘇る。僅かに頭を振ってそれを追い払った。
「あたしはインパクトが薄まるから要らないって言ったんだけどね。ソラさんがどうしてもって」
「インパクト? 何のことだ?」
おかしな言葉に引っかかってパルが尋ねた。
「こっちの話~」
ナリアは陽気な口調でお茶を濁す。
その様子から何かありそうだと察しはするが、訊いても答えないだろうこともパルとしてはよく分かっている。
「じゃ、ありがたくいただくとするか。フローラさんを起こしてくるわ」
とパルが今降りてきたばかりの階段を上ろうとする。
「フローラさんならもう出かけたよ」
「は? 出かけた?」
あの朝を蛇蝎のごとく嫌う人間がこんな時間から? 信じられない思いでパルは足を止めた。
「さっきそこですれ違ってね。お城へ行くって」
「城へ?」
「うん。昨日のこと絡みらしいよ」
「そうか」
やはり昨日の一件はただ事ではない事態ということなのだろう。
未知の怪物が突如として街を襲ったのだから、国の方でも座視しているわけにはいくまい。
そうなるとまず頼られるのはお抱えのフォルトゥナであるフローラということになる。
彼女の負っている責任の重さに、直接は関係のないパルまで身の引き締まる思いがした。
「準備できた! さ、パル座って! 食べよう!」
「おう」
二人はそれぞれの席に着くと朝ごはんを食べ始める。
ソラの作った料理は材料こそ質素であるがとても丁寧に造られていて二人を満足させた。その味にソラもナリアもしばらくものを言わずに黙々と食べ続ける。
「で、今日からはどうすんだ?」
食事がひと段落ついたパルが切り出した。
「もぐ? もごもぐもごもご!」
とこれはナリア。どうやらまだ話どころではないらしい。
「あ~悪かった。ゆっくり食ってくれ」
パルは席を立ち二つのカップにお茶を入れる。一つをナリアの前に置きもう一つを持ったまま再び自分の席に戻った。
「もぐぐも!」
「どういたしまして」
パルは椅子の背もたれに身を預けると窓の方へと視線を向ける。
これからどうするか。
それが目下の自分たちの問題であった。
嫌がらせの主犯とみられる男はすでに拘束されたのだから孤児院の警備の依頼ももう終わりだ。
したがって、また次の依頼を探さなければならないが、そういった営業もやはりナリアの得意分野なのだ。
こうして考えると多芸無芸は彼女がいなければ全く機能しそうにない感じがしないでもないが。
「ごちそうさまでした!」
やがてナリアの方も食事を終えた。
置いてあった布で口の周りを拭くとやおら立ち上がり
「さっ行くよ、パル!」
と突如として言い出す。
「は? 行くってどこへだよ?」
急な話の流れについていけないパルが疑問を返している間にも、ナリアは素早くパルに近づいてきてその腕をむんずと掴んだ。
「ちゃんと考えてあるから!」
「何を? だからどこへ?」
パルは戸惑うがナリアは全く意に介している様子がない。
ぐいぐいパルを引っ張って歩き出す。
「だいじょうぶ! あたしに任せとけばみんなで幸せに真っ逆さま!」
「それだと、ちょっと不安が拭い切れないんだけど――」
「いいから。いいから! じゃ、出発!」
ナリアの声はまるでピクニックにでも行くかのように弾んでいた。
「さぁ、着いたよ」
「着いたって、ここは――」
パルがナリアに(半分以上は無理やり)連れてこられた場所。
それは昨日の広場であった。
先日のことが思い起こされて、パルとしてはあまり居心地の良い場所ではない。
戸惑うパルの背を優しく支えるようにナリアの手が触れた。
「大丈夫」
普段の賑やかさが信じられないぐらいの静かな優しく口調でナリアが言う。
「あ、ああ」
パルが躊躇いがちに頷いた。
不思議なもので、ナリアの声には自分の落ち着かせる特殊な効果があると、パルは認めないわけにはいない。
「さ、顔を上げて」
「う、うん」
パルは言われたとおりに、一つ一つの動作をこなす。
「ゆっくりと回りを見渡してみ?」
「おう」
パルはぐるりと周囲を見渡した。
「さっ、分ったでしょ? やんなきゃいけないこと」
「――何だろう?」
広場を囲む建物の多くは怪物によって破壊されてしまっている。
辺りにはその建物を構成していた木材や石材の瓦礫が散乱しており惨憺たる状況だ。
「もう、察しが悪いなぁ~。手伝うに決まってるじゃない!」
「手伝う?」
何を? を問おうとしたパルだったが、さすがにその答えは理解できた。
広場では住民による復旧作業が早速開始されていたのだ。
瓦礫をどこかへ運んでい男性たち。
女性や小さな子供の姿も見受けられる。小さな石の塊を一つずつ運ぶ子供の姿は何となく胸を打つものがあった。
「なるほど。手伝う、ね」
「そう! いわゆる慈善奉仕活動だね」
「悪くないな」
それならそうと最初から教えてくれれば文句など言わずについてくるのに。
パルはそう思うが、即断・即決・即行動が身上の彼女に言ってもしょうがないのだろう。
「でしょ! じゃ、行こう!」
ナリアに手を引かれパルは走り出した。
パルは半壊したとある食堂の手伝いに回ることになった。
その食堂は老夫婦に幼い孫娘が一人の三人家族で切り盛りしていたらしい。さすがに老父一人での作業は困難なのでパルが助けに入ることになったのである。
これもナリアの差し金だ。
すでに始まっていた作業の流れの輪に入っていけず困っていたところ、襟首をがっちり捕まえられ気付いたらここにいて手伝いをすることになっていた。
ナリアはナリアで瞬く間に付近の子供たちのリーダーと化し、子供たちと一緒に食べ物や飲み物を配って歩いている。
「おっしゃ!」
いったん持ち場が決まってしまえばパルも基本の構造は単純にできている。滴る汗も気にせず一心不乱に作業に従事するのであった。
両手で石塊を抱え上げると共同の集積場へと運んでいく。
今日は急に来たので装備が足りずこうして人力で一つずつ処理するほかない。
明日からは荷車でも準備してきたほうがよさそうだ。そんなことまで考えていた。
「まあまあ、お疲れ様です」
「あ、ロイスさん。どうもです」
石塊をおいて元の場所に戻ると老婆が籠を携えてパルを待っていた。目じりの皺を深くして優しそうな笑みを浮かべている。
この家の主の奥さんである。旦那のスコットさんは料理の腕を生かして炊き出しの手伝いに出ていた。
皆がそれぞれの役割をそれぞれの場所で。
住民のそんな姿勢にも単純なパルなどは感銘を受けるのである。
「一休みして、お茶にでもして下さいな」
「すいません。いただきます」
パルはぺこりと頭を下げると、ロイスの差し出してくれたお茶を受け取り口をつける。
「美味しいです」
温かいお茶が乾いていた体に浸み込んでいくようだった。パルはある種の感動すら覚えながら感想を口にする。
「よかったわ」ロイスはほっとしたような様子だった。
「あれ?」
パルはロイスの背後に隠れるようにしてこちらを窺う少女がいるのに気付く。
孤児院の子供たちと同じくらいの年齢だろうか。
「こんにちわ」
パルは殊更優しげな笑顔を作って話しかけた。
最近の孤児院生活で鍛えられた笑顔だ。自分では十分合格点を上げられる会心の出来だった。
しかし、少女は怯えたように目を伏せてしまった。
ロイスの服を掴む手にギュッと力がはいる。
やがてぱっと手を放すと逃げるように走り去ってしまった。
「これ、フレニー!」
ロイスはしばらく少女の走り去った方向を見ていたが少ししてパルの方へ振り返ると「すいませんねぇ」と謝罪の言葉を述べた。
「いえ、全然。こちらこそ怖がらせちゃったみたいで」
パルは頭を掻く。
「そんなことないですよ。昔はもっと明るい子だったのですが。少し前に両親を亡くしましてねぇ。それ以来ずっとあんな感じで」
「そうなんですか」
少しだけ沈黙が下りてくる。
「さ、他に食べ物もありますよ」
ロイスは気を取り直すようにそういった。
「ありがとうございます! 腹ペコだったんですよ。いだだきます」
食べ物を受けとると早速パクつき始める。
ロイスはそんなパルの様子を好ましげな目で見守っていた。
「パル、お疲れ~!」
「おう、ナリア! お疲れ」
その後も作業に没頭していたパルのところをナリアが訪ねたのは夕方になってからだった。
春とはいえ風が段々と涼しくなってくる。汗でびっしょりのパルには少しの肌寒さを感じさせる。
「さ、そろそろ帰ろうよ。あっちでスコットさんには挨拶して来たから」
「そうだな。じゃあそうするか」
と、二人して帰路についた。
「パル、今日は昼ごはん、なに食べた?」
途中、ナリアがそんな疑問を投げかけてきた。
「ん? ロイスさんが作ってきてくれたよ」
「そっか。今日は来れなかったか~」
ナリアはなんだか少し残念がっているような顔になる。
「なんでそんなこと?」
「いや、昼をちゃんと食べたかなと思って」
「もうガキじゃないぞ。自分の食い物くらい何とでもするわ。そっちはそっちのことをやってくれ」
「あはは。そうだね」
ナリアは少し笑った後、表情を曇らせた
「どうした?」
ナリアの変化に気付きパルが訊ねる。
「パルさ、今日迷惑じゃなかった?」
「は?」
「いや、その、無理やり連れてきちゃったし」
珍しくナリアがしょんぼりとしている。
「それに思い当たるの今? あれだけの勢いで人を引っ張り出しといて」
パルは両手を呆れたように広げた。
「だってそれが良いって思ったから! でも冷静になったら段々と不安になっちゃって。ごめんね、あたし基本考えなしだから」
わかっているなら気を付けろ。そういう思いがないと言えば嘘になる。
しかし。
パルはどうしてもそれを言葉にする気にはなれないのだった。
見せてくれたから。彼女のそんな考えなしが。いつもパルに新しい世界を。
姉が死んだときもそうだった。
あそこへ行こう、あれをやってみよう。目に涙をためながら必死で自分を外の世界へ引っ張り出そうとしてくれたナリアの姿が思い起こされる。
今回だってそうだ。一人でうじうじしているよりもどれだけ多くのものに接することができたか。
そうやって彼女は閉じこもりがちの自分の目をいつも外へと向けてくれるのだ。
彼にそれを否定することはできなかった。
むしろ今まで通りにせいぜい引っ張り回してほしいとすら願う。
そのフォローがようやく板についてきたところで、多少の失敗など『どんとこい』だ。
だから。
「気にすんな」
「あ……」
パルは最大限の感謝を、最高にぶっきらぼうを気取った短い言葉に込めて彼女に伝える。足は止められず顔もナリアの方へは向けられない。
夕日が火照った頬を隠してくれることを祈るばかりだ。
「そう悪いめ(・)が出たことないぞ? 今まで大体な。安心しろよな」
ナリアが立ち止まるのがわかった。パルは立ち止まらない。振り返りもせず歩き続ける。
「うん!」
しばらくすると、彼女に弾けるような笑みを浮かべ駆け足でパルの横へと追いついた。そして並んで歩き出す。
いつもの調子が二人に返ってくるまで、そう時間はかからなかった。