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everyday   作者: 佐倉井勝
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虚偽の関係

あの日から、私と兄との関係は止まった。顔を合わせても口を聞かない。話しかけても無視する。学校から帰っても、まるで家から逃げるように外出する日々を続けた。言葉通り、偽りの兄妹関係は凍結したのだ。

何も知らない兄はそんな私を執拗に心配した。いつも以上に優しい態度、無視する度にシュンと寂しがる兄を見て、何度も胸が苦しんだ。それでも兄と接触することを拒み続けた。

――兄が、悪いんだ。私を裏切るから…。

悲しみは絶えない。私が大切にしていた虚偽の過去が脳裏を掠める度に、言葉では言い表せない憤怒が込み上げてくる。

それでも辛うじて怒りを心の中だけで食い止められていた理由は、兄が泣きそうな瞳で私を見るからだ。

今まで幾度となく反抗してきた。無視した回数なんて数えられないし、家出じみたこともしばしば。兄はその都度、親代わりとして説教してきたし、私はうっとうしい口文句をことごとく跳ね退けてきた。そんな私を見て兄が怒り狂うパターンがいつものことだった。

…なのに、どうしてそんな顔をするの?

いつもの兄とはまるで様子が異なる。まるで私の何かを感じ取ったような、私の全てを見抜いているようで…。

偽りの日々を歩み続けた理由――私には教えられない――何かがあるのではないか。そんな疑問が何度も私を苦しめた。

これでは兄を肯定しているようではないか。許されない罪を犯した兄を、いかなる理由であれ私は許すのか?

葛藤の歯車は加速し続けた。同時に、日常の歯車も狂い始めた。

何をやっても上手くいかない。ドジの極みを貫き、失敗を重ねる。

ソフトボール部顧問には無断欠席の罰を与えられ、肝心の部活でも夢中になれない。春奈とは違和感を拭えない会話が続く。

悲しみと怒りの葛藤から解放される時間は一秒として与えられず、いよいよ私は追い込まれていった。

――そして、ついに時が来る。

崩壊しつつある日常を喪失する恐怖から逃れるため、なけなしの関係を僅かでも繋いでおこうと努力した。しかし、意思の弱い自分の限界が突破されるのに一週間と保たなかった。

DNA鑑定、春奈と姉妹の盃を交わした夜から六日後の夕食。

あれからまともに食事をしていない私に兄は「今日はちゃんと夕飯を食え」と言って聞かなかった。私も兄の鬼気迫る様子に断りきれなかった。

いざ食べようとするが、半ば強制の形で始めた夕飯だ。重い空気がリビングを覆い、思うように箸が進まない。

そんな空気に我慢がならなかったのか、兄が話し始めた。私自身もこの雰囲気を払拭するきっかけを探していたからちょうどよかった。

…とはいえ、目線は合わせない。合わせてやるものか、兄のせいで私は…。

それでも兄の話題を黙って聞いた。その話題が、私にとって最悪最低のものだった。

私がこの世で最も聞きたくない話――兄の豪遊秘話だった。

あんな娘と遊んだんだ~、めっちゃ可愛かったんだぞ~…――耳障りだ!

場を盛り上げようと無理してはしゃいでいることぐらいは察知できる。他の話題が見つからず、消去法で見つけた話題がこれだったのだろう。

嫌な汗が頬を伝った。俯いた顔を上げられない。口の中に広がる料理の味が、本来のそれとかけ離れているように感じた。そして、理性という壁が少しずつ崩れていく感覚――

この話が聞きたくなくて、私はDNA鑑定という愚行に走ってしまったのだ。そんな話を笑いながら口にする兄に、怒りではなくて恐怖を覚えた。もはや怒りを通り過ぎ、自分を見失う恐怖――

…ふざけ…んな…、ふざけんな…、ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな!

箸をテーブルに叩きつける音。速くなる鼓動。溢れる涙。心が壊れる感触。震える唇を開けたら――もう止まらない。というよりも、どうでもよくなった。

「私たちが血の繋がった兄妹じゃないって、どういうこと!?」

嗚咽が混じりの裏返った声で叫んだ。大きく見開いた瞳で兄の反応を睨みながら伺った。

すると「そんなわけないじゃないか。俺達は愛で結ばれた正真正銘の兄妹だぞっ!」なんてふざけながら笑った。――ごまかしたのだ。

怒髪天を衝くとはこの時のことを言うのだろう。兄のふざけた返事を聞いた自分の表情は、想像したくない。

私は発覚した事実を話した。。DNA鑑定を行って私たちの兄妹関係が認められなかったこと、兄の本名は《永田俊樹》ではなく《辻村俊樹》であること。

最初は威勢のよかった告白も、後半からはただかすれるような震えた声しか出なかった。自分が今何をしているのか、それを話している最中に自覚したのだ。

一方の兄はというと、眉をピクリとも動かすことなく無表情で聞いていた――が、次の一言で兄のポーカーフェイスが打ち破られる。

「私を裏切ったのね!?」

嘘をついた、隠し事をしていた――では意味が軽すぎる。私は裏切られたのだ、唯一の家族に。

兄は静かに俯いた。それが、兄なりの返事だったのだろう。私はそんな兄を見て、全身から力が抜けた。膝が折れ、床に跪く。

この瞬間から、私たちは兄妹ではなくなり――もちろん家族でもなくなった。他人同士になったのだ。

そう理解した後、私は自分の気持ちを抑える歯止めを紛失した。もう守るものはない、もう終わったんだ…ならば――と。

胸の内を澱めく感情を、全て解放した。兄に対する怒り、恨み、不満とともに。

話の道筋なんて出来ていない。もうむちゃくちゃに叫んでいた。心ない暴言、攻撃心剥き出しの罵詈雑言を連ねた。

心の奥底ではこう叫んでいた。こんなことが言いたいんじゃないと、私は兄を攻撃したくないんだ、とそう聞こえた。

本当は、兄に「そうじゃない」と否定して欲しかったんだ。あの時に兄の部屋で拾った髪の毛が兄のものではなくて、名字が異なっていたことも震災の混乱によって市役所が誤った名字を登録した――そんなあり得ない展開を望んでいたのだ。

しかし、その希望も兄の様子を見れば消滅する。それがまた許せなかった。

散々に怒鳴り付けた私は、兄に尋ねた。

「どうしてくれるの?」

主語や目的語がついていないあやふやな質問。しかし、「何が?」とは兄は聞き返してこなかった。きっと意味を理解していたのだろう。

十という間を置いた後、兄は短く答えた。

「すまん」――ただ、それだけだった。それじゃ答えになんてなってない!

私は家を飛び出した。パジャマという格好もお構いなしで、町へ駆け出した。

じっとしていられなくて、体力の限り走る。何よりあんな兄から少しでも早く遠くに離れたかった。

「信じられない」の叫び声が何度も鼓膜に伝わる。自分が知らず知らずのうちに叫んでいたのだ。

体力を使い果たし、地面に突っ伏す。こんなときに限って雨が降る。傘なんて持ってないのに。

春の夜は寒い。冷たい北風が容赦なく体温を奪う。雨が衣類に染み渡り、体感温度を更に下げる。

長くこの状態が続けば体を壊してしまうだろう。早く体を温めなければ…。

春奈に迷惑はかけられない。彼女の自宅に押し掛けるなんて無論論外だ。あの家に帰るぐらいなら、今なら死んだ方がマシだ。すると、最後に頼れる場所は――実家となる児童養護施設しかない。

二年間離れていた実家だが、場所くらいは分かる。二時間も歩き続ければ、おそらく辿り着けるだろう。この雨の中、体力が限界を迎えないか心配だが…。

私はいるべき場所に帰るため、現実から逃げるために、足を進めた。刹那、遠雷が私を照らした。

きっと私の顔は、絶望に塗り潰されているだろう。しかし、もはや慰めてくれる人は――いない。

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