バグリャに入りましょう
「うああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!」
絶叫を上げて悶え苦しむヒローズ勇者。
その右手が私たちの目の前で無数の0と1に変化して消え去ってしまった。
い、一体どういう事、なの……?
「に、人間じゃなかったんですか!? それとも、マディスさんの薬の効果で……?」
「違うよ! いくら僕の薬が後先考えない異常進化をさせる欠陥品でも、人間の腕をあんな風に分解なんてできないって……。干からびて朽ち果てるだけだよ……」
ジルはともかく、普段はマイペースというか、落ち着いているマディスも目の前の光景を見てかなり動揺している。
というか、人間の腕がいきなり0と1になって消え去るなんて、誰が想像できるの……。
「あ、ああ……! 身体が、僕の身体が崩れていくうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
「……っ!」
ヒローズ勇者の叫び声で我に返った私たちの前に、更に衝撃的な光景が。
倒れたヒローズ勇者の右足が、左手が、崩れて消滅した右手と同じように無数の0と1に変化して消え去っていく。
更に、消滅した場所から流れ出したヒローズ勇者の血液らしき物も、例外なくすぐさま無数の0と1に変化して空中へ消えた。
「こいつ……本当に人間だったのか?」
「人間……じゃないよね? どう考えても、これは……」
「けど、マディスさんの薬を使う前の姿形は明らかに……」
目の前で消えていくヒローズ勇者。
今や原形を留めていないけど、かつてはちゃんと人間の姿だった。
……最初から人の形をした全く違う生き物、だったの?
「異世界召喚なんてしたから、勇者の代わりに化け物を呼んだとかじゃないですよね……?」
「分からない……」
ヒローズが何を呼んだのかなんて、分かりようがないから……。
「死にたくない……! 僕は死にたくない……! こんな場所で、死にたくは……うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――!」
そして、私たちの目の前で、ヒローズ勇者は全身を0と1に変化させ、完全に消え去った。
普通の人間と違って遺体すら残さず消えたヒローズ勇者。彼がこの場所に居たという証は、何一つ残っていない。
仮にバグリャ軍の拠点だったバグッタへの入り口付近に勇者の装備があったとしても、バグリャ軍とヒローズ勇者の戦闘の際にまき散らされた油と炎で全部灰になって消失している。
「……行こう。今は、ヒローズ勇者の事は後回しだよ……」
人間だと思っていたヒローズ勇者の奇妙な最期。
目の当たりにした衝撃的な光景に複雑な気持ちを抱えながらも、バグリャの方へ足を向ける。
……ヒローズ勇者を倒して、終わりじゃないし……ね。
「バグリャの門、閉ざされていないですね」
ジルの言葉通り、バグリャの入り口の門は開け放たれていた。
私達を見たバグリャ軍は一人残らず死んでしまっているので、こっち側には情報はまだ来ていないみたい。
……私たちが破壊した石の高台、バグリャ軍は城壁って言ってたけど、アレがあるから安全とでも思ってたのかな?
それに、バグッタに攻めてきたバグリャ軍……バグッタを補給拠点にするつもりだった?
「……ひとまず、宿に入る?」
「そうしましょうか」
とにかく、休息しないと……。
宿に向かおう。
「おい、バグリャってこんなに木箱があったか?」
「まさか、ですよね……」
「……凄く嫌な予感がする」
宿を目指してバグリャの町中を歩いていくけど、町のあちこちに置かれた木箱に自然と目が行ってしまう。
木箱は、しゃがめばマディスでも問題なく入れそうな大きさだけど、一体何が入ってるんだろ?
やっぱり…………。
「……油なんじゃないかな? バグリャ軍が僕たちと戦った時に使ってきたアレを見たら想像はつくよ」
「そうだよね……。けど、そうだとしても何でこんな町中にまで油が……?」
マディスも私と同意見らしい。
もしかしたら、バグリャ軍は――――
「この町の中まで突破されたら、町の木箱に火を点けるのかな……?」
最悪の想像をして、背筋が冷たくなる。
けど、バグリャ軍だからやりかねないのが何とも言えないよ……。
「ま、そうなっても僕たちだけは大丈夫だよ。僕の薬とその盾があれば炎なんて恐れることないからね」
「この盾があれば炎を吸収できるし、マディスの薬があれば火矢も恐れる必要が無いからな」
……そんな展開が無い事を祈りたいけど、そうなったらまた頼るよ。
「……水の魔術でも練習した方が良いんでしょうか?」
「油相手じゃ通用しないと思うし、あっても変わらないと思うよ」
まあ、手札が増えるからやらない理由は無いだろうけど。
ただ、ここでは通用しそうにないんだよね……。
油で燃えてる炎には水なんて通用しないから。
「話してる間に宿に着いたな」
「あれ? 入口で誰かが話してる?」
対油の話をしながら宿にたどり着くと、入口で二人の女の子が話しているのが見えた。
片方は見るからに不恰好な胸の飛び出た厚手の鎧を装備しているから女の子だと分かったんだけど。
……あれって、バグッタで見かけたよね?
あんな分厚くて不恰好な鎧兜、一度見たら忘れるわけないよ。
「ねえ。この国のために戦うべきよ。それが私達の務めじゃない、アスカ?」
「パトラ……またその話?」
「ええ。何度でも私はこの話をするわ。この国は今、戦力が必要なのよ? そのために、私たちが力を貸す必要があると思わない?」
「けれど……あの子は、リックはまだ帰ってこないじゃない。そんな状況で戦いなんて不安だわ」
「あいつなんてただの荷物持ちの足手纏よ。あいつが居なくても、私達ならやれるわ!」
結構離れているけど、バグリャの町自体が静かだからかこちらまで声が聞こえる。
リック……ただの荷物持ちって言われてる辺り、あの死に物狂いで荷物を運んでた男の子だよね?
厚手の鎧兜の女――――パトラだっけ? 何かあの男の子に恨みでもあるのかな?
「まあ、私達には何も分かりませんよ。ただ、あんな人とは一緒に旅をしたくないですね」
「仲間って言うより物扱いだよね、アレは」
ジルとマディスがパトラの感想を口にする。
まあ、言うまでも無く酷い人だよね。
恐ろしい量の荷物を持たせて、荷物持ちとか足手纏って……。
「大体、アスカ、貴方は……」
「すみません。宿に入りたいんですけど」
あろうことか宿の入口に陣取って話すパトラ。
このままじゃ入れないし、どいてもらわないと……。
「え?」
「パトラ! 宿の入り口から離れて」
「え、ええ……ごめんなさい」
こっちを見て不思議そうな表情をするパトラ。
そこ、宿の入り口なんだけど……。
横の赤毛の女の子――――アスカだっけ? がパトラに声をかけるとその事に気づいたらしく、慌ててどいてくれた。
宿の中は閑散としており、冒険者も商人も見当たらない。
これなら、部屋を借りるのも問題ないかな?
「ふう……一息つけたかな?」
「まあ、本当に一息だけなんですけどね」
その日の夜、夕食を終えた私とジルは宿の食堂で談笑していた。
ルシファーとマディスは装備の調整や薬の準備があるって言って、食事を終えたらさっさと部屋に戻っちゃったけど。
「しかし、本当に人が少ないですね。これじゃほとんど貸し切り状態ですよ」
「そうだね……。ここまで人が居ないとは思わなかったよ」
ジルの言葉通り、夜……と言っても、夕食時なのに、食堂にはほとんど人が居ない。カウンターには椅子が沢山あるのに、今居るのは私とジルの二人だけ。
というか、食事の前に店主に話を聞いたけど、私達四人以外に人が泊まっているのはたった二部屋で、更に二部屋程その冒険者の倉庫代わりにしているらしい。
……本当に冒険者も商人も居ないんだ……。
「失礼するわ。店主、食事を持ってきなさい」
「席は……ほとんど貸切ね」
そんな話をしてたら、入口で見かけた二人が入ってきた。
ほとんど人の居ない宿の中なのに相変わらず分厚い鎧を着こんでいるパトラはある意味凄いと思う。
食事の邪魔になるからか兜は一応外してあり、顔はちゃんと見えるけど。
黒色の目はともかく、地味な灰色の髪をかなり短く刈り上げており、正直女の子のする髪型とは思えない。
多分、兜の邪魔になるからだとは思うんだけど……。
「隣いいかしら?」
「ええ。どうぞ」
声をかけてきたアスカ。ジルも私も断る理由は特に無いし、承諾する。
赤毛の少女――――アスカが私の左隣に座り、その隣――――私達の反対側にパトラが座る。
……椅子が嫌な音を立てて軋んだのは気のせい、だよね?
「ここってこんなに人が少ないんですか? 私達はこの町は初めてなんですが」
ジルが適当な事を言って話を切り出した。
……こっちからバグッタに行ったのに初めてって言うのはおかしい気がするけど、まあ、こう言ったら自然な話のきっかけになるよね。
「ええ。そうみたいよ。私達がこの町に来たときには既にこんな状態だったわ」
「軟弱な男をあまり見なくてすむ。これほど素晴らしいことは無いわね」
ジルの言葉に二人が返してくれた。
アスカの方は普通の話だけど、パトラの方はいきなりこの反応なんだ……。
「町中に沢山木箱がありましたよね? アレって何か分かりますか?」
「さあ……私たちが来たときには既にあったから……」
木箱について聞いたけど、アスカが来たときにはすでにあったんだ……。
バグッタに行ったとき、そして一度戻ってきたときにはあんなの無かった。
となると、ヒローズと何かあったのはその後?
「っと、自己紹介がまだだったわね。私はアスカ。北方の国、ベルツェの冒険者よ」
「何を言っているのアスカ。貴方は……」
「パトラ、私達は「ただの冒険者」よ」
「……パトラよ。同じくベルツェ出身。アスカとは一緒に旅をしているわ」
……?
何か隠してる?
「何か訳ありみたいですね。聞かない方が良いですか?」
「ええ。その方が助かるわ。あまり公言できないことだし」
ま、冒険者だったら色々あるよね。
それはそうと、自己紹介されたし……。
「じゃあ、こちらも名乗っておきますね。私はルーチェ。貴方達と同じく、冒険者です」
「ジルです。彼女――――ルーチェさんとは、冒険者仲間ですよ。後二人、同行しています」
「宿に入る時に一緒だった男の子二人?」
「はい」
二人の事は……まあ、あまり言わないでおこうかな?
このパトラって人、異常なほどに男の人を毛嫌いしてるみたいだし。
「そう。……外で見た感じだけど、あんまり、いえ、かなり軟弱そうに見えたんだけど……あんな軟弱そうな男二人、役に立つの?」
「ちょっと、パトラ! 初対面の人相手にいきなり何言ってるの!?」
うわあ…………。
今までの会話から想像はしてたけど、いきなり言われるなんて……。
ジルも絶句してるし……。
確かにマディスもルシファーも筋肉質な外見とはとても言えない。
ルシファーなんてジルより背が低いし華奢な部類に入るけど、二人とも凄く頼りになるのに……。
「ご、ごめんなさい……。この子、いつもこんな感じで……。よっぽど男の人が嫌いなのか……」
「そう言えば、バグッタで見かけたときに後ろに居た男の子は? ……何だか見てるこっちが心配になるくらい大量の荷物を背負わされてたような気がするけど……」
……途中で置き去りにした、とか?
「ここの奉仕労働に行ってもらったわ。善行はするものよね」
誇らしそうに即答するパトラ。
それを見て呆れるようにアスカが口を開く。
「……少し目を離した隙に、この子が勝手にバグリャの奉仕労働に出しちゃったのよ。帰ってくるまで旅も出来ないわ」
「勝手に……?」
え? パトラってこの一行のリーダーなの……?
というか、奉仕労働って……?
「あまりにも役に立たないから、奉仕労働で鍛えてもらうのよ。一石二鳥ね」
「バグリャのために働くらしいけど……正直不安しかないわ」
開いた口が塞がらないよ……。
このパトラって女、横暴にも程があるような……。
「貴方達もあんな軟弱な男じゃ不安じゃないかしら? 良かったら紹介するわよ?」
「その気持ちは嬉しいけど、結構です」
というか、二人が居なくなったら町に火を放たれた時に対処できないよ……。
大体、バグリャのために働くなんて何をされるか分からないし……。
「ですよね。二人が居ないとこっちまで戻ってこれませんでしたし」
「……本当なのかしら……? もし軟弱な男に騙されてるんだったら、私が代わりに前衛を務めても構わないわよ。だから」
「それは絶対に無いんだけど……」
というか、今まで旅してきて二人に騙されてるなんて感じたこと無いし……。
ホント何なのこの人……。
「パトラ……貴方ねえ、いい加減にしなさい。出会う女性冒険者全員に同じこと言ってるわよ」
「えっ……けど……」
「いい加減黙りなさい」
……話してみた感じ、アスカの方はまともなんだろうけどなあ……。
パトラが居る限り、延々と問題ばっかり起こしそう。
そんな風に考えていた時、店主がパトラとアスカの食事を持ってきた。
ちょうどいいや。私達は部屋に戻ろう。
「……それじゃ、私達は部屋に戻りますね」
「ええ。……この子が、ごめんなさい。人の話を全く聞かなくて……」
「もし軟弱な男に騙されたなら、すぐに私に言いなさい。そんな奴、叩き潰してあげるから」
「まあ、まず無いと思いますけど……それじゃ、私達はこの辺で」
何とも言えない二人組との会話を切り上げ、ジルと共に食堂を後にした。
「何なんですかあの女。会って間もない、というか、実質今日が初対面なのにいきなりルシファーさんとマディスさんを軟弱って……。少なくとも、貴方よりはよっぽど頼りになりますよ」
食堂を離れ、泊まる部屋の方に向かっている途中でジルが口を開いた。
……まあ、いきなりあの態度はあんまりだよね。
それに、ルシファーにもマディスにもずっと助けられてるし、頼りにならないはずがない。
「今日話した感じだと女の人相手ならまともらしいけど、ルシファーやマディスと鉢合わせさせないように気を付けた方が良いかな? 余計なトラブルは抱えたくないし」
まあ、ルシファーもマディスもパトラ相手に負けることは無いだろうけど……。
見た感じ明らかに脳筋の重歩兵、って感じだし、実際に戦ったら圧勝できるよね?
「当然でしょう? あんな鉄の塊に負けるわけないです。……それじゃ、部屋で休みますか、ルーチェさん」
「うん。お休み、ジル」