試合を見物しましょう
先に動いたのはパニッカーだった。
能面の左側に伸びた黒い紐が一気に振り上げられ、紐の先に括りつけられた斧が一気に上へと持ち上がる。
そして、パニッカーはその斧を一気に振り下ろした。
自分の身体……と言っていいのか分からない能面へ。
……って、ええ!? いきなり自滅!?
「な、何やってるんですか……あの魔物。いきなり自分の身体に斧を叩き込みましたよ!?」
いきなりの自滅にはジルも驚きを隠せない。
もちろん、マディスとルシファーもこの光景に呆然としている。
「いきなりの自滅攻撃! 早すぎないかパニッカー!」
実況の人の言葉には、パニッカーがいつもこんなことをしているのだという意味が込められていそうだった。
というか、実際にいつも自滅しているのかな……。
「おい! 何やってんだパニッカー! 自分を攻撃するな! 敵は向こうに居るんだ!」
「お前に20000ゴールド賭けてるんだぞ! 負けたら承知しないからな!?」
「な、何をしているんだ! いきなり自滅するんじゃない!」
「よし! イバール、今がチャンスだ! 奴を一気に仕留めるんだ!」
周りの人たちはこの展開にさっそくヒートアップしている。
というか、そのイバールは……?
「はっ、てめえなんぞ俺様が自ら攻撃しなくても勝てるってーの!」
って、余裕を見せつけて動かないよ!? 何考えてるの!?
腰に右手を当て、前に出した左手の指でパニッカーを指してそんな事を言っているけど、今はそんな余裕見せつけている場合じゃないでしょ!?
「おい! 絶叫してる場合か! 動け! お前には俺の明日の生活費がかかってるんだぞ!? 勝ってくれないと困るんだ!」
「絶叫するより前に攻撃しろ! 敵を殺すんだ!」
って、生活費賭けてる人までいるの!?
賭け事に生活費まで賭けてるなんて明らかにやりすぎだよ!
「ギリギリギリ……キシャアアアアア!!!」
パニッカーに賭けてる人たちの思いが通じたのか、パニッカーが振り上げた二度目の斧はちゃんとイバール目がけて振り下ろされた。
見ているだけだからはっきりとは分からないけど、大振りの斧の一撃は明らかに殺人級の破壊力を持っている事だけは確信できる。
そんな一撃が余裕を見せつけて動かないイバールに叩き込まれた。
一応急所は外したみたいだけど……。
「グギャアアアアアアア!!?」
鮮血を吹き出し、吹き飛ぶイバール。
その胸元から腹部にかけて、大きな切り傷が刻まれていた。
当然、噴水のように血が噴き出してイバールの周囲を真っ赤に染め上げていく。
「こ、この程度の傷、別にどうってことねえし! 俺様は強いから、もっと食らっても全く問題ねえし! 大体、攻撃しなくても俺様勝てるしな!」
今度は明らかに攻撃を食らって結構な痛手を被っているのにまだ余裕見せつけてるよ!?
本当になんなのこの魔物!?
いくら呪いのせいだとしても、馬鹿にもほどがあるよね!?
「絶叫ばっかりで何が何だかさっぱりです」
「どこが余裕なんだ? 雄叫びを上げてるだけだよな?」
「だよね~」
……私の耳にはイバールがひたすら余裕を見せようとしてる声が聞こえるけど、皆には聞こえないの?
じゃあ、あれは魔族なのかな……?
ヒローズで戦った魔族と違って全然強そうには見えないけど……。
「ハッ……!? ま、負けられん! こんなところで俺は死ねん!」
このまま何もしないのかと思ったら、いきなり雰囲気が変わったイバール。
血が噴き出す胸の傷に手を当て、何やら唱え始める。
すると、イバールの胸元から吹き出す血が止まっていき、傷跡が無くなっていく。
……まさか、治癒術?
「おっと! パニッカーの一撃で受けた傷が消えました! イバール、治癒術を使用したようです!」
対戦や決闘で片方だけ回復が出来たら非常に有利になるよね。
「まだまだぁぁぁぁ!」
「イバールが正気に戻ったぞ! これで勝てるな!」
「くそっ! 負けるなパニッカー! その大斧をもう一度叩き込むのだ!」
イバールが自分の怪我を治療したことで試合は振り出しに戻った。
……そういえば、パニッカーは何をしてるんだろ?
「カタカタカタカタカタカタ……!」
パニッカーは能面の前に斧と盾を構えて空中で震えているように振動している。
まさか……。
「ああっと! パニッカー! 何故か怯えて動きません! やはり錯乱している! というか、正気に戻れない!」
今度は怯えて動けないの!?
いくら錯乱しているからって、戦いの最中なのに怯えて動けないって……。
って、パニッカーが怯えている間にイバールの方に動きが……。
「この魔術で一気に終わらせてくれる! 光と闇の極限魔術、とくと見るがいい!」
「おっと! イバールの様子が変わったぞ! これはあれが来るか!?」
直後、イバールが左手に抱えた魔術書を開き、何やら詠唱を始めた。
イバールの言葉からすると、あれが噂の……?
でも、詠唱を始めた直後に呪いの煙がまたイバールに……。
煙がどんどん頭に吸い込まれていって……あ。
「……いや、こんなものなど無くても余裕だな! 使う必要も無いわ! 俺様は余裕を見せてるだけで相手が屈服するほど強いしな!」
呪いの煙が頭に吸い込まれていった直後、詠唱を止めて余裕を見せつけてしまうイバール。
あの魔術書……もしかして全く役に立たないんじゃ……。
いくら強力な魔術を使えるようになるとしても、あれじゃ使い物にならないよ……。
「ルーチェさん……あの魔物戦う気あるんですかね? さっきから吼えてばかりで戦う気が感じられません」
イバールの様子を見ていたジルが呆れた様子で聞いてきた。
た、多分、呪いの煙に纏わりつかれなければちゃんと戦えるんだよ!
一瞬正気に戻った時はちゃんとやる気だったし!
「あの魔術書を手に入れれば戦闘でかなり使えるんじゃないかと思ってたんだが、見ている限りさっぱり使い物にならないな……」
「あれだけふざけてたらしょうがないよ。というか、僕はあれを活用する方法が知りたいよ」
ルシファーとマディスもイバールを見て完全に呆れかえってしまっている。
実際、呪いの煙が見えない上に、イバールの言葉が全く分からないんじゃ、イバールがやる気になったと思ったら即座にふざけているようにしか見えないよね……。
私には何故か呪いの煙が見える上にイバールの言葉が分かるから、イバールがどんな状況なのかしっかり分かるけど……。
「くそ! ふざけんな! 真面目に戦えイバール!」
「行動しようとした途端に余裕を見せつけやがって! 今度こそお前に賭けた金は払ってもらうぞ!?」
「わしはお前に25000ゴールドも賭けてるんだぞ! わしの金を増やさねば承知せぬぞ!」
もちろん周りの人たちからはイバールの行動に対し、怒りの声が飛び出している。
これじゃイバールに賭けても当たらないよね。
最初の戦闘で出てきたオルスがどれだけまともだったのかがよく分かるよ……。
まあ、オルスも戦う事は出来ても、肝心の攻撃が呪いの煙に邪魔されて一発も当たらなかったんだけど……。
「カタ!? カタカタカタガタガタガタ!!」
まともに戦おうとしていない(ように見えてしまう)イバールに観客が野次を飛ばしているけど、パニッカーも悪い意味で負けていなかった。
混乱が解けないらしく、今度は斧と盾を空に放り投げて捨てようとしている。
もちろん、投げ捨てようとした斧と盾は呪いのせいでパニッカーの身体から外れない。
そのため、捨てようとした斧と盾に引っ張られるようにパニッカー自身も空に引っ張られてしまった。
パニッカーは元々浮いているから影響は全くないけど。
「何をやっているんだ! どうせ外れないんだからその斧で殴るんだ!」
「貴様は自分が身に着けている呪いの装備品を外せるなどと思っているのか、パニッカー!」
「パニッカー! 外せるのは敵の身体だけなのだぞ!? 分かっているのか!?」
パニッカーの突然の暴挙に対し、パニッカーを応援している人達から野次が飛ぶ。
……錯乱してるし、多分聞こえていないと思うんだけど……。
「……この試合、本当に決着がつくんでしょうか?」
真剣に見る気も無くした様子のジルが不意に呟いた。
……そういえば、時間制限とかあるのかな?
「さあ、そろそろ試合開始から2分が経とうとしています。あまりに長引くと、また没収試合になってしまいますよ!」
「ええい、くそ! このままだと、またしても無効試合になりかねん……!」
「双方倍率50倍のギャンブル試合だけにいつか決着がつくと考えているのだが……!」
「このままだとまた没収試合になるぞ! 動け! 動くんだ! どっちでもいい! 戦う意思を見せろ!」
って、本当に没収試合とかあるんだ……。
まあ、賭博だから、胴元が儲かるようにできていないとおかしいけど……。
「賭けなくて正解でしたね、ルーチェさん」
「……まあ、これじゃ戦えないだろうしね……」
イバールは魔術書を使った詠唱をしようとした途端に呪いの煙が頭に纏わりついたり入って来て余裕を見せつけてしまうし、パニッカーの方は常に混乱していて何をするのか分からない。
勝負以前の問題だよ。
「しかし、よくこんな試合に賭けようと思えるな」
「私達みたいに情報を知らないわけじゃないのにね」
そりゃ、私達みたいに初めて来た人なら、どんな動きをするのかも全く予想できなかったりするからとりあえず賭けてみることはあるかもしれないけど……。
「カタ、カタ、カタ……」
「おっと、パニッカーの様子が変だ! ……あれは……ふて寝か!? 戦闘中にもかかわらず、熟睡しようとしているぞ!」
受付の声で再び視線をコロシアムに戻すと、パニッカーが空中で止まってしまったように動かなくなってしまっている。
そして、あろうことか能面の目の部分から鼻提灯らしき物が出て空気を入れている途中の風船みたいにしぼんで膨らんでを繰り返している。
……錯乱してるからって、戦闘中に寝るなんて……。
「はっ! とうとうこの俺様に恐れをなしたか! そうだ! 貴様は俺様の前に屈服する運命なのだ!」
空中で固まったパニッカーを見て、イバールは完全に勝利を確信したような余裕を浮かべている。
……いや、だから攻撃しようよ……。
「ええい! どうしてどっちも動かないんだ! このままじゃ私の金が……!」
「パニッカー! 貴様に賭けた金、どうしてくれるんだ!」
「俺の金を返しやがれ!」
「イバール! 手前少しは働きやがれ! 動くふりだけしてれば許されると思うな!」
「ふざけんな! 戦え! 遊ぶな!」
当然、この事態に観客席からはブーイングの嵐が。
受付の人も没収試合になるかもと話してたし、本当に没収されちゃうのかな?
「このまま終わってしまったら本当に見せ場も何もありませんよ。ルーチェさん、どうにかなりませんか?」
「私に言われても……」
まさかここまで盛り上がりに欠ける試合になるとは思わなかったよ……。
というか、幸運強化のおかげか勘は当たっているけど、試合の内容までは私には全く読めないよ?
未来予知が出来るわけじゃないんだし。
「呪いの装備の勉強にはなりそうだけど、見てると尚更戦闘では役に立たない、って実感できてしまうよね。あの斧も魔導書も、需要が一切感じられないよ」
「まあ、加護じゃなくて呪いだから……」
それにしても、どうして呪いなんてつけたのかな?
あの余裕の呪いの魔導書、普通に使える物だったらきっとすごく役に立ちそうなのに……。
まあ、嘘かもしれないけど、光と闇の合成魔術なんて実在したら、本当に強力だと思うよ?
「きっと作った人は、デメリットも無しにこんな強力な物を扱えるなんておかしい! とか思ったんでしょうね。それか、単に魔物が作った罠だったのか」
「それにしては行きすぎなくらいに呪いが発動してるよ……」
だって、文字通り最初から最後まで全く身動きが取れな……あれ?
パニッカーの能面から出てた鼻提灯? が無くなってる?
それに……イバールの様子がまた変わって……。
「さあ、もうすぐ試合時間が切れ……」
「カタカタカタカタカタカター!」
「な、何だ!? パニッカーが急に……!」
「いきなりパニッカーが動き出した!?」
突如パニッカーの叫び声? が聞こえたと思った直後、猛り狂ったパニッカーが斧を構えてイバール目がけて突っ込んでいく。
能面の奥には真っ赤に輝く怪しい光が煌めいていて、その光は殺意に満ちている。
その殺気は、先ほどまで錯乱して妙な行動をとっていた魔物と同一の魔物とは思えないほどだった。
一方、イバールの様子も先ほどまでと一変しており、余裕を一切感じさせない冷静な瞳をパニッカーに向け、静かに立っている。
イバールがパニッカーを見据えて右手に抱えた魔術書を開き、詠唱を始めても、呪いの煙はイバールに纏わりついてくる気配が無い。
「これで終わりだ! 光と闇の狭間に消えろ! 極光の光、深淵の闇、混ざり合いて絶望をもたらす破壊の閃光となるがいい!」
「詠唱!? しかも魔力が……な、何この威圧感!?」
イバールが本を開いて詠唱を始めると、本から白と黒の光が吹き出し、イバールの魔力を吸い上げて魔術が発動し始める。
イバールの右手の本から噴き出した二色の光が螺旋を描くように上空に飛ぶことで魔力が渦を巻きはじめ、魔力による威圧感が観客席まで伝わってくる。
い、今までのふざけた試合は一体何だったの!? 急展開すぎるよ!
「あっと!? 試合終了寸前でまさかの急展開が!? 呪いの装備品のなんと気まぐれな事か! 両者、突如として好戦的になりました!」
「良いぞ! 行け! イバールを倒すんだパニッカー!」
「イバール! そのまま詠唱を続けろ! お前の力を見せつけてやれ!」
「一撃で決めてやれ! もう時間は無いんだ! 決めろー!」
突如として好戦的になった二匹。
先ほどまで試合を諦めていた観客達は一転、自分の賭けている魔物に必死に声援を送る。
「深淵と光の極光! ルクスダーク!」
「イバールの最強魔術、発動しました! 発動するのは、一体いつ以来なのか!? しかし、パニッカーの攻撃が早いか!? これは、一体、どうなる!?」
イバールの魔術が発動し、コロシアムの上空に出現した魔力の渦から禍々しい灰色の光が放たれた。
直後、イバールに急接近したパニッカーの大斧が、イバールの首を狙って横薙ぎに迫る。
詠唱を終えて魔術を放った直後のイバールは動くことができず、パニッカーの斧によって文字通り、首を斬り飛ばされてしまうことになった。
イバールの首が叩き落とされ、切断された首から噴き出した血がパニッカーの能面を真っ赤に染める。
ここで終わればパニッカーの勝利になる。けど、イバールが放った魔術は止まらない。
イバールの首を斬り飛ばした直後の無防備なパニッカーの真上から、灰色の柱のような魔力が襲い掛かる。
魔術を避けそこなってしまったパニッカーの身体は文字通り、装備品ごと塵一つ残さず破壊されてしまうことになった。
破壊の極光とでも形容できそうな灰色の奔流が消え去った時には、コロシアムにはイバールもパニッカーも、彼らが装備していた呪いの装備品すら、最初から存在していなかったかのように残骸すら残さず消え去っていた。
呪いのせいとはいえ、毎ターン余裕を見せつけた結果がこれだよ!
なんとグダグダで盛り上がらず、面白みに欠ける試合だ。とても戦闘してるとは思えない。これだから強者(弱者)の余裕は(ry