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彼女は『わたし』に気付いてくれた。久しぶりにわたしは、わたしの名前を呼んでもらえた。
そして彼女は、わたしのことを許してくれたんだと思う。偽りだらけのこの姿を、彼女は認めてくれた。
わたしは自然な自分を、彼女の前に少しずつ出すようになった。それでもわたしはやっぱり、純として生きようとしていた。
それは彼女も知っていた。だけどもう、何も言わなかった。
わたしはきっとこの先、純として生きていくのだと思う。彼女が死んだら、わたしの中にわずかに残っていた翠も死ぬ。そんな気がした。
冬、私の体調が悪化し始めた。私は痛む身体に鞭打って、いつものように墓参りに行った。彼女は先に来ていて、こちらに向かって笑顔で手を振ってきた。黒のジャケットに、灰色のマフラー。厚着をしても、彼女はやはり華奢だった。
「凛!!」
彼女は私の名前を呼ぶと、いつもの笑顔で近づいてきた。 その笑顔を焼きつけるように見る。彼女の笑顔は、本当に綺麗だった。
「…大丈夫?顔色悪いけど」
「…うん」
私は近くにあったベンチに腰掛けると、言った。
「多分、もうここには来れない」
彼女の顔が歪んだ。私の一言で、すべてを悟ったようだった。悲しさを押し殺すかのように、彼女は明るい声を出す。
「それじゃあ、美人なあたしの顔を最期の思い出としてしっかり見て行ってね!」
「あはは…本当に」
私は笑いながら、彼女の顔を見た。もうちょっと彼女のそばにいれたらよかったのに、と思う。私が死んだら、彼女はまた『純』として生きていくんだろう。
いつの間にか、彼女は私の居場所に、そして私は彼女の居場所になっていた。
「次会うときは、多分私はそこにいるから」
私は、自分の家の墓を指さして言った。最期の入院先を彼女に教えるつもりはなかったし、彼女も訊こうとはしなかった。
彼女は墓の方を振り返って、困ったように笑った。
「何か供えて欲しいものはある?アイスは溶けちゃうからあげられないけど。立派な花ならちゃんと持っていくから…」
「純は来ないで」
私がそう言うと、彼女の顔が曇った。その顔を見て、私は笑う。今の自分にできる、精いっぱいの笑顔で。
「純じゃなくて、翠に来てほしい。初めの一回だけでもいいから」
それを聞いた彼女は一瞬驚いたようなそぶりを見せてから、眼を細めて笑った。
「…分かった」
その眼から涙が一粒、零れて落ちた。