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「交通事故で死んだのは、純の方だった」
彼女は、低い声で話し始めた。
「姉さんはね、すごく素敵な人だった。なんでもできるの。勉強も、スポーツも。性格は明るくて、魅力的。同じ双子だとは思えないくらい」
話しながらも、彼女は両手で花を供えていく。
「姉さんが死んだ時、一番ショックを受けたのは母だった。母は、姉さんを…姉さんだけを愛していた。姉さんが死んでから、母は泣き続けたわ。何日も何日も泣き続けて、自殺までしようとしたこともある。それくらい、母にとって姉さんは大切な存在だった」
彼女は、私の方を見ていなかった。墓石の方も見ていなかった。何もないところにある、彼女にしか見えない何かを見ていた。
「そしてある朝、母はわたしに向かってこう言ったの。『おはよう、純』って」
そう言うと、彼女は嗤った。その笑顔は、純のものではなかった。
「母にとってはね、死んでも良かったのは鈍臭かった翠の方なの。純は大切だった。だから母は、わたしのことを純だと思いこんで、死んだのは翠ってことにした。そういう魔法を、母は使った」
笑っちゃうでしょ?と言って、彼女は笑った。私は、笑えなかった。
「父は何も言わなかった。見て見ぬふりよ。わたしは、もしも姉さんが死んだという事実を母が再び目の当りにしたら、そしたらまた自殺してしまうんじゃないかって怖くて仕方がなかった。だから、翠としての自分を殺した。わたしもね、自分が純になる魔法をかけたの」
その声には、何の感情も感じられなかった。ただただ、思い出したことを声にしているだけのようだった。
「勉強もスポーツも。見えないところで頑張ったわ。姉さんみたいにできるように。性格は明るくて、笑顔で、優しい子で。そういう子になりきった。中学を卒業した途端、母は私を家から出してくれなくなった。母はね、足が不自由なの。だから一緒に出かけることもできない。自分の手元に『純』を置いておきたくて仕方がなかったのよ。一度失った『純』を、再び失うことを恐れた。だから家に閉じ込めようとした」
蝉の鳴き声がうるさいくらい聞こえている。彼女の声はか細く、かすれていたはずなのに、何故か蝉の鳴き声よりも大きくはっきりと聞こえた。
「家にいるとね、翠と呼んでくれる人はもう誰もいない。学校の友達とも連絡を絶ったわ。そうしてわたしは完全に、『純』になった。
…だけどね、外の空気は吸いたかったの。だから翠の墓参りに行く優しいお姉さんのふりをして、毎日ここに来た。それだけ」
彼女はそこまで言うと、いつもの笑顔を作った。純に、戻った。
「滑稽でしょう?わたしは自分を殺してでも、母には生きていてほしかった。そして、『翠』を殺して『純』の偽物になってでも、わたしはこの世界で生きていたかったの」
身体にまとわりつくような、生ぬるい風が吹いた。彼女は私の方を見ると、
「なんか空気が重くなっちゃったね。ごめんね」
と少し明るい声で言った。その声のトーンも、笑顔も、私の知っている『純』だった。だけど、
「翠も、生きてるのね」
私は彼女の瞳を見つめながら言った。その瞳には、純にはない影があった。
「そうだね。わたしは翠も捨てきれていない。本当の翠を隠して、純として生きてる。わたしは何者なんだろうね。ほんと、ゴチャゴチャ…」
そう言い終わると、その影を隠すように彼女はうつむいた。小さな肩が震えている。私は持ちっぱなしだった雑草をゴミ袋に入れると、立ち上がった。
「私はね、『あなた』のことが好きだよ。純でも、翠でも」
彼女が顔をあげた。目は赤く充血している。
「だから私の前では、純でも翠でも、どっちでもいい。自然なあなたでいてほしい」
彼女の顔が歪んだ。泣き出しそうになるのを必死にこらえて、彼女は笑ってみせた。
「純はね、何があっても泣かないんだよ。だから、あなたが死んでもきっと泣かない」
「翠は?」
私が尋ねると、彼女の表情が一瞬だけ消えた。
「…分からない。いままでずっと、翠としての自分は押し殺してきたもの」
そう言ってまた笑った彼女は、純を演じることに必死になっているように見えた。