3
大学やバイトで知り合った人たちのアドレスを、すべて消去した。もとからそこまで親しい仲でもなかったし、もう会うこともないだろうと思う。少し話しただけでアドレスを交換する、それが友達の合図。削除しても胸が痛まないくらいの、薄っぺらい友達の証拠。私はすっからかんになった携帯のアドレス帳を見て、笑った。
私の携帯に残ったアドレスは本当に遠い親戚のものと、小・中学校の間に親しかった友人一人だけ。だけどこの友人は今、カナダに留学している。連絡を取るつもりは、ない。彼女が私の死を知るのは、大分後のことになるんだろう。
いっそ、携帯を解約してしまおうかと迷った。けれど解約しなかった。
なんだかんだいって私も、形だけでも世界と繋がっていたかったのかもしれない。
彼女と再会したのはあれから1週間後、場所は墓地だった。
墓を洗おうと水を汲んでいるとき、後ろから脇腹をつつかれて
「ひゃあ!」
変な声を出して振り向くと、そこにニヤニヤした純が立っていた。
「ひさしぶりー」
立派な菊の花束を手に持った純は、太陽の下で見るとますます白く見えた。
「本当によく来るね、凛は。あたしが知ってる限りでは、これだけ何度もお墓参りに来る若者はあたしと凛くらいだよ。ご先祖様も喜んでるよー、きっと」
うんうんと頷きながら純。そんな純を見て思わず、
「純、仕事とか学校とかは?」
と訊いてしまった。純は首を横に振ると、苦笑した。
「なにもしてないの。ニートみたいなもの」
純は持っている菊の花を、まるでマイクのようにこちらに向けた。
「凛は?」
「私は…私も一緒だよ」
「そっか、へへへ」
二人とも、それ以上何も訊かなかった。
私の家の墓と、純の家の墓は少し離れていた。純が立派な花を供えて手を合わせている様子を遠目に見ながら、私は墓の掃除をした。夏だから、すぐに雑草が生えてくる。私は汗をぬぐいながら、ひたすら雑草を抜いた。じりじりと照りつける太陽に蝉の鳴き声が混ざって、とにかく暑苦しい。
雑草の処理を終えて私がため息をついたのと、
「アイス食べない?」
後ろから純が声をかけてきたのは、ほぼ同時だった。
寺の近くにある昔懐かしい感じのする駄菓子屋さんで、アイスを買った。私はバニラ味のスティックアイス、純はソーダバーを選んだ。近くにあるベンチに二人で腰かける。
私のスティックアイスを純はじっと見つめてから、ふっと笑った。
「それ、おいしいよね」
「純もこれにすればよかったのに」
純はソーダバーをかじると、首を横に振った。
「そのアイスが好きなのは、あたしの妹の方なの。あたしはクリーム系のアイスより、シャーベットとかそういうやつの方が好きだから」
シャクシャクとアイスを食べながら、純は綿菓子のような入道雲を眺めていた。
「純、妹いるんだ」
暑さのせいでアイスが溶けるのが早い。私は急いで食べながら、純に話しかけた。
「うん。実はねー、双子なの。一卵性だから顔もそっくりの」
「へー。ちょっと会ってみたいかも」
「そこにいるよ」
純は食べていたソーダバーを、墓の方に向けた。だけどそこには誰もいない。
「…え?」
「お墓の中。…もう死んだの。子供のころに」
時間が止まったような気がした。蝉が急に鳴きやんで、駄菓子屋の玄関先につるされていた風鈴がチリンとなる音が大きく響いた。純は先ほどと変わらない様子で、入道雲を見ながらアイスをシャクシャクと食べている。
「あ…。ごめん」
「なんであやまるの」
純が笑った。最後の一口を食べると、ため息をついた。
「もうずいぶん前だよ。10年前。交通事故だった。傷は大したことなかったんだけど、打ち所が悪かったんだって」
食べ終わったアイスの棒を、ポキンと折る。純の顔と声が、少しだけ暗くなった。
「そっか…」
なんて言えばいいのか分からなくなって、私は無言でアイスを食べた。何を言っても、なんの慰めにもならない気がする。蝉がまた鳴きはじめて、騒がしくなった。
「…凛、兄弟は?」
純が明るい口調で訊いてきた。気を遣わせてしまった、と思う。
「いないよ。両親ももう死んでるから、いまは一人暮らし」
「そっかー。だからよくお墓参りに来るんだ?」
「そう」
大学もバイトも辞めてしまった今は、墓参りくらいしかやることがなかった。
余命を宣告されてから1週間、ほとんど何もせずに過ごした。大学もバイトもない生活。ゆっくり休みたいとか遊びたいとか色々思っていたけれど、いざとなってみるとやりたいことなんて何もなかった。毎日毎日、時間が過ぎるのをただ待った。毎日毎日、自分がどんどん空っぽになっていくようだった。
だからちょっと外出してみようと思って、また墓参りに来た。両親のためというよりは、自分のためだった。
「だけど純は毎日来てるんでしょ?えらいよ」
そう言うと、純は苦笑した。少し困ったような顔。
「ていうかね。あたし、お墓参りの時しか外に出るのが許されてないんだ」
「え?」
「お母さんがすっごく過保護でね。大学にもバイトにも行かせてもらえてないし、お墓参り以外の用事で外に出ることは認められてないの。だから、墓参りすることくらいしか気分転換できるものがないんだよ」
冗談でしょう?と言おうとしたが、純の顔を見て辞めた。少しだけ悲しそうなその顔は、その話が本当だと物語っていた。
「お墓参りに行くふりをして違うところに遊びに行くことだって、本当はできる。…もうさ、二十歳も過ぎてるし、家を出ることだってできるのは知ってるんだ」
純は立ち上がり、また空を見上げた。
「だけど私は、出ようとしないの」
青い空の中を、大きな鳥が飛んでいた。