ハピキノ
ハッピーになるキノコ、通称ハピキノ、というものがあるらしい。
なんでも、そのキノコを食べると、人間が普通に生きていては到底味わえないほどの多幸感に包まれるだけでなく、瞬く間に世界の真理に到達して、さらに尚、それを受け入れるだけの精神的余裕も身に付けてしまって、人生がとても楽しくなるーーとのことだった。風の噂でそれを聞いた私は、いてもたってもいられなくなり、すぐさまハピキノが群生しているという、ジャングルの奥地へと向かった。ジャングルの奥地までの道のり。それは途方もなく長かった。三つ目のライオン、大木を飲み込むほどの大蛇、永遠の迷いの森、灼熱地獄の砂漠。数え切れないほどの困難があった。しかし私はそれを全て突破して、その場所にやってきた。
全ては、ハピキノを口にして、幸せになるためーー。
ーー私は昔から、気が弱かった。
高校時代、クラスの人間にいじめられた。それがきっかけで、引きこもりになった。父親は、私を叱った。私を殴って引きずり回し、家から追い出そうとした。しかし母親はそれを止め続けた。そういうことがあるたび、私を庇った。こんなどうしようもない息子でも、やはり自分の腹から産み落としたものだから、人並みに愛着があったのかもしれない。しかしそんな生活が続き、母親はやがてノイローゼになって、程なくして死んだ。父親は母親が死んでから、めっきり生気が無くなり、やがて酒に入り浸るようになった。そしてこの前、父親も死んだらしい。私は、最近までそのことを知らなかった。私はずっと、父親がリビングで倒れていることにも気付かず、平日の昼間から家の金庫の金をくすねて外出し、コンビニで食料を買って、最低限の食事をして、寝るだけの生活を続けていたのだ。ある日コンビニに行こうと部屋を出た時、家から腐臭がしていることに気付いて、そこでようやく父親の死体に気付いた時、私はその場で吐いた。そして、吐ける感情がまだあったのかとも、同時に思った。その日、私の中で最後の糸が切れた。もう、良いや。何もかも。
狂おう。
狂ってしまおう。
ジャングルの奥地に着いた時、豊かな南国特有の自然と共に、つんと鼻をつく匂いがした。それはどこか、懐かしい匂いだった。その匂いに導かれるように、私は草木をかき分け、進む。ジャングルの、さらに、奥の奥へ。そして最後のツタをかき分けた先、視界が開けてーー
その先にあったのは、家のベランダくらいの、広場だった。
そこには赤く鮮やかな色で、渦巻き模様のキノコが、たくさん生えていた。
遂に見つけた。間違いない。
あれこそが、ハピキノーー。
感動もそこそこに、私はしゃがんで、一本のキノコをつまむ。力を入れると簡単にとれてしまうそのキノコの、傘の独特な渦巻き模様を、私はじっと見ていた。
それを見ていると、心地よい気分になる。
心がどんどん晴れて、すーっと視界が澄み渡っていって、全部、上手くいくような気がして、衝動のまま、全部自分のやりたいことを、やってしまっても良いんだって、心の底から思えた。
私はキノコの渦巻きに見惚れ、顔を紅潮させながら、ゆっくりとキノコを口に運んでいく。
ーーああ。
私は今から、幸せになれる。
幸せ。幸せ。幸せ。
幸せに、なれるんだーー。
キノコの傘に歯を立てて、一気に噛んだ。
口に含んで、噛み締める。
ぐちゃり、
と、生々しい音がする。
むせかえるほど強烈な、生命に似た味がした。
ぐちょ、ぐちゃべしょ、ぐちゃ、
ぐちゃ、ぶち、ぐちょ、ぐちゃ…
美味しい!美味しい!美味しい!
ジャングルの奥地で、私は狂喜乱舞して、視界をぐるぐると回して、手足を出鱈目に動かして、そして、涙を流して…。げらげらと笑いながら、幸せの渦に、溺れていった。
幸せ!幸せ!私は今、何物にも変え難い、幸福を手にしている実感がある!これ以上の幸福なんてあるものか!あってたまるものか!全てを理解した!世界とは、こういうことだったのか!最低だな!あはは!あはは!なんて面白いんだ!面白すぎて腹がちぎれそうだ!いや、実際腹をちぎっているのは、私の方なんだが!あはは!キノコ。キノコキノコキノコ!もっと食わせてくれ!もっと!もっと!もっと!
私はハピキノを取りまくり、食べ続けた。
美味しくて、懐かしくて、かつては愛されていて、
そして今、理性の壊れた獣のように、愛していたのだった。




