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旅のすゝめ

 一人旅というものは常に危険を伴うことになる。

その危険というものは野盗であったり、獣であったりと様々だが共通するのはどれも死の危険を孕むということである。

妙なものを食べて腹を壊したり、軽い病気をしただけでも命を落とすきっかけになりかねない。

だから一人で旅をする人間というのは大抵護衛を雇うことになるのだが、これも難しい。

そのような事態に対処できる人物は兵士くらいしか居ないのである。

しかし兵士は国の戦争のために日々訓練を積んでいるので護衛を受けることはできない。

そうすると次は野盗と紙一重の傭兵くらいしか雇うことはできず、護衛に身包み剥がされて殺された

などという本末転倒な事態が起こってしまうこともままあるのだ。

 国王常備軍でない非常備軍の傭兵は常に酒場で仕事を待つことになる。

今日は傭兵は僕以外には誰も居らず、上手くいけば仕事にありつけそうだった。

一ヶ月ほど戦争があり、それに駆り出されていたためにやっとこさ今日この酒場に戻ることができたのだった。

ここ最近の仕事事情はわからないが、戦争のお陰で商人や旅人の護衛を受けることができるかもしれない。

物資の移動が激しくなり、また戦争後は治安の悪化があるから護衛を雇う他なくなるというわけだ。戦争様様である。

 不意に、店のベルが鳴った。

だが妙なことにいらっしゃい、と店主が言いかけた瞬間店主は顔をしかめてそっぽを向いてしまった。

店主に嫌われる客とは珍しい。よほど問題を持ち込む客なのだろうか。

一瞥してみたが外見は好青年であり、そんな人間にはとても見えない。

どちらかと言えばこの酒場には相応しくないようにも思える。

「あなたは、傭兵ですか?」

 想像した通り、明るくはきはきとした声だ。

「よくわかったね。 あまり傭兵には見られないのに」

「ここに変わり者の傭兵が居ると聞いたものですから。

毎日ここへ仕事の依頼に来ていたんですが、全員に断られてしまって。

そして全員が口を合わせて、"奴に頼め"と。 それで貴方のお話を聞きましてね」

 自分が言っていることが失礼だと自覚していないタイプのようである。厄介だ。

「まぁ、僕の人となりに関してはどうでもいい。 肝心の仕事内容ってのを教えてくれないか?」

「ええ、わかりました」

 青年は大きく息を吸い込み、緊張した面持ちでその一言を発した。

「"ユートピア"までの護衛をお願いしたいのです」

 瞬間、確実に場は凍りついた。

僕自身にとってもその言葉はまったく不可解であり、多少の混乱があったように思う。

 ユートピアとは、理想郷のことである。

遥か昔、名君が叡智を持って治めた夢の国があった、だが何故か一夜で廃墟となってしまった、というよくある伝説の一で

度々その真偽を調べるための探検隊が組まれていたが一切の成果は無く、存在の欠片すら見つかることは無かった。

この種の話というのは常に物好きな民衆達の格好の話の種となり、どこかにユートピアが存在すると信じきる熱狂的な人物を生み出している。

「その話はもうやめろと言っただろう! ほら吹きめ!」

 この話のせいで連日口論があったのだろうか、店主はウンザリした様子で怒鳴りはじめた。

なるほど、この言葉を聞けば馬鹿にされているとでも思うのが普通だ。

傭兵はだいたいがシビアな人物で、御伽噺のようなものは信じないタイプが多い。

この話は一般人ですら一蹴する人が大半なのだから尚更である。

「おやっさん、そう怒鳴るなって。 詳しく聞いてもいいか?」

 こんな好意的な反応をして貰えるとは思いもよらなかったのだろう、青年は顔を輝かせていた。

店主は呆れ顔で口を閉じている。

「皆さん疑うんですが、確かにユートピアは存在したのです。 ここから遥か西という情報だけしかありませんが……」

「随分と不確定な情報しか持っていないのに疑わないんだな」

「それは、理由があるんです」

「その理由ってのは?」

 そこで初めて青年の顔が俯いた。

この手の反応は大抵否定の言葉が出てくる前触れである。

「今は言うことができませんが、報酬は出します。 お願いします!」

 と言って彼が差し出したものは親指大ほどの宝石だった。

鮮やかな赤色をしているが、どうも知っている赤色の宝石とは発色の違いがある気がする。

僕の知らない宝石だろうか。

「まぁ、いいよ。 純粋にユートピアってのがどんなもんか気になるしね」

 宝石をポケットに仕舞い込んで席を立つ。

彼は若干その行動に呆気に取られていた。こんなに簡単に受けて貰えるとは思わなかったのだろう。

「あ、ありがとうございます!」

 深々と頭を下げてお辞儀をする姿を見て、少し笑った。

こんなに傭兵に礼儀正しくする奴なんて見たことがない。

世間知らずなのだろうか、はたまた人が良いのかわからないが、そこそこ楽しめそうな依頼人が来たものだ。


 適当に日持ちのする食物と地図を買い、旅の準備を済ませるとその日の昼のうちに出発することにした。

本来ならもう少し段取りを踏むのだが、行き先がはっきりしない以上あまり時間をかけても無駄だからだ。

春先であるためとてもいい陽気であり、暫く天気は持ちそうである。

問題はこの町以上に西の方角へ進んでいくと、あまり町が存在しないということである。

そしてとある村を境に地図は途切れ、その先はまったくわからないのも問題だ。

町から食料の供給が受けられないようなら狩りも視野に入れなくてはならない。

 だが肉ばかり食べているのも良くないようで、体のむくみを起こしたり突然歯が抜けるという恐ろしい病気を引き起こすという。

これを防止するには野菜や果物を取ることが良いと言われているのだが、それらを調達することは旅の途中では至極難しい。

本当に野菜や果物が得られないときは、毒の無い草木を齧ることでその用を満たすこともある。

それを説明したとき、青年は大層嫌そうな顔をした。

無理もない。僕だって嫌だ。それがないことを祈るばかりである。

 日が落ちて完全に夜の帳が下りると、そこで焚き火をして食事にする。

食事は葡萄を干したものと、牛肉を干したものと、カラカラに乾いたライ麦パンである。

旅の食事とは味気のないものだ。実に嫌いだ。しかし戦争の糧食よりは遥かにマシである。

「あんたは、食事の前にお祈りとかはしないのか」

 護衛をすると大抵の人間は食事前に神への祈りを捧げている。

しかし青年はそれをしなかった。一市民のような風貌をしているから敬虔な正教徒かと思ったのだがそうでもないらしい。

「あまり、信じていないんです」

「珍しいな。 一般人がそんなに信仰が薄いなんて」

「そうでしょうか」

 やはりどこか世間ズレしている。

あまり突っ込まれたくないような顔をしていたのでそれ以上は何も言わなかったが、彼は一体どういう出生なのだろうか。

宝石を持っていたことからも、金持ちなのかもしれない。するとこの旅は道楽ということだろうか。

それにしては妙に真剣で、何か気迫があるように思える。

「じゃあ、あんたは神様ってのは信じてないのかい」

「いえ、そういう訳では無いんです。 色々な方に会って、働いて、話をして、神様に関しては信じています

ただ、食事前のお祈りとかをするほど熱心に信じているわけではない。 ということでしょうか」

「へぇ、随分と変わってるな。 でもせいぜいそのことは教会には知られないようにな。

あの残虐な坊さん共は、少しでも信心が薄いなら容赦しないからね」

 教会の連中というのは実に恐ろしい。

品行方正を謳っておきながら彼らは自分達に都合の悪い人間を拷問したり、火刑にしたりするのである。

傭兵は大抵が極端な無神論者か狂信者かのどちらかだが、前者の人間がもし無神論でも語っていたら即座に胴と首は離れることになるだろう。

時に悪魔と罵られる傭兵ですら、神の下僕と称するやつらの前では抵抗すらできずに死んでいく。

そして彼らは最新の技術を見事に拷問へと転用するのだ。悪魔はどちらだろうか。

「ご忠告感謝します。 では、私はそろそろ寝たいのですが、大丈夫でしょうか?」

「これから大分疲れる旅になるだろうからね。 休めるときに休むといいよ」

「ありがとうございます。 それでは、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

 そのまま彼は質素な毛布に包まって目を閉じた。

徒歩での旅というものは極力荷物を減らさなければならない。

それは寝具という事項にも当てはまり、小さく畳める毛布というのは薄いものである。

春先とはいえまだ夜は冷える。風邪を引くことの無いよう火は絶やしてはいけない。

煙を追って目線を上に上げると、美しい月の光と宝石を散りばめたような星空が広がっている。

月の光が際立った夜というのは不吉扱いされることが多いが、僕はその光が好きだ。

火の爆ぜる音のみが闇に響く、美しい夜はそうして過ぎていくのだった。

 それから数日間は天候が崩れることもなく順調に進むことができた。

青年は妙に旅慣れをしている。

旅の常識を殆ど知らなかった彼ではあるが、足腰は存外に強靭で疲れた様子を見せることはあまり無く、薪を探すときも場所を心得ている。

お陰で面倒なことも起こらなかったが、青年は旅をしたことがあるのだろうか。

 尋ねてみたが曖昧な返事を繰り返すばかりで手ががりは得られない。

秘密の多い人間というのは総じて碌な人間ではないが、彼は騙すという言葉すら知らなさそうだ。

こんなにも自分の素性を隠したがるというのは大方貴族の息子辺りだろう。


 そろそろ買い込んだ食糧も乏しくなってきた頃、ちょうど地図に書かれた最後の村が見えてきたので寄ることにした。

辺境の地域に存在する村というものは恐ろしく貧しい寒村であることが多いので心配したのだが、そこそこ豊かそうな村で安堵する。

豊かな辺境の村というのはこれまた別の心配もあるのだが、とりあえず食料を求めることはできそうだ。

 宿に泊まる手続きを済ませると依頼人と一旦別れ、とりあえず食料の買い付けと情報を集めに市場へ行く。

 これから未知の場所へ行くときは情報収集が肝要となる。

今までのルートは村の位置は大体把握していたが、ここから先は全くの未知であるために現地の人間の話を聞くしかない。

特に行商人は地理を把握していて、買い物をすれば丁寧に教えてくれるために非常に頼りになる存在だ。

「すみません、ここから西へ行くと村はありますかね?」

 行商人は一瞬こちらをギラリと睨んだが、ずっとそっぽを向いたままである。

やはり辺境の村は遠来の人間には冷たい連中ばかりだ。

埒が明かないので肩にかけていた袋から財布を出し、金貨を数枚行商人に渡すことにした。

この手はあまりやりたくないのだが、仕方あるまい。

金貨を受け取った行商人は少し驚いたようであるが、それをすぐに隠して無愛想に喋り始めた。

「村はあるが、貧しい寒村が一つだけだ」

「つまり、ここで食料品は整えておくべきってことですね」

「それがいいだろうな」

 素直に行商人の言葉を信頼し、葡萄を干したものを三山ほどと、干し肉を一塊ほど、それに大麦を両手に五杯ほど購入し、

代金にはお礼の意味も込めて多少色をつけて渡すことにした。

 そのまま市場をうろうろとしていたのだが、めぼしい物も無く、何も買うことは無かった。

市場の商人たちは闖入者である僕に対して興味の無い様子を示していたが、彼らの目だけはぎらぎらとしている

根っからの商人ということなのだろう。

 日が沈み、酒場で安い食事を安い酒で流し込んで宿に帰ると、すでに三日月が空に浮かぶ時刻となっていた。

青年も帰ってきていて、大抵の村というのは旅人に対して大きな興味を示すものだが、ここの住人はそうでないとしきりに不思議がっている。

どうにもこの村はあまり居心地が良くない。

そしてそんな場所での嫌な予感というのは、往々にして当たるものなのである。

「一つ聞いていいかな」

「なんでしょうか?」

 青年は何も気づいていない様子で、のほほんと答えた。

 旅の恐ろしいことというのは、野盗に襲われることや、獣に襲われることだけではないということを知らせねばなるまい。

「高いところが怖かったりする?」

「いえいえ、別にそんなことは」

「飛び降りるのは平気?」

「ええ、まぁ」

 何を言っているのだ、という顔である。

僕は素早く立ち上がり、まとめておいた荷物を背負うと窓を開けた。

「死にたくないなら荷物をまとめてここから飛び降りることだ」

「はぁ?」

 呆気に取られた表情でこちらを見つめていた青年だが、死、という言葉に対して反応したのか表情は少し固い。

腰から剣を抜き放つと、殊更に彼の表情は険しくなった。

「どういうつもりですか」

 無言で剣を構え、青年の居る方向へ突きを繰り出す。

「こういうことさ」

 若干の方向修正がされた剣の切っ先は、青年の後ろの扉へと突き刺さった。

剣を抜くと同時に扉を蹴りで叩き割ると、そこには物騒な装備をした人間が剣を刺されて苦しんでいる。

「貴様……!」

 旅人というのは、非常に孤独であり、かつそこそこの資産を持たなければ続けることは出来ない。

それは盗人にとって好条件であり、野盗に狙われることは旅人の日常茶飯事である。

 しかし、それだけではない。

村というのは思った以上に閉鎖的な環境であり、情報が漏れてくることはあまり無い。

それを逆手にとって、旅人を襲う村というのも存在するのだ。

村全体で隠匿するのだから露見するはずがない。哀れで孤独な旅人は居なかったことにされてしまうのである。

 このような辺境の土地にある村で、多くの行商人の交易ルートから外されているような村が豊かなはずはないのだ。

つまるところ、そんな環境で豊かな村というのは大概がそういう村ということである。

 この村はどうやら行商人もグルで稼いでるようだ。

やはり碌なものではない。

「まぁ、こういうことさ。 早く逃げろ」

 慌てて荷物をまとめた青年は、すぐさま窓から飛び降りた。

ここは二階で、高さもそう高くはないから平気なはずだ。

 剣に刺さっている男を蹴り飛ばして剣を体から抜き、正眼に構える。

この剣は重みで対象を断ち斬る湾曲した剣であり、剣先は突き刺すこともできるように両刃となっているものである。

布や皮の鎧くらいなら鎧ごと叩き斬ることができるものの、攻撃時に多くの力を入れなければならないために自らの体を無防備にしてしまう危険性を孕んでいる。

異教徒が使う象徴的な武器であるが、非常に性能は良い。

 刺された男が倒れると、堰を切ったように部屋に人が雪崩れ込んできた。

全員剣やら農具やらを持ち、こちらを殺す気満々である。

「気づいていたのか!?」

「まぁ、予感はしてたのさ。 こちらに対する態度とか、妙に村が豊かなところとかがね」

 軽い調子で質問に答えながら、彼らの鈍重な剣を避け、肩から剣を切り込む。

肉の裂ける感触を手に感じながら、そのまま下方向に切り裂いた。

やはり所詮は村人、剣術は大分お粗末である。傭兵を相手にしたことがないのだろう。

慣れない様子で一斉に剣や農具を振るってきたが、まったく問題にならない。

一瞬だけ自らの剣で彼らの武器を受け、一人を力のままに蹴る。

よろめいた人物に村人が一瞬の注目を奪われ、またすぐにこちらへと視線は戻る。だがもう遅い。

一人の喉を切り裂くと、まるで噴水のように血が噴出した。

悲鳴を上げたいのだろうが、血がごぼごぼと音を立てるだけだった。

 案の定村人は狼狽し始めたので、その隙を突いて窓から飛び出した。

これ以上やってもこちらが不利になるだけである。

加えて、一人で何回も多人数を相手にするほどの体力も実力も無い。

残って暴れていたお陰で注目はこちらに集まっていたようで、青年はどうやら無事に逃げ延びたようである。

 宿に入ろうとしていた村人たちが窓から発された村人の怒号に気づき、こちらを追いかけてきた。

広い場所で囲まれたらたとえ相手が村人だろうと勝てるはずもない。一目散に逃走した。

彼らは松明を持っているとは言え、こちらの居る位置までは明るくはならない。

夜襲をすることの多い傭兵にしてみればこのくらいの暗さなら相手はなんとか認識出来る為、数の差はあれども逃げ切ることはできる。

足止めの為に、持っていたナイフを相手の方へと投げた。

元々戦場でのお遊びの技術であるナイフ投げではあるが、相手に刺さってくれればそれで十分である。

 すぐに悲鳴が聞こえた。これで足止めにはなっただろう。恐らく死んではいないはずなので見捨てるわけにもいくまい。

この村には銃を持つほどの余裕はなく、弓の心得のある人物もいなかったのが幸いした。

走って逃げ続けていると、青年に合流することができた。まっすぐ逃げてくれていたのはありがたいことである。

「まぁ、こういうこともあるもんだ」

「驚きましたよ。 今でも恐ろしいです。 本当に殺されるかと思いました」

 走り続けている疲れもあるが、青年の顔はかなりやつれ、唇はがちがちと震えている。

「悪かったよ。 今はとりあえず捕まらないように、急ぐぞ」

 青年は苦い表情をしていたが、けれども安心した声で相槌をうった。

 西の果てまで、あと少し。

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