薔薇への誓いはエトセトラ〜histoires d'aristocrates〜
1767年、フランス。
大きな城の一室で、王女と家庭教師がドイツ語の勉強をしていた。
「この薔薇、とても美しいわ。」
王女は、分厚い、『植物学』とドイツ語で書かれた本の薔薇のイラストを指す。
イギリス人の家庭教師、メアリ・ミッシェルは、「ええ、とても美しいです。お嬢様。」と、流暢なドイツ語で答えた。
12歳の王女、マリー・フォンテーヌは、こうして学問を続けていた。
その日の夜。
マリーは自分の部屋で日記を書いていた。
今日はすごく楽しかったわ。家庭教師のメアリ先生に、薔薇の種子について調べたノートを見せ用途思うわ。
…明日は、パーティー…。今も、あまり良く思えないわ。ソフィアはいつも、コルセットをきつく締めるから…。
マリーはペンを置いた。
そして、ベッドに入ると、いつの間にか寝ていた。
「お嬢様!」
聞き慣れた、いつも朝に聞く、ドイツ語。ハウスキーパーの、エミリア・アルベルトだ。いつもまとめられた髪が乱れ、冷静でおとなしそうな目が、今日に限って、妙に血走って
いる。
「お嬢様、今日のスケジュールはとても忙しいものです。まず朝食を食べ、すぐにパーティー用のドレスに着替えてください。ドレスはメイドのソフィアさんが着せてくれます。きちんとお礼を言うように。あと日曜学校の牧師さんへのお手紙を書いて、私に渡してください。いいですね?」
エミリアはティーポットに紅茶を注ぐ。 テーブルに置くと、部屋を出た。
マリーは、しばらくベッドの中で、スケジュールを頭の中でで整理していた。
その日の昼。
フォンテーヌ家の庭園に、馬車がとまった。
庭園には、各国から集めた花々が咲きほこり、噴水の水は清々しく輝き、小鳥は歌い、蝶は踊っていた。まさに、絵のような景色だった。
馬車には、フォンテーヌ一家と、メイドのソフィアのみ。
密室に、ソフィアの美しいイタリア語が響いた。
「お嬢様、ドレス、よく似合っていますよ。」
ソフィアは、城で働く以上、もちろんフランス語を話せる。しかし、語学に長けたマリーのことは良くわかっているので、彼女の母国語であるイタリア語で話した。
国王と王妃である二人も、その意味は理解できていない。
ジャンヌとピエールは、フランス語と、ドイツ語は理解できるが、さすがにイタリア語となると理解は難しかった。
ジャンヌは、ワインレッドのドレスに、淡いピンクのヒール、髪は盛り髪にし、流行に合わせていた。手には洋扇を持ち、何かを話そうとすると、口元を隠して、横柄な態度をとっていた。
会話の内容は、「新しいドレスが欲しい」、「今のメイドが気に入らない」など、個人の意見交換だった。
ピエールは、ムーンレスライト色のスーツ、それに妃と同じワインレッドの長いマント。馬車は乗り降りには、とても苦労する。そのため、メイドのソフィアがついてきたわけだ。ソフィアはいい意味でおせっかい、また心配性で、特にこういうときは、イタリア語がフランス語混じりになることがある。過去にも、マリーがまだ幼い頃、はじめてパーティーに行くときはイタリア語をすっかり忘れて、辞書か、通訳に頼るしかなかった。
そのため、ピエールは内心、彼女のことをあまり良く思っていない。
マリーは、海軍の青(Blue Marine)色のドレスに、スカイブルー(Sky blue)色のヒール、髪は低めのシニヨン。手には、王妃より小さいが、洋扇を持っていた。
黒いレースで、ダイヤモンドやルビー、オパールといった、宝石がキラキラと光っていた。落ち着いた性格のマリーに、この洋扇のデザインは合わなかった。
実際、マリーはパーティーで、あまり目立たなかった。
多国籍の人々、ワインの独特の甘い香り、そして見たことのない料理たち。マリーは、すべてが苦痛で仕方なかった。
内向的なマリーにとって、人が集まる空間は、あまり楽しいものではなかった。
マリーは、ぼんやりと、並べられた料理を見て、鼻では、ワインと知らない料理たちの匂いを感じていた。そして、変に理解できてしまう、多くの人々の会話を、マリーは盗み聞きした。
マリーが座っているテーブルは、すべて城の人々だった。
国王ピエール・フォンテーヌ、王妃ジャンヌ・フォンテーヌ、家庭教師メアリー・ミッシェル、ハウスキーパーエミリア・アルベルト、ハウスメイドソフィア・ロマーノ、執事ジョセフ・クラーク。
一方、隣のテーブルには、ホワイトのドレスを着た、ルイーズ・マーティン(マリーの友人)と、その家族がいた。
「でね、うちのメイドを中国人にしたんですけど、やたらと中国語で話してきて…」
そう言ったのは、ルイーズの母だった。 彼女は妙に噂好きで、何度かソフィアとジョセフの婚約の噂を広めたては楽しんだ人物だ。
これには同席者は居心地が悪いのも、理解できる。
奥のテーブルには、ふたりの老人がやけに静かに、ポタージュを飲んでいた。外見的に、おそらくカナダ人。
その横のテーブルには、ロシア人、その横のテーブルは、イタリア人、さらに横は、オランダ人…。
マリーは、フランス人が少ないことに今更気づいた。あんなふうに噂をしている人物の隣にいるルイーズに話しかけるのも気が引けた。
マリーは目をよく開き、様々なテーブルを見る―と、フランス人らしき人物がいた。マリーより年上で、賢そうで、優しそうな少年。
彼は、もうワインを飲んでいた。
マリーは、しばらく彼を見つめずにはいられなかった。けれどマリーは同席者との会話もそれなりに大切で、食事もしなければならない。
マリーの視線日気づいたのか、15歳の少年、ノア・フーシェは、マリーを見ていた。
「お母様。私、ルイーズの馬車に乗ってもいいかしら?」
マリーがそう聞くと、ジャンヌはあっさり、「いいわよ。」としか言わなかった。けれどマリーはなぜあっさりそう言ったのか、大体分かっていた。パーティーの後は、いつもそういう雰囲気なのだ。
(やっぱり、ワインのせいね…。)
マリーは、そう心の中で思った。
どちらにしろ、もう、パーティーは終わった。ルイーズに相談したいし、もちろんルイーズの相談にものりたかった。
馬車の中は、それぞれの家の匂いがする。ルイーズの馬車の中は、ワインの匂いと、甘い焼き菓子のような匂いがする。この匂いたちは、パーティーからのものだった。
ルイーズには、相談したい、と言ったが、ごめんね、今は話したくないの、と返されてしまった。マリーは、せめて筆談はどうかしら?と聞き、いつも持ち歩いているメモパッドとペンをポケットから出した。
するとルイーズは、もちろん、と笑って返してくれた。
紙には、フランス語でこう書いてあった。
私、パーティーは好きよ。
でも、同席者の噂話は、正直ちょっと苦手よ?なぜなら、すごく嫌な感じがするわ。
あなたなら、きっとわかってくれるわよね?
L.M
マリーは、紙を見て、微笑むと、すぐに返信を書いた。




