第一話:見えてはいけないものが、見えている
はじめまして。
本作は、派手なチートや必殺技が出てこない冒険譚です。
この世界に
HPやMPといった概念はありません。
登場人物たちは皆、
見た目と勘と経験で戦っています。
主人公だけが、
それとは少し違う“見え方”をしている――
ただ、それだけのお話です。
戦闘は静かで、
逆転は淡々と起こります。
もし、
「倒すより、生き残る方が強い」
そんな話が好きでしたら、
どうぞ気楽に読んでいただければ幸いです。
死ぬかどうかは、見た目じゃ分からない。
洞窟の入口で、三人の冒険者が立っていた。全員、立っている。武器も握れている。息も整っている。――誰が次に倒れるか。そんなこと、普通は分からない。
俺を除いて。
視界の端で、剣士の輪郭に、薄い“減り”がまとわりついていた。本人は気づいていない。立ち方も目線も、いつも通りだ。だが、あれはもう、次が来たら終わる。
(……今、前に出したら)
俺は喉の奥で言葉を噛み砕き、息を一つ飲み直した。ここで説明しても無駄だ。この世界には、そんな物差しがない。傷を見て、息を見て、勘で決める。みんな、そうやって生き延びてきた。
「おい、ぼーっとすんなよ」
剣士が俺の肩を小突いた。ガルド――剣も盾も使える、いわゆる“前に立つ”タイプだ。頼りになるし、頼りになるからこそ、こういう時に無理をする。
「早く入ろうぜ。依頼は“奥の鉱脈の確認”だろ? さっさと終わらせて酒にしよう」
「……下がれ」
俺が言うと、ガルドは眉をひそめた。
「は?」
「今は、前に出るな」
短く言ったつもりだった。だが、伝わるはずがない。ガルドが口を開きかけた、その横から柔らかな声が滑り込んできた。
「レイ、焦らないで」
ミレイアが俺の腕に手を添えた。近い。近すぎるくらい近い。岩肌の冷えが染みる洞窟の入口で、彼女の掌だけが温かい。回復役はそういうものだ――と言い切るには、彼女の距離はいつも半歩だけ踏み込みすぎている。
胸当てが、ふ、と小さく軋む。呼吸に合わせて、鎧の前面がわずかに浮いて戻る。その小さな動きが、妙に目につく。肉感、という言葉を使うと下品になる。けれど、彼女は確かに“そこにいる”重さを持っていた。
「ガルドも、いきなり走らないで。あなた、昨日から肩、かばってる」
「……かばってねぇよ。ほら、見ろ。元気だ」
ガルドはわざとらしく肩を回してみせた。見た目は元気。声も大きい。だから余計に厄介だ。
(やめろ。やめろって)
俺の視界では、ガルドの“減り”がすでに底に触れかけている。ここから一撃でもまともにもらえば、立てない。
「ミレイア、後ろ」
俺が言った瞬間、洞窟の奥から、石を擦る音がした。
コツ、コツ、ではない。ザリ、と湿った何かが這う音だ。暗闇の向こうで、影が動いた。数は――一つ、二つ、三つ。速いのが二つ。遅いのが一つ。遅いのは大きい。
「来る!」
ガルドが前に出た。反射で動いた。守る役目が身体に染みついているのだろう。だからこそ、今は危ない。
「――下がれ!」
俺は叫び、ガルドの背を掴もうとした。だが、遅い。
闇が弾けた。
爪が空気を裂く音。ガルドの盾が受ける。受けた、はずだった。だが二撃目が速い。盾の端を回り込み、ガルドの脇腹を抉った。
「ぐっ……!」
ガルドの身体がよろける。その瞬間、俺の視界で“減り”が一気に底へ沈んだ。
(ほら、やっぱり)
ミレイアが駆け寄ろうとする。俺は彼女の腕を掴んで止めた。
「待て。今行くと――」
三つ目の影。遅い大きい奴が、天井から落ちるように降ってきた。狙いは、ミレイアの位置だった。回復役は狙われる。見た目で分かるからだ。
「……っ!」
ミレイアが息を呑む。だが逃げない。逃げきれないと判断したのか、俺の前に出る。近い背中が、さらに近くなる。
その時――洞窟の入口側で、重い足音がした。
ドン、と床が鳴る。空気が変わる。そこに“硬い塊”が入ってきた気配。
「どけ」
女の声だった。低い。短い。無駄がない。
次の瞬間、巨大な影がミレイアを叩き潰すより先に、別の影が割り込んだ。
拳。
いや、拳というより、岩の塊が飛んだようだった。
ズン、と衝撃が響く。落ちてきた大きい奴の顎が跳ね上がり、身体が横に吹き飛ぶ。壁に叩きつけられ、石片が散った。
「……な、に……?」
ガルドが呆然とする。ミレイアも目を見開いた。
俺はその女を見た。
ヴァルカ。
筋肉がある、では足りない。鎧の隙間から見える腹部は、まるで板を重ねたように割れていた。腹筋が“見える”こと自体は珍しくない。だが、彼女のそれは飾りじゃない。呼吸のたびに、硬い筋がゆっくり動く。体幹が、戦うために作られている。
彼女は落ちた獣を見下ろし、短く吐き捨てた。
「遅い」
言いながら、ヴァルカは俺たちを一瞥した。視線が重い。値踏みというより、必要な情報だけ抜き取る目だ。
「お前ら、洞窟に入るのに、覚悟が足りない」
ガルドが反射で言い返そうとする。
「……誰だよ!」
「ギルドで見ただろ。ヴァルカだ」
ミレイアが小声で答えた。彼女の手が、無意識に俺の袖をつまむ。引き留めるでも、頼るでもない。ただ、そこに“繋ぎ”を作る仕草だ。
ヴァルカはガルドの脇腹の血を一瞥し、鼻で笑った。
「立てるか」
「立て……る!」
ガルドは意地で立ち上がろうとする。だが、俺の視界では、もう底だ。次に踏ん張ったら膝が抜ける。
「無理だ」
俺が言うと、ヴァルカが初めて俺を見た。
「……何が」
「今、動かすと倒れる」
俺は言い切った。説明はしない。できない。言葉にした瞬間、嘘になる世界だからだ。
ヴァルカの目が細くなる。信じていない。だが嘘だとも言い切れない顔。
「回復役」
ヴァルカはミレイアに言った。
「そいつを立たせるな。座らせろ」
ミレイアが躊躇なく頷き、ガルドの肩に手を置いた。近い。今度はガルドに近い。彼女の掌が背に食い込む圧が見えるくらい、しっかり支える。
「座って。お願い」
ガルドが反論しようとしたが、ミレイアの声は柔らかいのに、退かない。結局、ガルドは岩に背を預けた。
その間に、ヴァルカが前に出る。腹筋が鎧の下で締まり、重心が落ちる。姿勢が変わっただけで、洞窟の空気が引き締まった。
闇の奥で、まだ二つ、速い影が動いている。獣は小さい。だが速い。数で押すタイプだ。
ヴァルカは構えたまま、俺に言った。
「お前」
「……何だ」
「指示しろ」
俺は一瞬、息を止めた。
(……俺に?)
ここで俺が言えば、矛盾が生まれる。誰も持っていない物差しを、俺だけが持っている。その“確信”を言葉にした瞬間、疑いの種になる。
だが――
ヴァルカの“減り”は、ほとんど動いていなかった。強い。単純に。ミレイアはまだ余裕がある。ガルドは底。俺は……俺も削れている。だが、まだ判断できる。
なら、やるべきは一つ。
「右、先に来る。速い方。左は半拍遅い。ヴァルカは右を叩け。ミレイアは動くな。ガルドは――座ってろ」
「座ってろは余計だろ!」
ガルドが叫んだが、声に力がない。ミレイアが彼の肩を軽く押し、黙らせた。
ヴァルカは一言も返さず、右を睨む。
次の瞬間、影が跳んだ。
ヴァルカが迎え撃つ。踏み込みが短い。最小の動きで最大の重さを叩き込む。獣の頭が潰れ、音もなく転がる。
(……回数で言うなら、一撃)
俺の視界で、その影の“減り”が一瞬で消えた。
左が来る。
「今だ」
ヴァルカが半身でかわし、拳ではなく肘を打ち込む。獣が壁に叩きつけられる。二撃目で終わる。
闇が静かになった。
息をしているのは、俺たちだけだった。
ヴァルカが振り返り、俺を見る。汗一つない。呼吸も乱れていない。腹筋の筋が、息と同じリズムで淡々と上下するだけだ。
「……外さないな」
「たまたまだ」
俺はそう言った。言い切るしかない。ここで真実を口にしたら、終わる。
ヴァルカは鼻で笑い、洞窟の奥へ顎をしゃくった。
「奥にでかいのがいる。今のは前座だ。行くぞ」
ガルドが顔を上げる。
「おい、待てよ……! 俺だって――」
ミレイアがガルドの額に指を当て、静かに言った。
「あなたは、今は休む。……大丈夫。置いていかないから」
その声は、洞窟の冷えを押し返す温度を持っていた。胸当てが小さく軋む。近い距離のまま、彼女は俺の方を見る。
「レイ」
「……何だ」
「さっき、止めてくれてありがとう」
俺は返事をしなかった。返したら、負ける気がした。
ヴァルカが先に歩く。ミレイアがガルドを支え、俺が最後尾につく。洞窟の闇が深くなるほど、俺の視界では“減り”が少しずつ動いていく。
そして、奥の暗がりの向こうで――
“減り”の桁が、今まで見たことのない重さで沈んでいる何かが、ゆっくりとこちらを向いた。
(……倒せない)
喉が、乾いた。
俺は小さく息を吐き、いつもの結論を選ぶ準備をした。
生き残るために。
勝つためじゃなく。
帰るために。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語で描きたかったのは、
特別な才能ではなく、
判断の速さと、引き際の価値です。
強く見える人が必ずしも強いわけではなく、
無理をしない人が、最後まで立っている。
そんな当たり前のことを、
ファンタジーの中で描いてみました。
感想や評価をいただけると、
とても励みになります。
よろしければ、次の話もお付き合いください。




