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第8話 憶璚英(璚英をおもう)

 董明妍とう・めいけんが言った。

蔡女冠さいにょかん、璚英は思いついたら一人で決めてしまうところがあるのです。あなたをお招きすると分かっていたら鶏を料理して待ちましたのに」

 邵少春じょう・しょうしゅんが姑に顔を向ける。

「お母さま、明日は卵をたっぷり使いましょう。蔡女冠にうちの蒸しカステラを!」

孫娘たちが「おばあさま!」と瞳を輝かせる。蓮児れんじもにこにこしている。


こうが言った。

「多めに作って下さい。僕が父上に届けますから」

べんが康の肩に手をやる。

「それは私の役目だ。よろしいでしょう、母上」

「于巡撫は干し林檎を入れたのが好きなのよ。さぁ、蔡女冠。もっと召し上がって」

彼女は箸をのばすとエビを取って、淑雪の椀に添えた。


 淑雪はこのような食卓を知らなかった。

 家族。それも官僚の家族なら、序列に従って会話し、侍女が立って世話するはずだが、于家には侍女がいない。家族水入らずの席に簡単に女道士を加えてしまう温かさを、淑雪は知らなかった。


 双子が泣くと、姪たちがあやし、食卓を片付けるのは全員で、それが終わると朱驥しゅきは着替えて佩刀し、淑雪に言った。

「本日は妻を助けていただき感謝にたえません。ゆっくり滞在して下さい。岳父のことで、皆、心中は焦がれているのです。女医さんがいると気がほぐれるかもしれない」


彼は錦衣衛の黒い飛魚ひぎょ服を着ていた。淑雪はそっと訊いてみた。

「これから勤務ですか?」

「私は城市警備の副千戸ふくたいちょうです。詳しい勤務先は言えません。お分かりですね?」

 淑雪はうなずいた。朱驥しゅきの物腰は立派な漢だった。


 董夫人と蓮児は正房に、璚英と息子たちと淑雪は西廂せいしょうへ、康は門房へ去った。璚英はたらいに湯を運び、こうしんの顔と足を拭いて寝かしつけた。

 

 そのあと、もう一度湯を運んだ。

「蔡女冠、顔と足を洗うわ」

 淑雪は璚英が渡した詩を読んでいた。于謙う・けんが作った七言律詩しちごんりっしで、題は「憶璚英(璚英をおもう)」とある。


璚英一別已三年 璚英と会わずに三年経った

夢裡常看在膝前 夢ではいつも私の膝の上にいた

婉娩性情端可愛 しとやかで美しい心はもとより愛らしいが

嬌痴態度亦堪憐 甘ったれの常識なしが嘆かわしい

誦詩未解知音節 音の響きを理解せぬまま詩を詠み 

索果惟應破俸錢 懐具合も考えずに菓子を求める

白髪雙親在堂上 老いつつある両親は地位があっても

關心為爾更悽然 お前を心配するあまり心がいたむ


「父は娘に獄中からこんな詩を書き送るのよ」

「豪胆で飾り気なく……率直にあなたを嘆いている。隙の無い台閣体だいかくたいの字、筆運びも叱咤してるみたい。あなたの気が動転するの、分かるわ」

 彼女はもう一度、于謙う・けんの詩を灯りにかざした。

「あなたはお父上の手中の珠なのよ、朱夫人」

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