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第7話 于家という宇宙

 街路は慌ただしかった。駆ける人々を陽が照らし、埃が薄っすらと舞う。商売道具を担ぐ男、絹を垂らした馬車を引く御者、輿の中の貴人、宵の遊興にたずさわる男女たち、そして北京城を警らする衛士の足音。


 璚英は崇文門里街の鮮魚店で川エビを半値に値切って包んでもらい、幾分北に行ったところで右に折れて表背胡同ひょうはいふーとんに入った。書画表具店が多く、文人が集いそうな一角だ。彼女は一軒の四合院の前で言った「我が家です」


 淑雪は驚いた。これが上級官僚の住まいか? 兵部右侍郎ひょうぶうじろうの位階は確か正三品でなかったか?


 于家の慎ましさは大門から始まっていた。まず大門に掲げた「于家」の額が小さい。扉は硬い木材で何も塗ってない。明律では王族・貴族・官位・職業によって門の材質や装飾が規定されているはずだが、于家の門は規格外の素朴さだった。

 門の礎石となる門墩もんとんに吉祥文や福を呼ぶ動物の彫刻はなく、切り出した石を整えただけ。敷居もそれほど高くない。来客が家人を呼ぶ門鈸も簡素だった。


 璚英は扉を押した。

 淑雪は扉の正面がただの壁であることにあぜんとした。装飾一つなく、レンガを積んだ隙間を丁寧に漆喰が埋めているだけだ。そこを曲がって院子なかにわに出た。


 院子なかにわを取り囲むように北に正房、東西にはなれ、南に厨房と門房が静かに建っている。院子の中央を石畳が正房に走る他は蔬菜や果樹が植えられ、その一角で山羊と鶏が鳴き声を上げる。薄暗がりの中に田園の幻を見た気がした。いや、これは于家という小さな宇宙だ。


 淑雪は思わず牙婆やぁぼさながらに胸算用していた。

「家がこのありさまなら、于大人が清官という話は本当だわ。蓄財を期待するのは大間違いだわ」


 正房に灯りはなく東廂とうしょうに人の集う気配があった。

 一人の男が手燭を持ち、出てきた。

「ようやく戻ったか、璚英。蓮児が置いていかれたとむくれていたぞ。おや、御客人か」

男は璚英の年の離れた兄で、于冕う・べんと言う。璚英が「命の恩人の蔡女冠さいにょかんよ」と紹介すると、彼は手を東廂とうしょうに向け、淑雪に「どうぞ」と促した。

「夕飯を御一緒に」


 璚英の歩き方は兄にそっくりだった。

 于家の食卓もまた慎ましかったが、淑雪の胸はほこほこと温かかった。

 夫が獄中にいても落ち着いて采配をする女主人、董明妍とう・めいけん

 息子の于冕とその妻の邵少春じょう・しょうしゅん、二人の子供は十二歳をあたまに娘ばかり六人。

 于謙の故郷、杭州こうしゅう府銭唐せんとう県の于家から養子に来た于康う・こう。康の許嫁の謝蓮児しゃ・れんじ

 そして璚英の夫、朱驥しゅき。彼と璚英は一歳半の双子の息子、朱宸しゅ・しん朱宏しゅ・こうを代わるがわる抱っこして食事を与えた。


 長方形の飾り気のない食卓に粥の鍋、烙餅らおぴん、豆腐と豆と根菜の煮込み、漬物、璚英が買って茹でた川エビ、山羊の乳を温めた椀が乗っていた。

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