第6話 璚英の父のこと
「女の人生って何でしょう。男のように十分学問も出来ない。上手に衣を縫い、刺繍と料理をして家のきりもり。親と夫と子の面倒みるのが得意ならいいのでしょうけど。私は時々イライラしますの。ふふ、愚痴を言っても始まらないわ。行きましょう、蔡女冠」
璚英の言葉に少々面喰いつつ、淑雪は城門に入った。三年前、趙師傅を葬い、淑雪はここから天姑小観に歩いた。他に道はなかった。
『璚英と同じように、私の心も澱んでいる。そうでなければ、堀のかぼそい流れを痛々しく感じないだろう。でも、彼女は私と違う。心の迷いに素直に悩み、乗り越えようとしている。私はなんという人と出会ってしまったのか』
淑雪は生まれて初めて湧き上がる感情を抑え、堅牢な門を抜けた。
厚い門を抜けると、真北に向かう崇文門里街に出た。その左側に西に行く大通りがあった。璚英は向こうを見透かす眼で、淑雪にそっと言った。
「あの通りは江米巷。一里半行くと官庁街で、真ん中に大明門。その中を見た事あります?
皇城の承天門まで北にまっすぐ伸びる千歩廊は、今上陛下のお怒りを買った官吏を打ち殺す場所ですって」
淑雪はギョッとして、口を押えた。
「東廠の密偵に聞かれたらどうするの」
東廠は皇帝直属の秘密警察だ。永楽帝が政治的陰謀を摘発するために設けた組織だが、集められる情報は多岐に渡り、火災や物価、果ては巷の流行り歌に及んだ。実際に情報収集を行うのは錦衣衛という実働部隊の他、その手先になった市井のごろつきや貧民もいた。
虚偽の証言も含まれたため、冤罪で良民から奴婢に落とされたり、流刑、また刑死する者が後を絶たなかった。ゆえに城市の住人はつねに東廠の眼を警戒して生きていた。
璚英はほんの少し声を落とした。
「千歩廊を西に折れた先の長安右門は死刑判決を結審する場所で『虎穴』と言われてるの。父がその門をくぐらないよう祈っている。誰かに陥れられたの。父は間違ったことはしない」
彼女は江米巷から眼をそらした。
「蔡女冠、母は家で父のことをあれこれ言うのを禁じました。ですから先に言っておきたかったの」
「お父上の官職を訊いていい?」
「山西河南巡撫(巡撫=地方査察官)を務めています」
「では、あなたのお父上は兵部右侍郎(軍務副大臣の権限を持つ役職)でもある于謙殿ですね」
璚英はご名答と言わんばかりに微笑んだ。
「なんてよくご存じなのでしょう。天姑小観の情報網は凄いですね。官報の内容まで覚えているなんて。そして、蔡さんは賢いお人です。急いで。柵が閉まる前に表背胡同に入りますよ」




