第5回 崇文門への道
黄沁華の痩せぎすな道衣が璚英に近づいた。
「施主さまは今夜は偏殿にて充分休養なさいませ。お帰りの途中でまた具合が悪くなっては大変です。お世話はこの蔡知堂がいたします」
彼女が胸の前で合わせた指の形は『睡眠薬を使え』と示していた。
璚英は姿勢を正し、少々強気の笑顔を作った。
「住持さま、お願いがございます。天姑小観の評判が上がりますから、ぜひお聞き届けください。蔡女冠に崇文門内に同行していただけたら、これぞ天の助けです。私は崇文門里街を北に入った城内から参りましたので」
その一言は効いた。北京城内の住人の四分の一近くは官吏の家の関係者だ。特に崇文門里街の先は高官の邸宅が多い。質素な身なりの女がそれなりの従僕で、主人のお気に入りの可能性は高いと、杜巧娘は判断した。
璚英はさらに続けた。
「私がお仕えする老太太は病気がちです。蔡女冠の診察は老太太にとって僥倖となりましょう。蔡女冠はとても良い腕をお持ちゆえ、泊りがけでじっくり診ていただきとう存じます。修行の妨げでなければ、どうぞ出張の許可を。出張料なら今ここで納めますわ」
璚英が衫の下の巾着から出したのは製造元を刻印した白銀の小錠官銀で、十五両に値した。杜住持は内心狂喜した。危ない橋を渡るより、新たな金脈を掴むが正しい。ついでに纏足を施してない女に高値が付かないのは、往々にしてあることだ。
住持はわざと重々しく承諾した。
「蔡知堂、しっかり役目を果たしなさい。あなたが戻るまで夏児は私が指導するとしましょう」
つまり、淑雪が天姑観に戻らない時は、夏児は売り飛ばすということだ。
淑雪と璚英が出発する頃、日は傾きつつあった。
淑雪は道帽の代わりに帷帽(笠の周りに薄布を垂らしたもの)を被り、薬王箱を背負った。二人して纏足と縁のない足取りで、さっさっと崇文門に向かって歩く。
大明は永楽十九年(1429年)正月、都を南京から北京に移した。
遷都して十三年が経っても、北京はいまだ工事が続く若い都だ。
崇文門外には材木集積地の「神木廠」が置かれた。紫禁城とそれを取り囲む皇城、および官衙の建設に数万の職人が強制移住させられ、北京城の内外に職人街が現れた。それに伴い、市場や商店、遊興の場が興り、城壁の南側には庶民的な街並みが急速に広がりつつあった。
前王朝の大元の頃から城内は南北に「大街」が貫き、東西に「胡同」が走り、自然と碁盤目状の都市となった。が、城外は市井の雑踏の如く、変則的な曲線を描く胡同が多い。
淑雪は璚英の手を握り、夕暮れの雑踏で離れ離れにならないようにした。
彼女の胸はどきどきしていた。
天姑小観が遠くなるのは嬉しい。夏児が心配だけど、それは落ち着いてから考えよう。そう、まだ于家がどんなところか知らないのに。
それにしても何と歩みの軽いことだろう。璚英の指先は暖かく、淑雪を拒まずにしっとりと繋がっていて、それだけで淑雪の心は弾んだ。
城壁上に鼓楼が出来て二年が経っていた。それ以来、朝夕に城門開閉の合図の太鼓が打ち鳴らされている。
もうすぐ夜の帳を告げる太鼓によって、北京城九つの門は閉じられる。その後、城内を二十八に分けた坊の通りは大柵で閉じられ、夜警の兵士が巡回する。城外でも大街や小街に面した胡同の入り口は柵が置かれる。こうして夜に徒党の徘徊を許さないのが京師の掟だ。
二人は崇文門橋まで来た。目の前の崇文門より東の城壁は望楼の建設中で、竹の足場が高く組まれていた。璚英はそれを見上げず、城壁に沿う深い堀を見下ろして言った。
「永楽年間は水が滔々と流れていたとか。ほら、今では土が溜まって草だらけ」
璚英は「私の心のようです」と細い流れに眼をおとした。




