第40話 于謙の血
身が裂かれるような苦しみが彼女を襲った。が、錦衣衛の捜査を受けている于家の人々、于冕と邵少春、于康と謝蓮児、謝夏児、そして朱驥と于璚英を前にして、何も告げられなかった。ただ、于家の人々と共に嘆き、悲しみに震えることしか出来なかった。
「璚英、あなたに許してなんて言えない。ああ、これは女の私が女のあなたに愛を持ってしまったことへの罰なの。あんまりだわ、私の父が、あなたの父を殺すなんて。
老天爺、あんまりです! 私への罰なら私だけに落とすべきです。決して于大人に向けるべきでない。彼は、彼はまだこの世に必要な方なのに!」
淑雪と于家の目の前で、錦衣衛の捜査官たちが叛逆の証拠になるものはないかと書棚や寝台の下を捜索するが、そんなものがあるわけなかった。むしろ、清貧ともいえる家の内外に彼らは意気消沈し始めた。同じ錦衣衛の副千戸がいる家に長居は無用だった。
へたへたと石畳に座り込む少春と蓮児だったが、于謙の処刑が決まったという知らせに、于家の一同は覚悟を決めた。
于冕は言った。
「明日は皆で父を送りに行く。場所は崇文門外の菜市口だ。私たちは罪人の家族となり、この家を離れて賦役の土地に赴くことになるだろう。離れ離れになるかもしれん。そのためにも明日は皆で行かねばならない!」
彼の決意に、璚英は「兄上!」と絞り出すような声で応えた。
「璚英、お前は朱驥の妻で、于家を離れた存在だが、朱驥も縁者となれば流罪になるかもしれない。淑雪と夏児にお咎めはないだろう」
翌日は雪が舞った。菜市口には処刑台が設けられた。于謙の人となりを知る人たちが大勢つめかけて悲嘆にくれた。
処刑の刻限になると道服を着た于謙が粗末な護送車で現れた。
于家の人々は「老爺!」と叫んだ。一家の主人を呼ぶ言葉だった。于謙は処刑台の上から微笑んだ。
于冕と璚英ら、子が叫ぶ「老爺!」は「父上!」
淑雪が叫ぶ「老爺!」は「于大人!」
彼らは群衆の最前列に出て、腕を伸ばして叫んでいた。
于謙は何度もうなずき、もう充分だというように微笑んだ。それを目撃した群衆は感嘆しながら嗚咽を漏らし、菜市口に大きな嘆きの渦ができた。
淑雪は于謙の涼やかな双眸が閉じるまで、じっと彼の姿を見詰めていた。
「運命のいたずらなら残酷すぎます。于大人、私は今の今まで徐家の血と縁を切ったと思っていました。しかし、この期におよび、私の体に徐有貞の血が流れていると思い知りました。
私はあの男の娘! 否定すればするほど、徐家の血が私の中で叫ぶのです。お前は邪な女だと。璚英に道ならぬ想いを抱いたせいでこのような目にあうのだと。
あなたを殺すのは徐貞有……私の父なのです……」
処刑はあっという間だった。斬首された于謙の亡骸に白い雪が舞った。人々は于謙の命が尽きた姿に哭きながら菜市口をあとにした。翌朝になって朱驥と于康がひそかに遺体を引取った。




