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第38話 幸せと諍いと

二人は医館の片隅に腰を下ろした。景泰けいたい五年の晩春の暮れ時、静かな時間が流れた。淑雪は幸せに浸った。


 璚英が私を気にかけてくれる。

 璚英が私を脈診してくれている。

 璚英が私に触れていてくれる。

 時が止まってしまえばいいのに。

 隣りの書肆では閉店の合図の拍子木が鳴っていた。


 そこに夏児と冬児が戸締りをしようと入ってきた。

「わぁ、師傅しふ師傅しふを診ているわ」

璚英は「静かにして」と二人を遮った。


 とたんに淑雪の脈が跳ねた。璚英が自分のために二人を叱ったと思うと体が反応してしまったのだ。そうと知らない璚英は首をひねりながら脈を取った。

「どこが悪いというのでもないけど……淑雪、悩み事でもあるの?」

「え、ええ、冬児はせっかく医戸なのだし、ここで修業するより談家で専門的な教育を受けた方がいいかしらね」

淑雪は自分の問題を冬児の問題にすり替えた。


 璚英は上手く騙された。

「本人がここでやる気になっているのだから、淑雪がそこまで悩むことないわ」

冬児がしゃしゃり出た。

于師傅う・しふの言うとおりです。蔡師傅さい・しふは心配しないでください」

淑雪は冬児を殴りたかったが、璚英の前では我慢せざるを得なかった。


 于家に戻ると、淑雪は部屋に閉じこもってしまった。

「ああ、私は冬児を追い出したがっている。駄目、駄目よ、淑雪。医館で諍い事は……でも、冬児には一度だけ思い知らせなくては!」


 次の日、淑雪は生薬の処方を書き間違えた冬児に、こんこんと医学の道の厳しさを説いた。その間、冬児は跪いたまま、じっとしていたが、目元に不服の色があった。

 

 説教が終り、冬児がよろめきながら立ち上がった。

蔡師傅さい・しふ、私のことがお嫌いなのでしょう?」

淑雪の中で何かが切れた。気が付くと彼女は弟子の頬を打っていた。

「好きとか嫌いとかを修業に持ち込まないで! そんなことに気を取られていて医術が身に付くと思っているの! 思い違いも甚だしい!」


冬児はうなだれて診療室を去った。璚英は冬児のあとを追おうとしたが、淑雪は止めた。

「いつかは彼女に言おうと思っていたのよ。一人で考えさせた方がいいわ」

「頬を打ったでしょ。彼女の体面が傷ついているわ」

「少しは傷ついても、大事なことだったのよ」


冬児はしばらくの間、めそめそしていた。が、心を入れ替えたのか、粛々と仕事をこなすようになった。ただ、淑雪には心を見せないようになっていた。

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