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第36話 私だけの璚英

喉元まで出かかった叫びに自分でも驚いていた。璚英は医館内に争いは御法度よと結んで、夏児と冬児の二人をそれぞれの仕事に向かわせた。振り返ると淑雪の顔がこわ張っていた。

「どうしたの、淑雪」

「少し疲れただけよ」

「二人のケンカがそんなに堪えたの?」


淑雪は「大丈夫」とだけ言った。自分の中に隠し持っていた欲望がこれほど肥大していると知り、自らに驚いていた。

「私の璚英……」

私だけの璚英でいてほしい。何という欲望だろう。


 彼女は于謙う・けん董明妍とう・めいけんの娘であり、于冕う・べんの妹であり、朱驥しゅ・きの妻であり、朱宸しゅ・しん朱宏しゅ・こうの母だ。そして于冕う・べんの娘たちの叔母であり、于康う・こう謝蓮児しゃ・れんじの義理の姉である。


 それ以外に! それ以外に私の親友であること以外を許したくないほどの嫉妬を談冬児だん・とうじに覚えている。談冬児だん・とうじの甘えたぶりが癇に障って仕方がない。


 初めての激しい感情に、淑雪は慄いていた。

「何の……何の権利があって、璚英を私だけの特別な人にしておけるというの。この先だって、彼女にかかわる人間は現れるはず。そのたびに私はこんな思いに苦しまなくてはならないの。

 でも、ずっと一緒に医学の道を歩んできたのは彼女……。彼女なしでここまで来れなかった。だから璚英は私の親友であり、私の最も大切な人。それだけは譲れないわ」


 その想いは淑雪に重くのしかかった。徐家と自ら縁を切ったことを後悔していないが、寂しさはあった。女医になるという情熱がそれを忘れさせたが、いざ念願の女医になり、璚英と二人で医館を構えると、寂しさが思わぬ形で現れたのだった。嫉妬という厄介な感情だった。


「懸命に仕事をするのよ、淑雪」

彼女は自分に言い聞かせた。

「仕事に打ち込めば、嫉妬を忘れられるわ。璚英は変わらずに私の親友だもの。私の大切な親友、それを忘れないで。淑雪!」


 そして淑雪は談冬児にさりげなく太医院や恵民薬局でさらに研鑽を積むよう勧め始めた。冬児が璚英に甘えるのを見たくなかった。

 が、冬児は男たちの間に分け入ってまで修業するつもりがなかった。

「お二人から学びたいのです! 婦人科と小児科の医女になります!」

 冬児は頑として清白医館を出ていくつもりはなかった。


 淑雪は改めて自分の飢えに直面した。

 厳しい幼少期と家族の縁を断ち切った痛手は、彼女に家族を渇望させた。それは于家の一員となることで満たされたはずだったが、ここに至って彼女は唯一の存在を欲していた。それが親友以上の感情を向ける璚英という存在だった。


 もしも璚英が自分から離れる事態になれば、生きていられない。それほどまでに淑雪は璚英を愛してしまっていた。共に医女の修業をしたからでばない。淑雪は他の誰がいなくても、璚英がいなくては存在できないほどの愛情を持ってしまったのだ。


「ああ……どうしよう。私は、私は……この想いをどうしたらいいの。璚英……璚英に知られてはいけない。いえ、誰にもこのことを知られてはいけない。

 老天爺、あなたにも知られてはならないでしょうね。いえ、もうご存知なのかもしれない。私にこんな試練を課すのですから……ああ、璚英……」

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