第1回 崇文門外の魔窟
大明の正統六年(1441年)、国の京師である北京は早春を迎えた。清明節が過ぎたばかりだった。広大な北京城は内も外も柳の枝が淡い緑を帯び、連翹の黄色が鮮やかに春を告げていた。
玄冬から春へと足早に移る四角い北京城の城壁は九つの門を持つ。皇帝一族専用の正陽門は京師の中心である紫禁城の真南に鎮座している。そこから西に行けば宣武門、城壁南西の角を北上して阜成門、西直門。北に開けた徳勝門、安定門。城壁の東側に来て東直門、朝陽門。そして南東の角を曲がると南に向かって崇文門があった。
その崇文門から南南西に四里(約二㎞)、竹林の中、女道士が営む道観(道教寺院)「天姑小観」も急激に春めいていた。
参拝客はほとんど女ばかり。馬車や轎子でやって来るのは上流階級の貴婦人で、例外なくお伴を従えている。時には花街の妓女のこともある。どちらも纏足(小さく変形した足)のため、長くは歩けない。自分の足でやって来るのは庶民の女たちに違いない。
どちらにしても、女たちは我も我もと後利益を求めて神殿に群らがり、碧霞元君と眼光娘々(がんこうにゃんにゃん)、子孫娘々(しそんにゃんにゃん)に祈祷する姿さえ、この時分は何やら艶めかしい。
線香の煙が渦まき、ゆったり神殿の外へ流れだす。外では女道士たちがお守り札や辟邪の張り子を賑やかに並べ、白と紫の木蓮の蕾が院子の竹の前で映えていた。
だが、十六歳の女冠(女道士)、蔡淑雪の眼には天姑小観の全てが禍々しくてたまらない。
参拝客を案内する知堂の役職をこなしてはいるが、ふとしたはずみで心が張り裂けそうになる。彼女の良心は限界までに傷み、血を流していた。
「これ以上、天姑小観の悪事に加担すれば、私は二十四の地獄に落ちて責め苦を受ける。いいえ、ここが地獄そのものだわ、天姑小観は牙婆の巣窟だもの。なぜ、なぜ私はこんな地獄に生きているの。なぜ私の運命は狂ってしまったの。恨むわ、自分の運命を恨んでやる!」
牙婆とは人身売買斡旋業の女のことだ。
今までに天姑小観は親を失ったり捨てられたりした子供、出家志願の女、時には孤独な参拝者を誘拐してまで人買いに渡し、多額の手数料を得ていた。
その牙婆が淑雪を呼んだ。名は杜巧娘という。彼女は天姑観の住持(住職)だ。
「蔡知堂、住持室で四姑集をします。来なさい」
それは裏稼業の合図だった。淑雪の顔から血の気が引いた。功娘は黄沁華と陳三娘にも声をかけていった。四人揃うから四姑集なのだ。
淑雪の脳裏にかつて薬を盛った娘たちの顔が浮かんだ。救けてと泣き叫ぶ女たちに無理やり痺れ薬を飲ませ、黄沁華が口に麻核を押し込む。そして闇に消えていくのだ。
「逃れたい。この悪業から逃れて三年前のように見習い女医に戻れるなら、私は杜巧娘を殺してもいい。ああ、天よ。私が牙婆の手下でなくなるにはどうしたらいいの。教えて、老天爺(道教の最高神・天帝のこと)!」




