最終話 告白
周囲の反応に構わず、私はパットの母になりきって話を続ける。
「あなたも人の子なのですから、母たる私の気持ちはおわかりでしょう」
「う、うむ……」
まだ人としての情はあるのね。
「お願いです、私のかわいいパットをお放しください。逃げも隠れもいたしません」
自分なりに目いっぱい、やさしい母を演じてみせる。
さらに周囲の人たちを見渡して言う。
「皆様もこの方が逃げおおせるまで決して手出しをなさいませんように。私も死にたくはございませんので」
パーシーはと見ると、わけがわからないという顔で私を見ている。
パットもキョトンとした顔だ。
男の目の前に両腕を真っ直ぐに差しのばす。
「縛るなりなんなり、お好きにどうぞ。ただし、子供はお放しください」
「ああ、わかった」
パットをつかんでいた左手が放され、私の右手腕を握ろうとする。
その瞬間、私は一歩踏み込んで左の手の平の下半分で男の鼻っ柱を正面から思いっきり打つ。
うっ、とひるんだ男の上半身に肩から体当たりして突き飛ばし、体勢を崩させる。
「走れ、パット!」
パットはパーシーの方にかけていく。
上体をかがめて床に落ちているワインボトルに手を伸ばす。
ここで背を向けて逃げては後から斬りつけられる!
「だましやがったな!」
男の剣が私の首をはねるように横から向かってくる。
上体をさらにかがめてギリギリ頭の上でかわすと、剣が黒い固まりを宙へと舞わせた。
”キャ――!!!” 何人もの悲鳴が響き渡った。
ワインボトルの細い部分を剣を持つように右手に握る。
そこだ!
剣を振り切ってスキのできた男のアゴに下からワインボトルの突きを渾身の力で食らわせる。
ゴン! ビンの底が男のアゴに命中、大きな音が響いた。
ビンはガシャッと砕け散り、男の身体は宙に浮く。
そして、背中から倒れていって大の字になった。
男を見て気を失っているのを確認する。
「私は逃げも隠れもしてませんし、周りの人は手出しをしてませんからウソはついてませんよ」
私も貴族、ウソつき呼ばわりは心外ですからね。
真っ直ぐに立ち男を見下ろす私に、”ワ――”と周囲から拍手喝采が起こった。
「レイ母さまー!!」
パーシーに抱かれているパットが叫んだ。
「あっ……」
思わず頭に手をやった。
さっき、飛んでいった黒い固まりは剣にひっかかった付け毛だった。
ボウ然とするパーシーの前に黒髪ショートヘアーの私が立っていた。
「……キミは、レイだったのか」
私は観念して、うつむき気味にパーシーの方を向いてうなずいた。
頭のてっぺんからスカートの裾までジロジロと観察される。
「いったい、どっちのレイが正しいんだ?」
「こっち……、です」
顔が熱い。きっと真っ赤になってるだろう。
さらに深くうつむいてしまう。
怒ってないかしら……。
恐る恐るパーシーを見ると私に構わず考え込むように黙り込んでしまっている。
エドガー殿が駆け寄ってきて、そんなパーシーからパットを奪った。
「おい、なにボケッとしてんだ。パットの血はまだ止まってないぞ。レイ……、でいいのかな。さっきの割れたビンで腕にケガしてるぞ。手当が先だ!」
私の右手首の上の方がガラスの破片で切られて血が流れていた。
◆
パットと私は客間の一室の長イスに並んで座り、メイドの方がまずパットの頭に包帯を巻き終え、次に私の右手首の上の方に包帯を巻いてくれる。
額がパックリ割れたパットと違い、私の傷は皮膚が切れた程度のかすり傷だったが。
入り口の前に立って私たちを見ているパーシーとエドガー殿の小声の話が聞こえてきた。
「いやー、レイが女の子だったなんてぜんぜん気づかなかったなあー」
「お前、自分で招待しといて知らなかったのか?」
「実務は執事にお任せで、”レイ・スペンサーは出席か?”って聞いたら来るって言うから、お前に教えてやっただけさ」
パットが目をキラキラさせて私のケガをしていない左手を両手でギュッと握ってきた。
「レイ母さま、さっきのホント? ホントにボクの母さまになってくれるの?」
「あっ、その、それは……」
パットの耳元に口を寄せて、そっと小声でささやく。
「そういうことは、私が一人では決められないことなの」
「ふーん、じゃあ、父さまにたのんでみる」
やめて――! 心の中で叫んだ。
今にも走って行きそうなパットを押しとどめるとエドガー殿がやってきて、パットを抱きかかえた。
「お医者さんが来たから行くぞ。傷を縫ってもらわないと跡が残るからな」
「いたいのやだー! 父さま-、たすけてー!」
「オレも行こう」
「お前はレイを見とけ。あいつ、いや、彼女もケガ人だからな」
バタン、出て行こうとするパーシーの目の前でドアが閉まった。
そして部屋には二人きりになった……。
気まずい沈黙と間。
なにを話そう。どう話そう。どうしよう。
ほてった顔でうつむき続ける私の隣にパーシーが座った。
「傷は痛まないか?」
「は、はい。かすり傷です」
「パットを助けてくれたこと、まずは礼を言いたい。ありがとう」
「い、いえ。とんでもないです。無事でなによりでした……」
当たり障りのない会話でも顔が上げられない。
パーシーが、フーとタメ息をつきながら背もたれに寄りかかる。
「レイ母さま、か。パットはとっくに知っていたというわけか」
「……はい。一度、風呂場で全裸の姿を真正面から見られました」
パーシーはフフフと笑い出した。
「そうか、オレも見たかったな」
「はぁっ⁉」
「い、いや、そういう意味ではないのだ。オレもわかっていればあんなに悩まなくても良かったのにと、そう言いたかったのだ」
悩むってなにを?
心臓がドキドキと鼓動を早める。
私の手はパーシーの両手に握られ、まっすぐに目を見つめられた。
「レイ、お前が好きだ」
聞きたかった一言。
驚きに目が見開かれる。
心臓が破裂しそうに鼓動して全身に血が回っていく。
「私は女ですが、よいのですか?」
バカ――!
この期に及んでなんてこと言うの私⁉
動揺したとはいえ、いくらなんでもあんまりの質問だ。
「オレは人としてレイを好きになった。男も女も関係ない。だ、だが、もちろん女性の方が、まあ、当然、望ましくはある。なにせ男では母にも妻にもなれぬからな」
えっ……?
なんか、途中からボソボソ声で最後の方が良く聞こえなかった。
もう一度、私の方に向き直り真っ直ぐに見つめられる。
「俺の心の中にはエメリアがいる。忘れることはできない」
ああ、そうでしたね。
”がさつ姫”の私がいったいなにを期待したんだろう。
だけど、それでいいんです。そう教えたのは私でしたね。
「それでも、お前が好きだ。もう隠さない、自分にウソはつかない」
ドクンッ。
心臓が口から飛び出しそうになった。
「パットの母に、いや、オレの妻になってくれないか」
時間が止まった。
返事、返事をしないと!
喜びに胸が押しつぶされて言葉が出てこない。
私の気持ち、パーシーへの思い。
この人を好きになった理由……。
「愛する人を忘れられるような人なら、好きになったりしません」
言葉が口から出ると同時に、目からは涙がこぼれた。
パーシーはそんな私を強く抱きしめてくれた。
そして身体を離し、私の下あごにそっと手を添えて唇を重ねてきてくれる。
女として見てもらえた私の初めてのキスだった。
◆エピローグ
アッシュフィールド公爵家に嫁いで二年が経った。
父の騎士団師範役の仕事は順調。
街の剣術学校は弟が学業の合間を使ってついでくれている。
実家の心配をする必要はなくなっていた。
立派な公爵夫人になろうと社交界のしきたりなどは”がさつ姫”には荷が重かったが、それでも、なんとかこなしている。
エメリア様の花壇に春の花が咲き誇っている庭にはカンカンカンと稽古用の木剣を打ち合う音が響き渡る。
しかし、最近、打ち合っているのは私ではなくてパーシーとパットだ。
私はというと、あの微妙な初めてのキスを交わした白いテーブルから夫と我が子の稽古を大きなお腹をさすりながら見ている。
「パットの剣もだいぶ上達したな」
「ボクだっていつまでも子供じゃないんだから」
いやいや、七歳はまだまだ子供よ。
戻ってきたパーシーは私の隣のイスに座ったが、パットは私のそばに立ち優しくお腹をなでてくれる。
「レイ母さま、まだ出てこないの? 弟だったらボクが剣を教えてあげるんだ」
「妹でもちゃんと教えてやれよ。女の子だって強いほうがいいに決まってる。なあ、レイ?」
「ふふ、そうね」
でも、”がさつ姫”なんて言われないようにしっかりと女性のたしなみも教え込まないとね。
「とにかく、元気で生まれてくるのが一番だ。みんな待ってるからな」
パーシーもお腹をなでながら優しく微笑みかけてくれる。
春には珍しく澄み渡った空を見上げた。
エメリア様、心配なさらないでください。
パーシーもパットも幸せに暮らしています。
そして、パーシーは今でもあなたとの幸せを大切に心のツボにしまっていますから。
”がさつ姫”と呼ばれた私には想像もできなかった幸せ。
私も家族とのこの幸せな日々を大切に大切に心にしまっていこう。
そう思いながらお腹の上に置かれたパーシーとパットの手に自分の手を重ねる。
そんな私たち三人を優しく包むように暖かい春風が吹いていった。
完
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