第8話:【パーシー視点】迷う侯爵
時間は舞踏会から数日さかのぼる。
アッシュフィールド公爵家の屋敷の正門でダダをこねるパットが門番に腕を取られている。
「放してよ、街に行ってレイかあ……、レイ兄ちゃんを探しに行くんだから!」
「パトリック様、いけません。勝手に行ってはだんな様に叱られます!」
「かまうもんか。ボクがあいたいんだから!」
アッシュフィールド侯爵がメイド長のベリンダと歩いてやってきた。
「ダメだ、パット。何度も言うがレイとはもう会ってはならん」
「父さま、なんで⁉ だいたい、どうしてクビにしたのさ、なにかわるいことしたの⁉」
悪いことをしたのはむしろ、オレの方か。
酔っていたとはいえ、なぜキスなんてしてしまったのだろう。
「そうではない。レイは実家の方でやることができて、お前の先生をやめることになった。ただそれだけだ」
「ボクにはそんなこと、ぜんぜんいってなかった!」
議論すれば正しいのはパットだ。
「ベリンダ、連れていってくれ」
ベリンダはパットが生まれたときからのしつけ係。
ブスッとしながらも黙って手を引かれていく後ろ姿を見送った。
すまない、パット。
レイが去ってから何日たっただろう。
我が家はまた、氷に包まれてしまった。
昼なのに酒を飲みたくなってきた。
いかん!
こんなことでは、レイに怒られてしまうぞ。
会いたい。
もう一度、あの屈託のない笑顔を見たい。
そして、あのつややかな唇に触れてみたい……って、オレはいったいなにを考えてるんだ!
ダメだ、ダメだ。
こんなことにならないようにクビにして強引に別れたのではないか。
落ち着け、オレは分別のある成人男子だ。
この思いもレイにならったやり方で、心のツボにしまうのがいい。
まず、目を閉じて、ツボを思い浮かべて……。
「おーい、パーシー、玄関前で目つぶってブツブツ言って、なにやってんだよ?」
「エドガーか。なんの用だ、オレは忙しいんだ」
「ほら、オレの嫁捜し舞踏会の招待状。子連れOKにしたからパット連れて来いよ。気晴らしになるだろ」
「オレは行かんと言っただろ」
くだらん真実の愛捜しの舞踏会など行ってられるか。
エドガーに構わず屋敷に戻ろうと足を進める。
「レイも来るらしいぞ」
ピタッと足が止まった。
「レイが?」
「ああ、出席の返事があったそうだ。久しぶりに会ったらどうだ、パットも喜ぶだろ」
そう言って招待状の封筒をオレに差し出した。
「だから、オレは行かないと言ってるんだ」
「はいはい、一人増えても減ってもどうってことないから、気が向いたら来て下さいな。それじゃまた」
エドガーはオレの強情さにあきれたように帰っていってしまったが、オレの手は渡された招待状をしっかり握っていた。
◇◆◇
結局、来てしまった……。
エドガーの屋敷の門の前につけた馬車から降りて、後ろに続くパットに手を貸す。
エドガーはパットの叔父、我が家の親戚だ。
その招待を断るのは失礼というもの。
レイに会いたいから来たわけでなく、あくまでも親戚づきあいだ。
だが、こういう舞踏会やパーティーで旧友と会うというのはごく自然なことだ。
会ってしまっては仕方がない、普通に会話して旧交を温めようではないか。
◆
会場に入る前に目元を隠すマスクを渡された。
仮面舞踏会? これも真実の愛とやらと巡り会うためか。
やれやれ、エドガーもいろいろ考えるものだな。
「お子様はこちらへどうぞ」
会場に入るとパットは子供用の場所に連れられて置いてあるオモチャで遊び始めた。
すごい数の客だな。
この近郊の年頃の男女のほとんどを集めたというのは本当らしいな。
目が自然と男性客たちを追ってしまう。
客はマスクをつけているが、レイのような黒髪ショートの男というのはそうはおらず、見れば一目でわかるはずだ。
しかし、ざっと見た限りではレイはいなかった。
おかしいな、まだ来ていないのか。
あっ、黒髪! と思ったら女性か。髪も長い。
色が同じだけでレイかと思ってしまうとは、本当にどうかしてるな。
でもあの女性、鮮やかな赤いドレス、真っ直ぐに背筋を伸ばして歩く姿勢が美しいな。
マスクで顔は半分しか見えないが見覚えがある気がする。
誰だっただろう。
話しかけてみようか。
近くに寄れば寄るほど、なぜだろう親しみを感じてしまう。
何度も頭から足元までジーと見てしまった。
「失礼ですが、どこかで、お目に掛かったことがありませんか?」
「さ、さあ、ないと思いますが」
「そうですか。なぜでしょう、あなたに親しみを感じるのですが」
やっぱり気のせいだったか。
しかし、これだけ気になるのは好みのタイプということなのか。
「せっかくのご縁ですので、一曲よろしいですか?」
「すみません、ちょっと、お手洗いに」
「待ってください!」
あまりに露骨に避けられたので、思わず手を握って止めてしまった。
なんだこの子の手の平、ずいぶん硬いな。
でも、マメがあるというわけではない。
「最近、庭いじりで手が荒れておりまして、お恥ずかしい限りです」
「いえ、大変失礼しました。手の平がマメだらけだった人のことをふと思い出しまして」
「まあ、手がマメだらけの貴族令嬢とは珍しいですわね」
どうしたんだろう。
まるでオレから逃げ出したいようにあせってる。
トイレか? いや、そんな感じじゃない。
この女性、間近で見るとレイにどことなく似てるな。
「私の知ってるその人は令嬢ではありませんでした」
「そうすると、農家の方とかですか? お付き合いがとても広いのですね。それでは、ごきげ……」
この子を逃がしてはだめだ。本能がそう言っている。
握った手を放さないように力を入れてしまった。
ちょうどいい、ダンスの曲なり始めた。
さらに手を取り両手を握った。
「さあ、曲が始まりましたよ」
ちょっと強引だけど手を取り合ってダンスの輪に加わった。
この子、上手いな。
踊り慣れてはいないようだけど、こちらのリードにきっちりと合わせてくれる。
ぶれることのないキビキビした動きは身体能力の高さを感じさせる。
それに、なぜだろう、初めて踊るのに二人の息が合っている。
彼女の長い手脚がしなやかに動き、赤いドレスが弧を描く。
こんなに楽しく踊れるのはエメリアと踊ったとき以来だ。
この子も楽しいと思ってくれているのか思わず見つめ合ってしまう。
黒みの濃いこの瞳、レイにそっくりじゃないか!
まさか、女装してるのか?
そんなバカな、姉か妹、いや親戚か?
ちょうど曲が終わってしまった。
「ありがとうございました。とても、楽しく踊れました。では」
「待ってください!」
どうしてこれだけ楽しく踊れたのにあわてて逃げようとするんだろう?
手を握り引き留めた。
「お名前を教えていただけますか。そして、素顔を拝見できませんでしょうか」
彼女の目元を隠すマスクをつまんで外した瞬間、
”キャ――!!!”
向こう側の入り口の方から女性たちの悲鳴が聞こえ、剣を持った男が現れた。
「イザベラ――、どこだ――!! 下級貴族の俺を振ってこんなところで男あさりか――!!」
酔っ払って振られた女を追ってきたのか。
「なんだ、痴話ゲンカか?」
エドガーが男に向かって行くが舞踏会をぶち壊されて激怒してるな。
「キサマ、騎士団小隊長主催のパーティーぶち壊すとは、いい度胸だな」
「うるせー、ひっこんでろ! さっさとイザベラを連れてこい!」
「とっくに逃げたに決まってるだろ。さあ、これ以上の罪を重ねる前に剣を捨てろ。もう逃げられんぞ」
当然、騎士団の連中が何人も来ている。
丸腰とはいえ相手は一人。捕らえるのは時間の問題だろう。
「く、くそ――!」
まずい、逆上して子供たちの方に突っ込んでいき、男の子のえり首をつかんで引きずり出した。
あれは……!! 思わず走って前に飛び出した。
「パット!!」
「来るな!」
パットの首に剣の刃が押しつけられた。
くそっ、うかつに動けない。
「どいつもこいつも下がれ!」
オレも騎士団の連中も後ずさりするしかなくなった。
「父さま――!!」
「ガタガタすんじゃねえ!」
剣の柄でパットの額が殴られ、血が噴き出した。
くそ……。
「やめろ――!」
なんだ⁉
さっきの赤いドレスの子がいきなり飛び出してきた。
「その子を放しなさい。幼子を人質に取るとは、貴族として、いえ、男として恥ずかしくはないのですか!」
剣を持った相手に一歩も引かず、堂々と向かって行く。
「人質なら私がなりましょう。逃げも隠れもいたしません。それとも、か弱い乙女の私がこわいですか?」
なぜ、そこまでしてくれるんだ?
オレの方を見てうなずいてくれる。
さっきマスクを取ったので素顔が見える。
やはり、そうだ。かなりレイに似ている。
「おまえ、こいつのなんなんだよ⁉ なにかたくらんでるのか⁉」
「私は……、その、私はその子の、えーと……、私は、その子の母よ!」
母だって⁉ あの子、なに言ってんだ?
思わず目がまん丸になってしまった。
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