第7話 事件
右手を握って引き留められた私の手の平をパーシーの指がなでるような感触が伝わってくる。
なにかに気づいて手のマメを探っているんだろうか。
でも、ダンスで男性に手を取られることもあり得るかと、数日かけて刃物で削り、ていねいにヤスリで仕上げて普通の女性よりちょっと硬い程度の手の平のできあがり。
「最近、庭いじりで手が荒れておりまして、お恥ずかしい限りです」
「いえ、大変失礼しました。手の平がマメだらけだった人のことをふと思い出しまして」
「まあ、手がマメだらけの貴族令嬢とは珍しいですわね」
手を引っ張るがパーシーは離してくれず、それどころか、握った手の平をジッと観察している。
「私の知ってるその人は令嬢ではありませんでした」
”私の知ってる”が少し強く発音された。
バレたんだろうか?
いっそ、今、告白してはどうだろう?
”いいえ、実は子爵令嬢、この私だったのです!”
パーシーはどう反応するだろう?
”お前はウソをついたのだな。オレをからかったのか!”
そして出会ったときのように、バシ――と平手打ち……。
だめだ。とにかく、一度この場を切り抜けよう。
突然すぎて頭が働かない。
「そうすると、農家の方とかですか? お付き合いがとても広いのですね。それでは、ごきげ……」
右手に続いて左手も握られてしまった。
「さあ、曲が始まりましたよ」
パーシーは私の手を取り、ダンスの輪へと進んでいった。
ダンスは母が生きていた幼いころに基礎を習った程度だが、男性の手の代わりに剣を握って一人で踊って遊んだりしていたので一通りは踊れる。
だけど、人間と踊るのは数年ぶりだ。
軽快なワルツのリズムが心臓の鼓動を加速させる。
パーシーはかなり踊り慣れているのか、上手くリードしてくれて私は弾むようにステップを踏む。
きっと、エメリア様と小さなころからずっと踊っていたのだろう。
踊った経験は少ないが、私には剣で鍛えた身体がある。
激しく動いてもぶれない身体の軸を中心に長い手脚が動き、ドレスの裾がひるがえる。
初めて踊ったとは思えないほど二人の息もピッタリと合っている。
これは毎日、剣の稽古で打ち合っていた成果ね。
彼に引かれる腕に合わせ、ふわりと身をひるがえすとドレスがまるで花のように広がっていく。
ここまで上手く踊れると、私もパーシーも思わず笑顔になり思わず目を見つめ合ってしまう。
”おおっ”
”きれい……”
そんな声に気づいて周囲を見ると、踊りを止めて私たちに見入っている人たちが何人もいた。
曲が終わって荒い息を整えつつ両手でドレスをつまみ、軽く会釈をする。
今日は来てよかった。
これが二人の初めての出会いだったら恋が生まれていたかもしれないのに……。
踊っているときからも、なんとなく怪しまれているような気がする。 もし、私がレイだとバレたらどうなるんだろう?
わからない。だけど、喜んでくれる想像ができない。
やはり逃げよう。
「ありがとうございました。とても、楽しく踊れました。では」
「待ってください!」
立ち去ろうとする私の手が、さっきと同じように握られた。
「お名前を教えていただけますか。そして、素顔を拝見できませんでしょうか」
そう言いながら目元を隠している私のマスクに手をかけた。
どうしよう!
この距離でジッと見られたら、さすがにバレてしまう。
そうだ、バレたら、私はレイの双子の姉ということにしよう!
そっくりでよく間違えられるんです。
まあ、あなたがパットのお父さまですか。おウワサは弟からうかがっておりました。
なんて自然な出会い……のわけない!
すぐにバレるウソでウソの上塗り。
絶対ダメ!
どうしよう……と固まった私の顔からマスクがついに外されてしまったその瞬間、
”キャ――!!!”
離れている入り口の方から女性たちの悲鳴が聞こえてきた。
客たちが波のように左右に別れ、右手に剣を持った男の姿が見えた。
男はかなり酔っ払っているのかフラフラした足つきで会場に入ってきて辺りを見回している。
「イザベラ――、どこだ――!! 下級貴族の俺を振ってこんなところで男あさりか――!!」
パーシーも意識が私からそれて男の方を見た。
「なんだ、痴話ゲンカか?」
そばにいた黄色いドレスの女性がおびえた表情で別の出口へとそっと逃げていくのが目に入った。
ふーん、あれがイザベラさんかな。
あの男の人と火遊びでつきあったけど、こっぴどく振って恨みを買った、というところね。
他の客たちは男から遠ざかりつつ様子を見ているが、エドガー殿が一人で男の方に進んでいった。
「キサマ、騎士団小隊長主催のパーティーぶち壊すとは、いい度胸だな」
「うるせー、ひっこんでろ! さっさとイザベラを連れてこい!」
「とっくに逃げたに決まってるだろ。さあ、これ以上の罪を重ねる前に剣を捨てろ。もう逃げられんぞ」
遠巻きに見ていた客たちの中から屈強な男たちが何人か男の方に進んでいく。
きっと騎士団の同僚の方ね。
とはいえ、みんな丸腰、相手は剣を持っている。そう簡単には飛び込めない。
だけど、じきに武装した警護の人がくるから時間の問題だ。
「く、くそ――!」
首を左右してその様子を見た男は狂ったように剣を振り回しながら、右の客たちの方に走り出した。
みんな悲鳴を上げて逃げていく。
巻き添えはゴメンだわ。私も逃げよう。
男の動きに注意しつつ、そばの出口に向かうが、男の向かう先には子供の遊び場スペースを作る木の柵があった。
いけない、あそこには子供たちがいる!
男は木の柵を蹴り倒し、おびえながら隅にかたまってうずくまっていた子供たちに近寄って一番外側の男の子のえり首を背後からつかんで引き上げた。
あれは、パット⁉
私以上に驚いたパーシーが走り出た。
「パット!!」
「来るな!」
男はパットの首に剣の刃を押しつけたので、パーシーもたまらず立ち止まった。
「どいつもこいつも下がれ!」
男はパットの首に剣を突きつけながら前へと進み、男に押されるようにパーシーも先に男の向かっていた騎士団と思われる人たちも後ずさりしていくしかなかった。
「父さま――!!」
「ガタガタすんじゃねえ!」
剣の柄で思いっきりパットの額を打ちすえた。
額は割れて血が流れ落ちていく。
その姿に私の足も思わず前に進んでしまう。
「やめろ――!」
いきなり乱入した令嬢にパーシーも周囲も驚きの視線を一斉に向けてくるが、私には構ってる余裕はない。
パットの額からは血が流れ続けている。
早く、止血をしないと。
「その子を放しなさい。幼子を人質に取るとは、貴族として、いえ、男として恥ずかしくはないのですか!」
酔っ払っていても貴族のはしくれか、少したじろいだ。
みんな、怒りの目で男をにらみつけている。
誰かが正義感で飛びかかっていったりしたら、パットになにをされるかわからない。
待っててパット。今助けるから。
今日の私は女だ。
”がさつ姫”でも見た目はとにかく貴族令嬢よ。
「人質なら私がなりましょう。逃げも隠れもいたしません。それとも、か弱い乙女の私がこわいですか?」
降伏の意志を示すように両手を上げながら、男の方へと進んでいく。
念のため背中をできるだけ丸めて背を低くしておく。
視線を後ろに向けるとパーシーの心配そうな顔が見えた。
”大丈夫ですから”という顔でうなずいてみせながら、男へとさらに近づいていく。
「おまえ、こいつのなんなんだよ⁉ なにかたくらんでるのか⁉」
警戒してる。どう答えよう?
「私は……、その、私はその子の、えーと……」
額から血を流してグッタリしているパットを見る。
出会いからの二人が走馬灯のように頭をめぐった。
”レイ母さま” 私をそう呼んでくれるかわいいパット。
「私は、その子の母よ!」
ザワザワと周囲からどよめきが起こった。
”アッシュフィールド侯爵の奥さんは死んだはずだろ?”
”再婚してたのか?”
パーシーも目を丸くしてびっくりしていた。
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