第4話 眠れない夜
夏も終わりに近づくが日差しはまだまだ強い。
パットとの稽古を追えると汗びっしょりで客用の風呂場で水を頭から浴びて汗を流す。
朝に浴槽に張っておいた水がほどよい温度になり、オケで頭からザブザブと水をかぶる。
「フー、気持ちいい!」
誰に遠慮することもなく、一糸まとわぬ姿で両腕を大きく広げて伸びをしながら出口のドアに向かう。
いきなりドアが開いた。
「レイにーちゃん、あっちのオフロそうじ中だから、いっしょに入ろ……」
すでに服を脱いでやはりスッポンポンのパットが飛び込んできたが、私を見るとアッと息を飲んで立ち尽くした。
裸で両腕を広げて大股開きで歩いていた私はその場で固まった。
パットの視線が胸で止まっている。
「おっぱい、ある……、ちょっとだけど」
さらに視線は下へ下へと降りていく。
こちらはどう反応していいかわからず身体は硬直、顔だけがカーと赤くなっていく。
「……なんで、レイ兄ちゃんにはついてないの?」
そう言いながら自分の股間のかわいいモノを見て、そしてもう一度、わたしと見比べた。
「レイ兄ちゃんって、女だったの⁉」
五歳の男の子に裸を見られても別に恥ずかしいとは思わないが、ここまで隠し通した秘密がついにバレてしまった。
急いでひざまずいて視線をパットに合わせる。
「そうなんだ。こうしないとパットの先生になれなかったから仕方なく……」
「ウソついたの?」
先生としてはまことに恥ずかしい限りだが、赤くなってうなずくしかなかった。
「できれば、ナイショにしてほしいんだけど」
「だいじょうぶ、父さまには言わないから。だって、ぶたれちゃうもんね」
初めて会ったとき、ウソをついたパットを”お前はウソをついたのだな”と平手打ちしようとした姿を思い出した。
「ありがとう。そうしてくれると、とても助かる」
「そのかわり、おねがいがあるんだけど」
「なあに? なんでも聞いてあげるよ」
夕食のデザートをちょうだいとか、稽古量を減らしたいとかかな。
「あのね、レイ母さまってよんでいい?」
はっ?
「ボク、お兄ちゃんよりも母さまが欲しかったんだ……」
母親というものを全く覚えていなくても小さい子供の本能が求めるんだろうか。
パーシーはパットを愛しているが、その愛は我が家と同じく無骨な父の愛だろう。
「いいよ、私で良ければ。ただし、二人っきりのときだけね」
「わーい! レイ母さま!」
パットが喜んで抱きついてきた。
本当の母親のエメリア様に比べれば全く役不足だが、これで秘密が守れるならばつきあいましょう。
それにパットはとてもうれしそうだ。
裸で抱きついてくるパットから暖かいぬくもりが伝わってきた。
◆
その日の夜、ベッドで横になっていると、トントン、とドアがノックされ、開けるとパットが立っていた。
「いっしょにねていい?」
ベッドに並んで二人で寝るがパットは私にすり寄ってきて顔を胸に押し当ててきた。
「こうやってていい? ボクね、母さまのおっぱいだけなんかおぼえてるんだ」
エメリア様の肖像画と比べると私のはだいぶ見劣りするが、こんなのでよければ使っておくれ。
「いいよ。おやすみ、パット」
「おやすみなさい、レイ母さま」
パットを胸に抱きしめると暖かいぬくもりが伝わり、そして胸の中にも暖かな感じが生まれた。
母が死んだとき、二番目の弟が同じ五歳だった。すすり泣く弟を毎晩抱きしめながら寝ていたっけ。
あのときの私は十二歳、感じたのは姉としての愛情だった。
今、十九歳となり感じる暖かさは”母性”なのだろうか。
結婚して母になるのも悪くないかも。
いや、問題は『がさつ姫』を誰がもらってくれるかだった。
パーシーは……?
思わず彼の顔が浮かんだ。
好かれてはいそうだけど、パーシーにとって私は男、せいぜい可愛い弟分だろうなあ……。
その日からパットは以前よりもさらにいい生徒になった。
勉強も剣の稽古も熱心に取り組み、なによりもニコニコと機嫌良く、常に私にくっついてくる。
そんな様子をパーシーはにこやかな笑顔で見守っている。
◇◆◇
「これを、私にですか?」
ある日突然、パーシーが剣をプレゼントしてくれた。
握る部分の上に大きな赤い宝石がはめ込まれている。
たぶんルビーだろう、一目で高価な物とわかる。
金属の鞘にも丁寧な模様が刻まれている。鞘から抜いてみると美しい刀身が現れる。
いったい、いくらするのだろう……。
「う、うむ、街の武具屋でたまたま見かけて、レイに似合うのではないかと思ってな。それに最近はパットも以前よりずっと良い子になった。そのお礼でもある」
こんな高そうな物は受け取れないと言ったものの、気持ちだ、と押しつけられてしまった。
パーシーの初めての贈り物。
花でもネックレスでもなく、剣。
ステキなプレゼントだが、剣。
とても気に入ったが、剣。
これが私とパーシーの関係の現実。
剣を胸に抱きながら、ため息が出た。
◆
「レイ兄ちゃん、お休みなさい。ハグして」
「はいはい、お休み、パット」
パットがどこで覚えてきたのか、寝る前に、膝立ちの私に抱きつくことをねだるようになった。
「父親の私には、ハグしてくれないのか?」
そばで二人の様子を見ていたパーシーが愉快そうに言った。
「だって、父さまの身体はゴツゴツして硬いんだもん。レイ兄ちゃんは柔らかくて気持ちいいんだ。ほら」
立ち上がろうとしたところをパットに押された。パーシーに向かって……。
身体はバランスを崩してパーシーに抱きついてしまった。
胸と胸は重なり、とっさに腕を背中に回して抱きしめてしまう。
パーシーの腕も私を受けとめるため、私を抱きしめる。
広くがっしりした胸が感じられる。
まずい。もう寝るだけと思い、油断して胸に布を巻いておらず、直接、感触が伝わってくる。
驚いて顔を上げると、やはり驚いた顔で私を見ているパーシーと目が合った。
二人とも頬が真っ赤に染まっていく。時間が止まったかのように長く感じられる。
胸が高鳴る。自分の鼓動だけでなく、パーシーの鼓動も伝わってくる。
目を見つめ合う。
「あっ、ごめんね、じゃ、おやすみー。きょうは一人でねるねー」
自分の部屋に去って行くパットの声で初めてハッと我に返った。あわてて身体を離した。
お互い、引きつった笑いが顔に浮かんでいる。
「子供というのは困ったものですね」
「ホントにそうだな」
パーシーも赤い顔をしているが、特に私の胸に気づいたという風ではない。
それはそれで悲しいが……。
その夜、ベッドで横になるが眠れない。
胸がまだドキドキしている。
どんな形であれ、男性に抱きしめられたことはない。
『がさつ姫』にはそんな機会があろうはずがなかった。
でも、パーシーにとっては、倒れ込んできた弟分を受けとめただけ。
その割には顔が赤かった気もするが……。
気持ちを落ち着かせようと、夜の庭に散歩に出た。
チー、チーと寂しそうな虫の声だけが聞こえてくる。
部屋の明かりは全て消え、月明かりだけのはずなのに、エメリア様の花壇のそばにロウソクのような明かりがともっている。
「また飲んでおられるのですか、パーシー殿」
私はわざと非難の口調を込めてワイングラスを傾けるパーシーに言った。
すでにボトルが半分空いている。
おや?、空のワイングラスが一つ、テーブルの上にあることに気づいた。
「どうだ、一緒にやらないか。なんとなく、レイが来る気がしたんだ」
その言葉に驚きながらも、素直にイスに座った。
グラスに注いでもらった白ワインを口にする。口の中に広がるフワッとした香り。
時々、父に付き合って飲む安物とは格が違う。
パーシーが私の口元を見ている気がする。
ワインが気に入るかどうか気にしているのだろうか。
酒が血に混じって身体を巡ったのか、高鳴っていた胸も落ち着いてきて気分も和らぐ。
お酒にも良い点があるのは確かだ。
頬がほんのりと染まっていくのがわかる。
「今、心のツボを開けていたんだ。エメリアに相談したいことがあった……」
パーシーは少し酔っているようだ。顔も赤い。
「人を好きになるということについて」
そう言って私の目をジッと見つめてくる。
どう反応して良いかわからず、ワイングラスに目を落とし、一口飲んで気を落ち着かせる。
「それで、エメリア様はどう言われましたか?」
「”あなたが幸せになるようになさって下さい”と」
そう、それが先立ったものの願い。
残されたものの幸せを必ず願って……、えっ、パーシーの顔がどんどん近付いてくる。
下あごが指で支えられた。
ちょっ、ちょっと待って、今の私は男だったのでは⁉
でも、両目は閉じた。
パーシーの唇が私の唇に重なった。
腕が背中に回り引き寄せられる。私も腕を背中に回して引き寄せる。
二人の胸が重なった。
一瞬の時間のはずだがとても長く感じられる。
「いかん!、こんなことはダメだ!」
パーシーが叫んだ。
私は突き放されて身体を離された。
「すまぬ!」
そう言ってパーシーは走り去っていった。
ぼう然と見送る私の目からは涙が流れた。
もうやめる、こんなのもうやめる!
明日、全部話して謝る。
それでクビになるなら構わない。
私は決意した。
しかし、その機会は来なかった。
翌日、朝一番でベリンダさんからクビを宣告された。
パーシーに会える機会もないままに……。
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