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第3話 乱される心

 太陽の日差しが強くなり、本格的な夏の訪れを感じる。


 以前と変わらず順調な剣の先生暮らし。


 変わったのは、エメリア様の花壇に夏の花が咲き誇っていること。

 侯爵のほぼ毎日のワインが、ほぼ毎日の稽古に変わったこと。



「父さま、レイ兄ちゃんはボクの先生なんだぞ!」


 侯爵と延々と打ち合いを続けていたら、パットが怒り始めた。


 パットには悪いが、やはり、それなりの腕の者との稽古は楽しい。


 それに、手加減はしないが、できるだけ長引かせて汗をかいてもらうようにしている。


 四年間、身体にためたアルコールがやっと抜けつつあるようだ。


「悪いな、パット。夢中になりすぎた」


 侯爵は額の汗をぬぐいながら、パットに笑いかけた。

 この人はもう大丈夫だろう。そんな気持ちになる。


 パットを見る目は愛情で包み込むような優しい父親の目つき、そんな目つきのまま私にも笑いかけてくる。


「二人とも、汗びっしょりだな」


 笑顔の意味を考えてしまう。

 親しい年下の友人か弟への笑顔、弟分、まあ、そんなところか。だって、侯爵、私の前でシャツを脱ぎ始めた……、えっ?


 鍛えられた腹筋と胸の筋肉、四年間の怠惰な暮らしの影響を感じさせない。


 元々、かなり鍛えていたのと太るほどの食欲もきっとなかったのだろう。


 男の広い肩と背中。

 エメリア様を抱きしめていた広い胸と腕……。


 ハッとして、あわてて後ろを向いた。


「どうした、レイ?、お前も脱いだらどうだ。冷えたらカゼひくぞ。別に遠慮することはない」


「い、いえ、実は背中に大きな傷があって、人前では服を脱がないんです」


 ヘラヘラと笑いながら、混乱した頭は口からデタラメな言い訳をひねり出した。


「へー、そうなのか。どれ、どんな傷か見せてみろ」


 いたずらっぽく笑う侯爵にシャツの後ろの裾を掴まれ、めくり上げられた。


 ひんやりとした風が露出した腰に当たるのがわかった。

 逆に顔は真っ赤、カーと、ほてって熱くなるのがわかる。


 侯爵!、いけません、おやめください!

 ……いや、そんなつもりがないのはわかってます、今の私は男ですから。


 しかし、思いは伝わったのか、侯爵の手はシャツを離してくれたようだ。このスキに走り去る。


「部屋で着替えてきます!」

 

 いけない、侯爵との距離が近くなればなるほど、心がかき乱されることが増えていく。


 心がかき乱される? なぜ?

 だって、侯爵にとっては弟分でも、私は女だから……。


 こんなこと、ずっと続けられるんだろうか……。

 泣き出しそうな気持ちで走り続けた。



 食事も、侯爵とパット、そして私と必ず三人でするようになった。

 侯爵が家で食事をする機会が以前よりもずっと増えている。


 テーブルをはさんで座るパットが、その日に習ったことをうれしそうに話すと、優しい微笑みをパットに向ける。


 そして、そのまま視線を横に動かし、私にも同じ微笑みを向けてくる。


 どう反応していいかわからず、気づかないフリをして、ナイフとフォークで一生懸命、肉を切ることに集中する。


 本当なら親子三人の幸福な食卓。

 私はエメリア様の代わりではない、だって男だから。


 では、その微笑みはなんなのですか、侯爵……。



◇◆◇



「よおー、パット、お父ちゃんいるかー?」


「あっ、エドガーおじちゃん!」


 パットに稽古を付けていたある日、エメリア様の兄が侯爵を訪ねてきた。


 侯爵とは同い年。子供の頃から三人でよく遊んでいたらしい。

 くせ毛の金髪。この家の血筋なのだろう。

 父親がまだ現役なので、侯爵令息だそうだ。


 侯爵が不在だったのでしばらくお相手をすることになった。


「パーシー、だいぶ元気になったらしいな」


 パーシー? 誰? 

 そうか、パーシバルだからパーシーか。

 可愛い呼び名に微笑んでしまった。


 パーシー……、自分で小声で言ってみる。音も可愛い。

 きっとエメリア様がささやくと、優しい響きになるのだろう。


「キミがレイか。相当できるそうだが手合わせ願えないか。俺は現役の騎士団小隊長だぞ」


 ほう、これは面白い。



 早速、打ち合い稽古を始めた。

 さすがは現役騎士団、延々と打ち合いを続けたが簡単に勝負がつかない。


「わかった、わかった、この辺にしておこう」


 結局、決着はつかず打ち切られた。


「若いのにたいしたもんだ。剣は誰に習ったんだ?」


「父です。ロナルド・スペンサー。今は街の剣術学校の先生をやってます」


「ふーん、剣の名門スペンサー子爵家当主が街の先生とはもったいないな。レイだって良ければ近衛騎士団に推薦してやろうか? 見栄えもいいし、きっと一発で合格だろう」


 近衛騎士団、王の近辺を警護するエリート集団。

 民衆に見られる機会も多く、剣の腕だけでなく外観も重要だ。


 あっ、侯爵が帰ってきた。


 うわ……、どうしたんだろう。

 こっちに向かってくるが機嫌がものすごく悪そうだ。

 何かあったんだろうか、なんか怒ってる……。


「エドガー、なんの用だ。レイ、こいつとしゃべるとチャラいのが移るぞ。離れておけ」


「なんだよ、いきなり……。今、レイを近衛騎士団に誘っていたところだ」


「近衛騎士団だと……?」


 侯爵、なんかムッとした。


「父さま、今ね、二人で打ち合ってたんだけど、すごかったよ。ぶちのめされた父さまとは全然ちがってた」


 バカ、パット、そういうことは言うな。

 ほら見ろ、悪い機嫌がさらに悪くなった。


 ジロッとものすごい形相でにらまれたパットがおびえて私の陰に隠れた。


「ありがたいですが、興味ありませんね。私はこうして、パットの先生をやっている方が性に合ってます」


 実は、近衛騎士団の入団試験を受けたことがある。

 剣の腕、見栄え・外観とも合格。


 しかし女とわかった瞬間に落とされた。

 募集条件を読まなかったのか、とメチャメチャ怒られた。


 あれ? 

 侯爵がホッとしたような顔をしている。少し機嫌も直ったようだ。


「そうだ。近衛騎士団など堅苦しいだけで、レイにはあっていないぞ」


 侯爵、なんか嬉しそう……。なんでだろう?



 侯爵とエドガー殿、私たち三人は、花壇の前のテーブルに場所を移して、おしゃべりを続けた。


「あいかわらず、きれいな花壇だけど、そろそろ潰して、さっぱり忘れた方がいいぞ」


 うわー、これがエメリア様のお兄様か。


 世の中には確かにいるのだ、気持ちの切り替えができる、こういう性格の人が。

 そして、侯爵のような人を苦しめる。


「忘れる必要はない。心の奥のツボに大切に入れておくのだ。なあ、レイ?」


 目配せする侯爵に私は笑顔でうなずいた。

 侯爵はもう大丈夫だ。


「お前、なに言ってんだ……?」


 エドガー殿は不思議そうだ。

 まあ、わからないだろうし、わかる必要もないだろう。


「とにかく、元気になったのはいいことだ。今度、当家主催で俺の嫁探し舞踏会をやるから、お前も出てこい。エメリアの兄の俺が認めてるんだから、早く、いい子を見つけて再婚してパットに母ちゃんを作ってやれ」


 さすがに、すぐそこまでの気持ちの切り替えはできないだろう。

 ほら、侯爵はぶ然としている。


「誘いはありがたいが、オレみたいな子持ちの男が舞踏会で恋人や嫁さがしなど笑い話ではないか。やめておくよ」


「そんなことないだろ。子供が取り持って真実の愛をつちかうとか最近の小説にありがちな設定じゃないか」


 確かにそんな物語を読んだ気もする。

 エドガー殿は女性との話のネタに恋愛小説を読み込んでたりするんだろうか。


「そうだ! 子供が遊ぶスペースを作って、お前みたいなのや子連れの未亡人は子供同伴可にしよう。その場で子供とも知り合えば継母としての相性もわかるってもんだ」


「好きにしろ。とにかくオレは行かないからな」


「レイ、お前も来いよ。きっと、モテモテだぞ」


 舞踏会か。最後に行ったのは母に連れられていったころ、小さな子供のころだ。


 私も女、憧れる気持ちはある。

 しかし、令嬢たちにモテモテでも仕方ない。


「いやー、着ていく服もありませんし……」


「そういう子たちのためにドレスをその場で貸し出すようにしたんだ。真実の愛は貧乏令嬢との間に生まれるかもしれないだろ? 男物も用意しておこう」


 プッ、思わず吹き出してしまった。


「発想は面白いですが、エドガー殿は恋愛小説の読み過ぎではないですか」


 おや、侯爵がピクッとなにかに反応した。


「レイは、そんなとこに行かなくていい!」


 侯爵の大声とキツイ言い方にエドガー殿と私はびっくりした。

 侯爵自身も自分の声に驚いたように言葉を続けていく。


「ま、まだ十九だし、そんな色恋沙汰よりもっと大切なことがいろいろあるだろう」


「なんだよー、なにも、そんなに怒らなくてもいいじゃないか……」


 エドガー殿はブツブツ言いながら黙ってしまった。



「……ところで、レイ」


「なんでしょうか、侯爵?」


「いや、……その、なんだ、そろそろ名前で呼んでくれないか、侯爵ではなく」


 そうか、私がエドガー殿と呼んだから、自分もそうしてもらいたいのか。

 親友同士、ライバル意識が高いようだ。


「では、パーシバル殿、でよろしいですか?」


「……パーシー、で良い」


 パーシー……、エメリア様もそう呼んでいたのだろう。

 同じように呼んでいいとは嬉しい。

 でも、呼び捨てというわけにはいかない。


「では、今後は、パーシー殿、と呼ばせていただきましょう」


「へー、レイはよっぽど気に入られてるんだなあ。こいつ、めったにパーシーとは呼ばせないんだぜ。だって……、だって、ぷっ、なんか頭悪そうな呼び名だから!」


 エドガー殿は自分で言って自分で吹き出して腹を抱えて笑い出した。


 パーシー殿は……、いや、せめて心の中でだけはパーシーと呼ぼう。パーシーは真っ赤になって怒っている。


 パーシー……、音にするだけで優しくなれるような口の動き。


 私は好きですよ、エドガー殿。


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