第1話 最悪の出会い
「おい、若造、金目当てか?」
パーシバル・アッシュフィールド侯爵が冷たい視線で私を見下ろしている。
私は胴体を縄でグルグル巻きに縛られて柔らかい絨毯にひざまずかされている。
若造と言われたが、私は女、花も恥じらう十九の乙女だ。
だけど、黒髪のショートヘアー、飾り気もなにもない剣の稽古着というスタイルでは誤解されるのも仕方ない。というよりも、最近では誤解されて当たり前になっている。
ソファに座り脚を組んで肘をつく。感情を感じさせない氷のような冷たい表情。
『氷の侯爵』とはよく言ったものだ。
美しい金髪に海のような青い瞳。思ったよりも若い。三十手前ぐらいか。
こんな目で見つめられて微笑まれたら女性はたまらないだろう。
しかし、今の表情を見ていると、最後に笑ったのはいつかと考えたくなる。
私を縛るロープが身体に食い込み痛みを感じ始める。
十九の乙女になんという仕打ち、と言いたいが、息子をさらった若造と勘違いしているのは間違いない。
あんな子供、放っておけばよかった……。
二、三時間前のことを思いだして、ため息が出た。
◇◆◇
「レイ兄ちゃん、ボクの剣の先生になってよ」
街の広場で二十人近い子供を集めての剣術教室。
春も終わりに近づいて日が伸びた夕暮れ。生徒たちが帰って行く中、見慣れない上品そうな五、六歳に見える男の子が話しかけてきた。
訂正する気はもう失せているが、私は女、れっきとした子爵令嬢である。
我がスペンサー家は武人の血筋。父は剣術については一目置かれる存在だ。
十二歳の時、はやり病で母を失ったが父の愛情を十分に受けて育った。
無骨な父の愛情表現は剣術の稽古。
普通の女の子が音楽や刺繍を学ぶ時間、父は私にひたすら剣を教えた。
毎日、木剣で打ち合うのが父と娘の会話だった。
母の死後、十九歳の今に至るまで女性らしさを学ぶ機会もなく成長した。
ついたあだ名は『がさつ姫』。
「レイ兄ちゃん、さよーならー」
「レイ兄ちゃん、またねー」
「おー、家でもさぼらずに稽古しろよー」
もはや、姫ですらない……。
自称ではあるが、りりしい顔立ち、黒髪のショートヘアー、すくすくと上に向けてだけ育った長身のスレンダーな体格。稽古のため胸に布を巻き、シャツにズボンという服装。
稽古姿を気に入られて街の見知らぬ女性から恋文をもらったことも何度かある。
もう面倒なので放っている。
まあ、剣術教室、男の先生の方が受けが良い、というのも事実である。
「レイ兄ちゃん、聞いてる?、ボクの剣の先生になってよ」
さっきの子が、いつの間にか私のズボンを引っ張っている。
生徒たちの顔は覚えているが、この子には見覚えがない。
カールしたくせ毛の金髪に青い目。
汚れてはいるが上等そうなシルクの白いシャツ、衿にレースの飾りまでついている。かなり裕福な家の子供か。
可愛い子だ。きっと、将来は美男子になるだろう。
「ぼうず、どっから来た?」
「あっち」
私がたずねると男の子は山の方を指差して答えた。
剣術教室の生徒は五歳から十二歳、貴族もいれば裕福な平民の子もいる。小さい子は親か使用人が送り迎えをするが、お迎えを忘れられた生徒を送っていくこともちょくちょくある。
仕方ないので、手をつないで歩き始めた。
私には弟が二人いて、母が死んだ後、父と一生懸命育ててきた。
今では声変わりして反抗期。かわいくもなんともないが、この子を見て、昔の可愛かったころを思い出して微笑んでしまう。
「レイ兄ちゃんって、強くて、かっこいいよね。僕の先生になってよ」
「いいよー、お父さんお母さんと相談して、うちの教室に入ろうね」
そして、ちゃんと月謝を払ってね。
商売、商売。この子を届けて、そのまま親御さんと商談といこう。
平和な世の中、剣術の名家といえどもコネがなければ良い職はない。
まして女では、できるのは剣の先生ぐらい。
父も文官になって苦労している。
小さな教室とは言え、我が家の家計の柱である。
歩きながら話すうちに、この子も母を亡くしていること、家族は父だけということがわかった。
しかし、もうだいぶ歩いている。あたりも暗くなってきた。
人家もどんどん少なくなっていく。そろそろ不安を感じ始めた。
「レイ兄ちゃん、今日、うちに泊まってよ」
泊まって、泊まって、と何度か頼まれた。
父親との二人暮らし、友達も少なくて寂しいのだろうか。
そうこうするうちに、日が落ちて暗くなった。
まだ歩き続ける。いよいよ、人家もなくなって田舎道を進んでいく。
しかし、私が知る限りでは、この先にあるのは一軒だけ……。
「ぼうや、名前はなんていうの?」
「パット。パトリック・アッシュフィールドだよ」
当たった。この辺一帯の領主、侯爵家アッシュフィールド。
今の当主はたしか、パーシバル、何年も笑顔を見せたことがない、常に冷たい他者を寄せ付けない表情。
人呼んで『氷の侯爵』。ウワサは聞いたことがある。
「ねえ、いいでしょ、泊まってってよ。そんで、剣を教えてよ」
なんで侯爵家の子供が一人であんな遠くまで?
迷子か?
イヤな予感がする。さっさと、家の人に渡して引き上げよう。
「無理無理、ほら、お家が見えてきた、さっさと帰りな」
お家と言うよりは、お城が見えてきた、というのが正しい。
正門の門番が近付いてくる私たちに気づいて、大慌てで駆け寄って来た。
「パトリック様!」
「いたぞー!」
「ほら、お迎えが来たぞ、バイバイ、さっさと帰れよ」
私はパットの背を押して、来た道を戻り始めた。
その時、背後からパットの声が聞こえた。
「あのお兄ちゃんに連れて行かれたの!」
「はあっ!?」
驚いて振り返る私の目前に、二人の門番が怒りの表情で走って迫ってきた。
パットを見ると、ニヤッとズルそうな笑みを浮かべていた。
こうして、私は捕らえれた。
◇◆◇
縛られた腕がそろそろ痛くなり、イライラしてきた。
侯爵はなにも言わず、こちらを観察するように、ジッと見ている。
人を信じないような目だ。
「私はスペンサー子爵の家のものだ、父を呼んでもらえればわかる。あやしいものではない」
できればこんなことで家名を出したくないがやむを得ない。
こういう人たちは人を信じられなくても肩書きは信じるだろう。
案の定、侯爵は傍らに立つ男に父を呼ぶように指示を出したようだった。
だいたい、ウソつきパットはどこに行った?
あいつが本当のことを言えばすむ話ではないか。
「もう一度言うが、私は街で迷子になっていたご子息を送ってきただけだ」
「キサマは息子がウソつきだというのか?」
ジロリとこちらをにらんでくる。
やれやれ、侯爵様は親バカか……。
「いいですか侯爵、そもそも人さらいが連れ出した子供をまた連れてくる必要がどこにある? 貴殿はおかしいとは思わないのか?」
「おおかた、さらってはみたが怖くなって戻ってきたのだろう」
氷の侯爵は脳みそも氷でカチカチか。
もういい、説得はあきらめた。
「パットに聞けばわかることだ。ご子息がウソつきでなければですけどね」
イヤミを言い捨て、そっぽを向いた。
イヤミが少しは効いたのか、少し考えたあとで部屋にいた初老のメイドの方を見た。
「ベリンダ、パットは?」
「……まだ、お風呂でございます」
人をこんな目にあわせといて、自分はのんびり長風呂か。
まあいい。誤解が解けるのは時間の問題だろう。
せっかくなので、侯爵様の暮らしを観察することにした。
ここはリビングなのか、フカフカのじゅうたん。おかげでヒザが痛くない。
家具も調度品も高級そうだ。
天井にはシャンデリア、一つ一つにロウソクがともっている。
あちこちにメイドや使用人がいる。
人手と手間ひま掛けて複雑に暮らすのが侯爵の暮らしか。
上級貴族の生活というのも大変なものだ。
「レイ兄ちゃん!」
やっとフロから上がり、高級そうなシルクのパジャマを着たパットが駆け寄ってきて抱きつかれた。
しかし、わたしたちを見る侯爵の目つきが険しく変わったのがわかった。
「父さま、レイ兄ちゃんはすごい剣の先生なんだ。だから、うちでボクの先生になってもらおうと思って……」
パットはうれしそうに話し始めたが、怒りの表情で近寄ってくる侯爵の姿に、おびえ始めて言葉を止めた。
「お前はウソをついたのだな」
侯爵は右手を振りかぶった。
「ま、待て!」
私は半腰になり、かばうようにパットの前に立ち侯爵との間に割って入った。
パーン!
侯爵の手はわたしの頬をひっぱたき、乾いた音が響き渡った。
わたしの身体は吹っ飛んだ。
侯爵もアッと驚いて立ちすくんでいるようだが、もっと驚く人が入り口に立っていた。
「アッシュフィールド侯爵、これはいったい⁉」
駆けつけた父はぼう然とその光景を見ていた。
自分の娘が縛られたまま侯爵に平手打ちを食らって吹き飛ぶ姿を。
◆
さすがの『氷の侯爵』も、ソファーの向かい側に座る父と私に頭を下げている。
下げた頭がずっと戻ってこない。
「大変申し訳ない。誤解とはいえ、こんなことをしでかしてしまい、詫びの言葉もない」
非を認める態度はいさぎよい。少しだけ見直した。
「ごめん、レイ兄ちゃん、ボクのせいで……」
パットはぶたれて腫れたわたしの頬にぬらしたタオルをあててくれている。
優しい子だ。私は頭をなでてあげた。
「たいしたことないから大丈夫。ただ、どんなときでも、絶対にウソはダメだぞ」
「うん、もうしません……」
そんな私たちの様子をじっと見ている侯爵の視線に気づいた。
それは氷ではなく、暖かさを感じられる優しい父のそれだった。
私と目が合った侯爵は視線をそらせて父に言った。
「スペンサー卿、どうだろう、ご子息に我が息子、パトリックの剣の先生、住み込みの教育係になってもらえないだろうか?」
えっ?、父も私も驚いた。
「この子は人見知りが激しくて、なかなか教育係が見つからない。やっと見つけて、うまくやっていた者が故郷に帰ってしまい、今日も街まで勝手に行って、その者を探していたようなのだ」
はあ……、父も私も唐突な申し出に反応は同じだった。
「パトリックはかなりご子息を気に入ったらしい。もちろん、報酬は支払う。今日の詫びも込めて最高の水準で考えたい」
父の目が輝いた。
「この子の剣の腕は、すでに私に匹敵しております。貴族としての礼儀作法も十分心得ております」
えっ、なにそれ、貴族としての礼儀作法?
まあ、男の子を教える分にはなんとかなるかも知れない。
女の子なら絶望的だったが……。
いや、一つ、大事なことを忘れていた。
「父上、私には剣術教室があります。ここで住み込みというわけには……」
「ああ、教室はワシがやるから問題ない」
今の仕事はどうするのですか、と聞く前に父はわたしの耳元でささやき始めた。
「実は、今日クビになってしまった。やはり、事務仕事はワシには合わんかった。すまんが、お前もしっかり稼いでくれ」
ああ、平和な世は我がスペンサー家になんと厳しいことか……。
「あと、くれぐれもバレないようにな。男の子の剣の先生と教育係、男の方がいいに決まっておる」
父はわたしの両肩をつかんで改めて侯爵の方を向かせた。
「我が息子レイ、必ずやご令息が立派な男に育つ助けとなりましょう」
早速、パットが抱きついてきた。
「やったー、レイ兄ちゃん、ご本読んで! いっしょに寝よう!」
父上、たった今、ウソは絶対にダメだぞとパットに教えたところなのですが……。
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