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第二章 翠眼の少年と剣聖の影

第二章 翠眼の少年と剣聖の影


 霧が村を包む昼下がり、ボクはキムキスと並び、広場の喧騒を眺めていました。


 羊はなお空を舞い、村人たちは混乱と冷めた笑いの間を行き来していました。井戸の詩は止まず、「おお、霧の谷、汝の真実は深く……」と繰り返しています。


 レベルゼロの魔法使いの弟子ラプランティのボクにこの不条理を収める力はありません。ですが、お師匠さまの世界で八番目の魔法使い〈ラ・ユイティエム・ソルシエール〉の名を背負い、ボクは一歩を踏み出します。


   *


「お前、いつまでボヤッと突っ立っている?」


 女騎士キムキスの声が、霧を切り裂きました。


 赤髪碧眼、身長一八八センチの剣聖が剣の柄に手をかけ、ボクを睨みました。彼女の魔術が付与された鎧は陽光を跳ね返し、まるで霧すら従えるようでした。


「焦っても羊は落ちてきません。ボクはまず、井戸の詩を調べます」


 ボクは翡翠ひすい色の瞳で答えました。


 彼女が鼻を鳴らしました。


「ふん、レベルゼロの小僧が何を企むか。良かろう、井戸へ行け。だが、我の目は逃れられぬぞ」


 彼女の言葉は、剣の切っ先のように鋭いです。きびすを返す彼女の背に、ボクはタスケスパラ辺境伯の密命という影を〈〉ています。彼女が何を追っているのか、ボクにはまだ霧のように掴めません。


 井戸のそばで、ボクは詩を聞きました。


 村人たちが遠巻きに囁き、羊の飛行を指さしています。


 ボクは水面みなもを覗き、詩の響きに耳を澄ましました。


「汝の真実は深く、されど光は闇を破る……」


 その言葉は、お師匠さまの調合薬の失敗とは異なる匂いを持っていました。魔法の使い方ゼロのボクにも、何かがおかしいと分かります。


「お前、何か見つけたか?」


 背後からキムキスが聞きました。もう用を済ませたようです。


 彼女の魔法剣は鞘に収まったままですが、その気配は霧を凍らせます。


「この詩です。この詩はただののろいじゃあありません。別の魔法の痕跡を感じます」


 ボクは慎重に言葉を選びました。彼女は眉をよせ、水面を覗きました。


「別の魔法だと? お前の師匠、エラシェスはかくも杜撰ずさんな真似をするのか?」


 彼女の声には、疑いと軽蔑が混じっています。ボクは苦笑しました。


「お師匠さまの杜撰ずさんさは、霧のごとく日常。されど、大魔法使いの魔法は深遠。――この詩がお師匠さまの失敗を超えるなら、別の意図が潜むのかもしれません。この混乱も、意図しない結果に過ぎないと信じたいです」


 ボクの言葉に、彼女は一瞬、目を細めました。


「ふむ、観察力だけは悪くないな。進め、小僧。我が剣は、まだお前を試めしている」


 彼女の笑みは、霧のように不確かです。


 調査を進める中、村の広場に新たな影が現れました。


(最悪だ……)


 黒髪黒眼の美女が赤いローブを翻しました。


 舞い降りたのは、世界で八番目の魔法使い〈ラ・ユイティエム・ソルシエール〉エラシェスその人でした。


 村人たちが息をのみました。敬意と畏怖の目で大魔法使いを見上げました。


(……)


 ボクは内心で呻きました。大魔法使いの登場は不都合のまま事態を収めるか、さらなる混乱を招くかのどちらかです。


「おお、弟子よ! そなた、よくぞ妾の名を守った!」


 エラシェスさまの声が広場に響きました。


 地に降り立った彼女がボクの肩に手を置き、村人に微笑みました。


「そなたら、憂うな。わらわ――八番目の魔法使い〈ラ・ユイティエム・ソルシエール〉がこの異常を正そうぞ」


「お師匠さま、なぜここに?」


 ボクは小声で聞きました。お師匠さまが笑い、耳元で囁きました。


「弟子よ、妾の調合がほんの少々、予想外の進展を招いたのだ。結果を見ずにはおれぬ」


 大魔法使いの目はまるで子猫を見つけたように輝きました。ボクは溜息をつきました。


「少々、ですか? 羊が空を飛び、井戸が詩を詠うのが?」


 ボクの皮肉に、お師匠さまが笑みを深めました。


些細ささいなことよ、弟子。されど、わらわが原因を明かそう。この異常は、妾の調合薬――愛の秘薬の失敗に起因する」


 世界で八番目の魔法使いが堂々と失敗を宣言して、村人たちがどよめきました。


(愛の秘薬? そんなバカげたものを、なぜ作ったんです?)


 ボクは頭を抱えました。


「お師匠さまは、村を恋に狂わせるつもりだったんですか?」


 ボクの声に、大魔法使いが手を振りました。


「弟子よ、誤解なきよう。わらわは友人の依頼で調合しただけ。されど、材料を少々間違えたのか、薬が霧に溶けこの村に広がった。些細ささいな失敗よ」


 師匠の「些細」は、ボクの辞書では「災厄」と訳されます。


 赤髪碧眼の女騎士キムキスが一歩進み、お師匠さまを睨みました。


「エラシェス、お前の杜撰ずさんがこの混乱を招いたのか? 我はタスケスパラ辺境伯の命を受け、異常の原因を探っている。――愛の秘薬など、笑いものだ」


「そなた、剣聖キムキスか」


 大魔法使いが女騎士を見据え、優雅に微笑んだ。


「妾の失敗は認める。されど、この異常には、妾の魔法を超える影が潜む。そなたも感じるであろう?」


 キムキスの目が鋭くなりました。


「影だと? 証拠を示せ、エラシェス。さもなくば、我が剣が裁断する」


 ボクは二人の間に立って、仲裁を試みました。


「お師匠さま、キムキスさん、落ち着いてください。ボクが調べます。井戸の詩に鍵があるはずです」


 お師匠さまが頷き、ボクの頭を撫でました。


「さすが妾の弟子。そなたは詩を追え。妾は塔で、次の調合を試みるゆえ」


 世界で八番目の魔法使いがローブを翻し、天空に消えました。


(次の調合? また他の村に厄災をく気ですか!)


 ボクは呆然としました。


 キムキスがボクを睨んでいました。


「お前の師匠は霧より掴みどころがないな。――ラプランティ、お前はどうだ? この詩に何を〈〉る?」


 ようやく名前を言って、魔法使いの弟子に意見を求めました。


「ボクはレベルゼロです。魔法の知識は乏しいです。けれど、この詩の響きが愛の秘薬と異なるくらいは分かります。別の誰かが、村に魔法をかけた可能性があります」


 ボクの言葉に、彼女は一瞬沈黙しました。


「ほう、小僧、観察力だけは認めてやろう。良かろう、詩を調べてみよ。だが、我の目とこの剣からは逃れられぬ。覚えておけ」


 彼女の声は、霧を凍らせました。


   *


 夜のとばりが村をおおうまで、ボクとキムキスは井戸の周りを調べました。


 羊はプカプカ空に浮かんでいますし、詩はなお井戸から響いています。


 素足になったボクは井戸を下りました。腰のロープ一本が命綱です。


 ボクは水面に、魔法をこめた手で触れました。


(コレは……)


 微かな魔法の脈動を感じます。


 レベルゼロのボクにその魔法を操る力はありません。ですが、魔力を感じることはできます。


(この感触は……)


 この詩はお師匠さまの失敗を隠れみのに、別の意図をつむいでいました。


「お前、何か見つけたか?」


 上からキムキスが問いました。井戸の周りがときおり光るのは、彼女の腰の剣が月光の下で冷たく輝いているからです。


「詩の魔法は、村の霧に溶けています。愛の秘薬が引き起こした混乱を利用し、別の魔法が働いています。あいにくボクにはそれが何かまだ分かりません」


 ボクの言葉に、彼女が頷きました。


「ならば、調べ続ける価値がある。ラプランティ、お前の師匠がレベル外の魔法使いなら、お前は何だ? レベルゼロの役立たずか?」


 彼女の言葉はいつもボクの胸に突き刺さります。引き上げられながらも胸中は井戸の底にあるようです。


「ボクは、お師匠さまの弟子です。役立たずでも、真実を追います」


 靴を履きながら、ボクは翡翠色の瞳で彼女を見返しました。


 キムキスは一瞬、笑みを浮かべます。


「フン、気概だけは悪くない。進め、小僧。我が剣は、まだお前を試している」


 彼女の声は、霧のように揺れました。


   *


 その夜、ボクはキムキスの気配に戦慄しました。村長から聞いた噂では、レベル99の女騎士〈不破〉の剣聖キムキスの剣は、霧すら斬り裂くというのです。ボクはレベルゼロ、魔法もロクに使えない身です。そんな彼女と肩を並べ、真実を追うなんて笑いものでした。けれど、井戸の詩が響く限り、ボクは逃げられません。


 霧の谷に、不協和音が響きました。


 お師匠さまの失敗が招いた混乱は、ボクを奇妙な事件の渦に引きずり込みました。キムキスという剣聖の影に怯えつつ、ボクは詩の謎を追うばかり。レベルゼロの魔法使いの弟子に、こんな仕事が似合うとは思えません。ですが、霧が晴れるまで、ボクは歩み続けます。



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