Part4
席に着き、注文用のタブレットを手に取って、しばしにらめっこする。注文を急かすウエイトレスさんとかやって来ないので、こういう場合、ゆっくり選べて至便だ。
ひとつひとつのメニューを、つぶさに見て、表示されている塩分を確認してゆく。和食も中華も総じて高い。そして私は、洋食のある肉料理のページで目が留まった。
塩分〇・八グラム! 驚異的な数字だった。料理の名は、スパイスふんだんチキンソテー。いい響きだ。ブロッコリーやニンジンの野菜もいっしょに摂れる。
これしかない。メインはこれで決定だ。続いてご飯を小盛、キャベツとかさすがに飽きたので海藻サラダをチョイスし、注文のボタンを押して送信する。
おかわり自由のスープも頼めたが、それは諦めるしかない。スープにも塩分は豊富に含まれているのだ。ついこの間までは、空腹を満たすために最低二杯は飲んでいたものだが。
昔なら、デザートも頼んでいたところである。仕事で疲れているので体が甘味を欲しているのだ。ティラミス風のアイスクリームとか今食べたら体に沁みるだろう。
私はドリンクバーで、水だけ調達し席に戻った。
料理を待つ間、スマホを手に取って、昨日処方された高血糖の薬について調べてみた。予想していたとおり、糖尿病初期の者に処方される薬なので、ごく軽いもののようだ。しかし、記事を読み進めるうちに私には未知の事実が判明した。
処方された薬は、肝臓の働きを弱める効能があるらしい。肝臓は、空腹になると糖質を作り始めて、血管に送り出し、血中のバランスを保とうとする。その働きを抑制する薬なのだった。
ああ、肝臓くん┄┄。糖質が多過ぎて困っている体に対して、なんてことをしてくれているのだ。君はアルコールを分解してくれる、とってもいいヤツだが、私の知らないところで、そんな悪さをしていたのか。もう、やらなくていいぞ。糖質を作れなんて、私は一切命令していないのだから。
ぼーっとしていると、妙に脳天気な音楽に乗って、直立した猫の形をした配膳ロボットが、私の席までやって来た。私はロボットの棚から、料理を全てテーブルに移す。
「ゆっくりしていってね」
猫が人語を話し、また軽快な音楽に乗って去って行った。
子供なら大喜びするところだろうが、あいにく私は、いい大人だ。しかも老境に入りかけている。どちらかというとウエイトレスさんの方がいいな、と思いながら私はナイフとフォークを手にした。
土曜日の昼前。会社は週休二日制なので、今日は休みだ。
私は駅にほど近いスポーツクラブにいた。その受付カウンターで、入会の手続きをしているところだ。
運動療法もしますと、女医さんの前で大見得を切ってしまった以上、取りあえずは、やるしかないのだった。運動は、糖尿病にも高血圧症にも必要な療法だとされている。
けれども、子供の頃から運動は苦手だし嫌いだった。特定のスポーツを趣味にして、熱中したことなどない。運動するぐらいなら、寝ていた方がいい。そんな性分なのだ。
戸外でジョギングも考えてみたが、朝早く起きるのは無理そうなことだし、夜に仕事から帰った後、また外に出るのも何だか億劫そうだ。雨の日はどうする。カッパを着て走るのか。足が滑ったりして怪我するぞ。┄┄走る前から、そんなことを考えているようでは、とても長続きなどしそうもなかった。
その点、スポーツクラブは雨の日でも運動できるし、お金も掛かることなので、ジョギングよりは本気になれそうだった。それにスポーツクラブには利点になりそうなことが、もうひとつあった。それは筋肉トレーニングができるということである。
筋肉は、強烈な刺激により組織が痛むと、再生しようとして血中から糖質を取り込むのである。つまりインスリンの分泌を促す働きをするのだ。これから老化によって衰えていくであろう筋肉を保持し、糖尿病の治療にも役立つなんて、一石二鳥ではないか。
さらにスポーツクラブには、血圧計が置いてある。仕事がある日は会社に備え付けのもので血圧を測れるが、休日にわざわざ血圧を測るためにだけ出勤するわけにもいかない。
手続きが終わり、私はロッカールームに行き、新品のTシャツとトレーニングパンツに着替えた。同じく新品のシューズを履いて、地下のジムエリアに移動する。
ジムでは、見たことが有るような無いようなマシンが整然と並べられていた。そのマシンの大半に人がいて、トレーニングに励んでいる。男も女も老いも若きも、ほとんどの人がピッチピチのウエアを身に付けて、筋肉が盛り上がっている。汗でむせ返るような臭い──まではしないが、それに近い熱気があった。私のような、ぽにゃっとした体型の人は少ない。そりゃそうだ。ここは筋トレに特化していることで有名なスポーツクラブなのだから。
私は、まずランニングマシーンに乗っかって、起動スイッチを押して走り始めた。有酸素運動は、運動療法に欠かせない。汗をかくことによって、塩分も排出される。スピードを上げ過ぎて、少しぐらついたが、時速八キロぐらいに調整し直して二十分ほど走った。