Part3
醤油の次に塩分を多く含んでいる調味料といえばソースだ。ソース┄┄。トンカツとかの揚げ物には、欠かせないぞ。千切りキャベツにだって、すごく合うぞ。ええい。醤油をカットする以上、この際、ソースにもご退場ねがおう。
そのほかマヨネーズやらサラダのドレッシングにも塩分は含まれている。かろうじて七味唐辛子などのスパイス類には塩分が無いことが判った。そりゃそうか。┄┄だからといって、七味ばっかりかけて食うわけにもいかないだろう。喉の気管のほうに入って、咳き込むこともあるし。
私はハイボールをぐいっと飲み、改めてテーブルに並んでいる料理を眺めた。
ウナギのかば焼き、本場のソースで食べる人気串カツ五種、牛のホルモン鍋、タレで茶色くなっている大串の焼き鳥、炙った明太子、漬物の盛り合わせ┄┄。どれも塩分をたっぷり含んだ魅惑的な料理だ。
私は、それらを最後の晩餐のような気分で勢い良くたいらげた。その後、水で高血糖の薬を一粒飲んで、本日の高血圧に関する傾向と対策の独り宴会は終わりを告げた。
翌日から、私の新しい闘いが始まった。薬は飲み始めたものの、糖尿病との闘いも継続しながらの出陣である。
まずは朝食からだ。
私は、とある牛丼チェーンの店に入る。牛丼チェーンはどこでもそうだが、リーズナブルに朝食を提供してくれる、独身者にとってはありがたい場所だ。
今朝のメニューは、目玉焼き定食に納豆、生野菜サラダ。あっと、ご飯は少なめで。生野菜サラダに付いてくるドレッシングのビニール袋は、店員に遠慮申し上げた。
間もなく朝食がトレイに乗って出てきた。キャベツやレタス、細く刻んだニンジンやら数種の生野菜が入った小鉢を手に取る。糖尿病患者が食べる順番のルールに乗っ取って、野菜から口に入れるのだ。
シャキシャキ感しかない。私は思わず味噌汁を、ちょっとだけ飲んでしまった。
目玉焼きには醤油をかける派だった。いつもの習慣で目の前に置いてある調味料の数々から、つい醤油のペットボトルをつかんでしまう。危ない。私は醤油から手を離し、目玉焼きを白いご飯の上に乗せた。
そのまま、かきこむ。見事なほど味がしなかった。卵一個には、〇・四グラムの塩分が含まれているはずだが、私の舌では全く感知できない。
納豆のパックを開けて、タレと調味料の小袋をのける。納豆にも醤油をかける派だったが、何も足さずに箸でかき回してから、これもご飯に乗っけて食べた。口の中がベトベトになり、最後に味噌汁の具をすくって口に入れ、私の朝食は終わった。味気ないことこの上ない。
こんなこと続けられるのだろうか、と思いながら糖尿病の薬を飲む。薬は、朝晩二回飲むことになっていた。はあ。不安がつのった。しかしこれで、何とか塩分ゼロに近い食事ができたことになる。
高血圧の治療では、一日の塩分摂取量量は六グラム未満とされている。一食にすると二グラム未満だ。外食とテイクアウトだけで実現するのは、たぶん無理だろう。厚生労働省が推奨している健康な人の一日の適正摂取量は、七・五グラム未満。これもクリアーするには、なかなか難しいものがある。しかし、このくらいはやらねば。
ちなみに日本人男性の一日の塩分摂取量は、平均して十一グラム前後らしい。私の場合、頭の中でざっと計算したところ、十五グラムから二十グラムくらい摂っていたようだ。そりゃ、高血圧にもなるわなあ。
昼食は会社の地下食堂に行った。けっこう混雑して繁盛している。昼休みの時間が短いこともあって、社員の半分くらいは外には出ずに、ここでランチしているのだ。
出入り口にある豊富なメニューのウインドウには、各料理のカロリーと味噌汁抜きの塩分が表示されていた。私は、その中で一番塩分の少ない定食を選択した。三・一グラム。ミックスフライ定食である。揚げ物は、ソースさえ使わなければ比較的塩分の少ない料理なのだ。
ご飯が半分の茶碗と味噌汁、料理皿の乗ったシンプルなトレイを持って、大型テレビの前のテーブルまで歩いて腰掛ける。
皿には小さめのトンカツに、エビフライ、イカフライ、鶏ささみフライが寄り添って集結していた。見てるだけでワクワクしてくる一皿だ。
私はフライたちの隣りで、山盛りになっているキャベツから手をつけた。顔がゆがむのが自分でも判る。
気を取り直してトンカツだ。テーブルの真ん中に置かれている調味料のトレイには、ソースもある。ひときわ背高く立っている。それを使いたい欲望をぐっとこらえ、トンカツを口に入れた。
んっ? 意外に旨い┄┄。豚肉と小麦粉の味が絶妙にマッチして、淡い香りが口にひろがった。これはいけるのではないか。他のフライも素材の味がダイレクトに舌に伝わり、ソースを使った時よりも旨みが口に残る。これなら続けていける気がした。
仕事帰りの夕食は、某ファミリーレストランにした。特定の料理の専門店よりも、洋食・和食・中華のそろったファミレスならば、塩分の少ない料理が見つけられるのではないかと思ったからである。