幕間10:お慕いしております
王都から馬車で南にしばらく進むと、豊かな田園風景が見えてきます。
それが私の故郷である、コアー領です。
私、ウィケは朝からソワソワしていました。
予定通りであればお昼頃に、フォルク様がいらっしゃいます。
ああ、フォルク様、ウィケはお慕いしております。
「おはようございます、ウィケ様。朝食の準備ができましたよ」
「おはよう、プエル」
メイドのプエルに呼ばれた。
どうやら私は、起きてしばらくぼーっとしていたみたい。
「プエル、お菓子を作る準備の方は…」
「抜かりなく、生地も果物も準備できていますよ。お嬢様が初めて作るお菓子、大変楽しみです。応援していますよ?」
「ふふ、ありがとう、プエル」
フォルク様に食べてもらいたくて、あと、みんなに魔法学校で鍛えた自立心を見てもらいたくて、タルトを焼く準備をしてもらいました。
…本当は買い出しも準備も自分でしたかったのですが、父さんに止められてしまいました。
もう、父さんは過保護が過ぎるんです!
魔法学校の入学だって、貴族は必ず入学なのに最後まで反対していたんだから!
「ウィケ、おはよう」
「おはようございます、父さん」
食卓にはすでに父さんがついていました。
なにやら難しい顔をしています。
「今日は、勇者の息子がいらっしゃる日だったな?」
「はい、フォルク様はお昼頃にいらっしゃるとおっしゃっていました」
「うむむ、そのフォルクとやらは本当に、ウィケが言うように素晴らしい人なのかい?本当に…ほんとーうに!ウィケに並び立てる人なのかい。パパは心配だよ」
「もう、またその話!何度も言うように、フォルク様は素晴らしいお人ですよ」
父さんはなにやら非常に心配している様子です。フォルク様が遊びにくると伝えて以降、ずっとこの調子。
プエルが言うには、年頃の娘を持つ親はみんなこうなのだと言うのです。
私にはよくわかりません。
食事が終われば、父の後ろについて今日もお仕事。妹をプエルに任せて、お出かけです。
父さんは子爵として、王より、小さいながらも領地を授かっています。
税収により安定した暮らしができる代わりに、貴族としてさまざまな問題に対処しなければなりません。
まずはパトロール。
配下の騎士たちに命じて、領地の危険なところをパトロールします。
もちろん、父さんも一緒に出動します。
父さんが言うには、貴族たる自分こそが1番前に出ねばならないということです。
私もその通りだと思います。
猛獣や魔物の痕跡を見つけたら、調査隊または討伐隊を結成して遠出します。が、今回のパトロールではなにも見つからずに済みました。
平和な世の中に感謝しないといけませんね。
パトロール中、住民たちの悩みを聞くことも忘れません。
作物の育成状況、獣の被害、公共施設の不備、などなど住民たちの悩みは尽きません。
そうした悩みの中で、気になる話を聞きました。
「領主様、トイレの流れが悪いのですよ。先日の大雨の影響でしょうか?」
「そうか、それは調べなければな。報告に感謝する」
午後のお仕事が決まりました。
下水道の調査です。
「ウィケ、下水道の調査は大変な仕事だから午後は休みなさい」
「だめです、父さん。子爵の娘だからこそどんな仕事も積極的に挑まなければ、父さんの領地を引き継ぐことなんてできないです」
「しかし…友達が来るのだろう?このような仕事をさせてしまっては、友達とも会えまい」
「大丈夫です。フォルク様はそんなことを気にする人ではありません」
下水道。
この千年王国の地下には多重の魔法陣が敷かれた地下水路が張り巡らされております。
簡単な仕掛けと魔法の組み合わせで、トイレやお風呂などから汚れた水を集め、汚れを取り除き清浄な水へと戻す。
…と、理屈は説明できるのですが、実態の把握はなかなか難しいものです。
下水道はネズミや虫の棲家となっており、生活水が流れ込むこともあって非常に不潔です。
私たちコアー家が子爵としての地位を得たのも、下水道の整備ができることが大きかったといいます。
貴族たちにとってこのような仕事は不名誉だと思う人も多く、父さんはそれが心配なのでしょう。
でも大丈夫です。フォルク様はそんな人ではありませんから。
ああ、フォルク様、ウィケはお慕いしております。
「...ィケ、ウィケ、どうしたんだい?やっぱり休むかい?」
「いえ、お父様。大丈夫です」
フォルク様に会えないからでしょうか?
なんだか、フォルク様を思いうかべる時間が増えたような気がします。
下水道の調査準備のために邸宅に戻ると、見慣れない馬車が止まっていました。
ああ、フォルク様、いらっしゃったのですね。
「ウィケ、こうして顔を合わすのは久しぶりだな」
「あ、ああフォルク様!お待たせしてしまったでしょうか」
「気にするな、それよりこれから仕事か?僕も付き合おう」
「え、あ、そ、それは…」
ああ、どうしましょう。
フォルク様がお仕事について行こうとしている。
きっとフォルク様は気になさらないでしょう。しかし、この仕事は汚れてしまう。フォルク様にさせるわけには…
「これから下水道に行くのです。フォルク様には似つかわしくありません」
「お、下水か。一度は見てみたかったのだ。これは是非ついて行かなければな」
「し、しかし…」
ああ、私に来るなと言った父さんもこんな気持ちだったのでしょうか。
どうしようかと思案しているとフォルク様に押し切られ、一緒に行くことになりました。
下水に降りると、不快な匂いが鼻をつきます。
私は慣れていますが、フォルク様は…
「ふむ…匂いが薄い。菌の抑制をする魔法か?はたまた、ウィケたちの定期的な整備のおかげか?」
「フォルク様?」
「なに、我…もとい僕が知る限り、魔物の下水周りの環境はもっと悪い。それと比較して随分と清潔だと思ってな?」
「お、驚きました。フォルク様がこの仕事に興味がおありとは…」
「そうか?統治者たるもの、民の環境に興味があるのは当然だろう?」
「と、統治者…?」
「あ、いや、スバリオと談義で話したことがあってな。しかし素晴らしいぞウィケ。普通は嫌がられるであろう仕事を率先してやるとは」
「いえ、そんな…」
「謙遜するな。こうして労働に従事し、そして誇りを持つ貴様は、とても美しい」
う、う、う、美しい!?
「誇るといい。貴様の両親はいい後継に恵まれたな」
隣で聞いていた父さんは、痛く感動した様子で声を上げた。
「フォルク様、勇者の息子にこのようなお言葉をいただけるとは。このコアー、感激です」
「いえ、コアー子爵。僕は事実を言ったまでです。顔をおあげください」
下水道の不調は…やはり先日の雨だったようです。雨に流された木材が流れ込み、水をせき止めていました。
フォルク様は、私たちと一緒に撤去作業を手伝われました。
ああ、公爵にして勇者の息子にこのようなことをさせてしまうなんて…
「気にするなと言ったろう。父上たちなら、むしろ手伝わなかった方が怒るだろうしな」
フォルク様は、そう笑っていました。
私は、父も、父の仕事にも誇りを持っています。
でも、それが誰にでも理解されるとは思っていません。
派閥騒ぎの時のように、忌避する人がいるのも理解しています。
でもそれでよいのです。
ウィケの誇りは、私だけの誇り。
私は、私が私の誇りを大事にすれば、それでよい。
そう、思っていました。
それでも、理解を示してくれる友達ができたのはうれしかった。
スバリオ様、トレンさん、シデルさん、ダリアさん、そしてフォルク様。
ウィケの誇りは、私だけの誇り。
それでも、それが共有できることは、とてもうれしい。
そう、思うのです。
そんなことを考えていると、撤去作業はあっという間に終わりました。
父さんはニコニコしながら、フォルク様をほめたたえています。
フォルク様の方は、なんだか居心地が悪そうにしていらっしゃる?
さて、いつもなら仕事を終えて邸宅に戻った私たちは、汚れを落とすためにお風呂に入ります。
しかし、今はフォルク様がいらっしゃいます。どうしたら良いのでしょう!!
まさか一緒に入るわけにもいきませんし!
でもフォルク様を汚れたままお待たせするわけには!
ああ、ああ、フォルク様。ウィケは、ウィケは…
ーーー
誰かの膝の上で目を覚ます。少しゴツゴツしてて、でも暖かい。
これは、だれ?父さん?
「目覚めたか、ウィケ」
「フォ、フォルク様!?」
「貴様、家に着いた途端急に倒れおって。顔も赤いし、さては少し無理していたな?」
「そ、そ、そんなことは」
「いいから少し休め。」
私ウィケは、こんな幸せなことがあっていいのだろうかと、そんな気持ちでフォルク様の膝枕に身をまかすのでした。
ああ、フォルク様、ウィケはお慕いしております。
お慕いしております。
お慕いして...お慕いして...おおお...
やっぱり落ち着きません!
ーーー
フォルク様は、公衆の浴場を利用することになりました。
たまに父さんを手伝った方たちが、そうしているように。
なんだか少し残念に思いながら...どうして残念に思うのです。
ウィケ、はしたないですよ。
そんなこんなで少し休んでお風呂に入り、お料理をしました。
朝、プエルに用意してもらった材料を使い、フルーツタルトを作ります。
作りながらフォルク様のことを考えていると、誤って指を切ってしまいました。
傷は浅いですが、血が出てしまいました。ああ、材料を汚す前に拭かなければ。
ふと、手を止める。
フルーツタルトの生地、フォルク様のものを特別に分けて用意していました。
目の前には私の血とフォルク様の生地。
ウィケは...ウィケは...。
ーーー
そこから先はよく覚えていません。
でも、なんだかとても悪いことをした、そんな気がして食事中はフォルク様が見れませんでした。
私は、何をしてしまったのでしょうか。気付けばタルトは出来上がっていて、何がなんだかわかりませんでした。
タルトは大変好評で、父さんもフォルク様も残さず食べてくれました。
でも、フォルク様は一口目に、妙なお顔をされたような?
やっぱり私、何かしてしまったのでしょうか?うーん?
そうしているうちに夕方になり、フォルク様が帰る時間になりました。
「またな、ウィケよ」
「はい、次に会う時を楽しみにしています」
隣で父さんが声をあげた。
「フォルク様、またのお越しをお待ちしております」
「えぇ是非。コアー子爵もお元気で」
「もしよろしければウィケを貰ってやってください!私の誇り、私の娘。あなたのような方なら託すことができる!」
え、ええ、父さん!何を言っているの?
「ははは、そうさせてもらうさ」
軽く笑って答えた後、フォルク様はこちらを向いて言いました。
「ウィケ、四天王の話は忘れていないな?」
え?
「これで親公認。いずれ必ず四天王になってもらうからな、忘れるでないぞ?」
そう言ってにやりと笑い、フォルク様は帰っていきました。
父さんは「してんのうとは?」と不思議そうに首をかしげています。
ええ、わかります。わかりますとも。
フォルク様は四天王なるものに私を勧誘したがっていました。
父さんの言った意味で「貰う」わけではない。
でも、でも、顔がほころんで。どうしようもなくて。
ああ、フォルク様、ウィケはお慕いしております。
お慕いしております。心から。