#9.ちいさいのはいや……?
「貴方達の、叶えたい願い、お姉さんに聞かせてみなさい……?」
再び同じことをサキュバス・ローレンシアは口ずさむ。
心なし、こちらの反応を窺うように。
さっきよりちょっと不安げに。
「……あの? ちょっと?」
しかし、誰も答えようとしない。
(うーん? 私の想定だともっと食いつきよく「なら先に俺の願いを」「いいえ私の願いが先よ!」みたいになるものだと思ってたんだけど……)
本人的にはキメ台詞。
これ以上なく極まったと思ったのに思った以上に食いつきがないのだ。
別にそれで争わせたいわけではなかったが、この反応のなさは彼女的に意味が解らなかった。
「……いや、悪いんだけどさ」
誰も答えようとしない中、他の三人の顔を確認するように見て、嫌々といった感じで声をあげたのは、シェルビーだった。
「多分、あんたに願い叶えてもらう事より、願い叶えた結果の代償とか、そういうの警戒してるんだと思うよ皆?」
「えっ? な、なんで?」
そこで「なんで」という言葉が出てしまう辺りで他のメンバーも「ああそう風に思われると考えてなかったのか」と、ちょっとだけ肩の力が抜ける。
「なんでって……あんた、自分がサキュバスだって事忘れてねぇ?」
「いやだって、人間って皆一つ二つこう、何を差し出してでも叶えたい願望とかあるでしょう? 永遠の美貌だとか、この世の全ての知識だとか、使いきれないくらいのお金だとか」
「そういう方向性かはともかく……まあ、ある奴はあるだろうけどさ。幸いというか、この場にはそれよりも何か代償でぶん捕られる方が嫌って感じちまう奴しかいない訳だ」
わかる? と、苦笑いを浮かべながら手を差し出すと、ローレンシアは「そんなぁ」と、酷くショックを受けた様子で後じさってしまう。
ここまで見て、全員が「ああ願いそのものは叶える気だったのか」と、騙しの可能性の薄さを感じ始めていた。
「うぅ……解った。企んでる事全部話すわよ。別に貴方達にとって有害じゃなければ、願いだって言ってくれるんでしょう?」
「まあ、そうまでして願い叶えたいっていう意味が解ればな」
「理由如何にもよるが」
「何も言われないと裏があると思ってしまいますものね」
「ボクは信じない」
あくまで名無しは敵視したまま。落書きも続行。
ぞわぞわとした嫌なものを感じながらも、ローレンシアは「仕方ないなあ」と翼をぱたぱた揺らし、改めて佇まいを正す。
「――あのね、私はもっと沢山の人にこのダンジョンを訪れてほしいのよ」
少しの間を置いて告げられたローレンシアの目的。
それ自体は、それほどおかしなものではなかった。
彼女がダンジョンを作ったという張本人ならば、いわばダンジョンマスターと呼ばれる存在な訳で。
ダンジョンマンスターの考える事など、そんなに多くはないのだから。
「訪れる人数に意味があるタイプのダンジョンって事か」
ダンジョンマスターという視点から見れば、ダンジョンを作る目的にはいくつかの共通点がある。
例えば、ダンジョンを何者かに訪れさせる事によって何がしかの目的を叶えるもの。
これは訪れさせることそのもので何かしらダンジョンマスターが利益を得たり、あるいは精神的に愉悦を感じたりする為のものである。
例えば、最奥に隠した、人に触れさせたくないものを守らせるためのもの。
この場合ならば、呪われたマジックアイテムや危険な魔獣を封印する為に厳重に管理された禁域が、封印した本人の死後、あるいは放置後にダンジョンとして発見された場合などがある。
例えば、自身が何らかの理由で人里などでできない研究や実験場として作ったもの。
これはダンジョンマスター自身が人里で生きていけないレベルの異常者の可能性もある為、非常に危険である。
この手のダンジョンマスターは、多く探索に入った冒険者らを捕えて実験体としようとしたり、実験台として怪しげな新薬や魔術のテストに使おうとする。
ローレンシアの場合は恐らく最初の利益目的と思われた。
一番安全なケースである。
シェルビーの理解に、ローレンシアもニコリ、愛らしく微笑む。
「ええ、そうよ。最初に説明したでしょ? 訪れた人の性欲を得て私は糧としているの。死んでしまった人の魂は滋養にしているけれどー」
「なら、隠し立てする必要はないじゃあないか」
「……願い事を叶えることに固執する理由を疑ってるんでしょ? それは言ってないからね」
「まあ、人を集める事そのものがお前さんにとってメリットになるとして、だからって願い事叶えるのか? ってなるしな」
「まだ疑わしいですわ」
「信じられない」
一応の理解は得られたものの、まだまだ疑いの目を向ける一堂に「ほんと困っちゃうわ」とため息を吐きながら、ローレンシアは「あのね」と続ける。
「私は欲望を司る神の魔物な訳よ。性欲が一番解りやすくて多くの人が持ってて簡単に糧にできるけれど、同じ味ばかりだと飽きる訳」
人差し指をやわりと立てて見せながら、ローレンシアはゆったりと全員を見た。
「それに対し願い事っていうのはとっても複雑なの。色んな方向性がある。性欲もだけど、食欲、金銭欲、出世欲……色んな欲望のないまぜになったものを楽しめちゃう欲張りセットなのよ」
「それもお前の糧にする為だった訳か」
「糧にしたって貴方達に損はないでしょう? 願い事が叶ってそれに対しての欲はなくなる。それ以上は欲しくなくなるの。お金をたくさん得た後にそれで満足できる。好きな人と結ばれてそれ以外の異性を欲しくなくなる。出世しても、それ以上を求めなくなる」
ほら無害、と、試すように全員を見る。
なんとなく正しそうな物言いで、全員が不思議な気持ちにさせられる。
名無しですら、煙に巻かれたような複雑そうな顔をしていた。
「勿論、欲というのは後からどんどん湧いてくるものだわ。例えば性欲だって、このダンジョンにいる間は全部私が糧にしちゃうけれど、ここから出たら普通に戻る訳だし。人間の体は、欲望を定期的に放出するようにできているはずだからね」
「つまり、一時的に私達から欲望を吸い取るだけで、実質無害という事か」
「そういう事。勿論、その欲望を原動力にして強化してるとか、そういう人なら弱体化は否めないけれど。貴方達は違う感じだしぃ?」
問題ないでしょう? と首を傾げながらも、挑発的な視線で見つめてくる。
こういう表情をしていると、なるほど、欲望を司る魔物というだけあって、見入られてしまいそうな美しさと妖艶な雰囲気を纏わせていた。
「ささ、これ以上引っ張っても仕方ないでしょ? 私は貴方達の欲望を食べて、ついでに『ここは当たりのダンジョンだった』って宣伝してくれたら十分。貴方達は私に欲望を叶えて貰えて大満足。損なんてないでしょう?」
「そうは言ってもなあ。シャーリンドン、何か叶えたいか?」
「ふぇっ? なんで私に振りますの!? わ、私にはそんな、はしたない願望だなんて……」
「はしたない願いなのか……」
「しゃーりんどんえっち」
「ポーターちゃん!?」
自分にはそれほど強い願いも無いのか、シェルビーがシャーリンドンに振るも、顔をぶんぶん振りながら否定する。
そのせいでいじられるオチまでつけながら。
「んじゃ、ポーターちゃん」
「こんな奴しんじられないからやだ」
「だよなあ」
あくまで名無しは信用しないという方向で通すらしい。
道中、唯一壮大な夢らしいものを語っていたが、このサキュバスに聞かせるつもりはないらしかった。
「セシリアは……まあ、財宝にも用はないみたいだし、そんな訳だから――」
「仕方ないな、他の皆がいいなら私が叶えてもらうとしよう」
「お前は行くのかよ!?」
これは全員要らない方向かな、とまとめようとしたシェルビーだが、どういうことか、セシリアだけが前に出た。
これには反射的にツッコミを入れたシェルビーのみならず、その場の全員――ローレンシアまでも驚きの表情をしていた。
「あ、貴方なの? ちょっと意外ねえ。私的には、そっちのプリーストのお嬢さんが一番何か求めてきそうだと思ってたのに」
「わ、私そんなに色欲まみれじゃありませんわっ!!」
「まあ、シャーリンドンがえっちなのはいいとして」
「セシリアさんひどい!?」
もはやシャーリンドンの立ち位置は決まってしまった。
パーティーのえっち担当である。
これからはきっと色んないやらしい目に遭ったり露出多めな不憫可愛い目に遭いながら笑いを取る事になるのだ。
シャーリンドンの未来は明るかった。
「いや流石にそれはないだろ。駄目だろ。はぐらかすなよセシリア。真面目に行こうぜ?」
「しぇ、シェルビー……」
はぐらかすようにシャーリンドンが犠牲になったが、ここはシェルビーが真面目に締める。
シャーリンドンの未来が変わった瞬間だった。
「まあ、確かに私の願いはあまり人に聞かせるようなものではないが……冒険をするにあたって、『いずれ叶ったらいいな』くらいには思っていたものだ」
「ふぅん、いいわよ。ささやかな願いだろうと、隠すべき願いだろうと、この私ローレンシアは神の魔物の名に誓って叶えてあげるわ。さあ、私に教えて頂戴?」
ようやく冒頭の流れに戻り、ローレンシアも一安心し、キリリとした表情でセシリアを見つめる。
吸い込まれるような宝石のような紅い瞳。
それを、セシリアは意志の強い瞳で見つめ返す。
「……綺麗な瞳」
「私の願い、それは――」
瞳で魅了する事すらできるサキュバスが、しかし、セシリアの瞳にうっとりとした表情になっていた。
それほど美しい、意思を宿した瞳だった。
何物にも捻じ曲げられない、魂そのものの筋が通った、一本の剣のような意思が。
ここからどんな願いが生まれるのだろう、と。
その味がどれだけの甘美なのだろうかと、ローレンシアは想像し、溺れたいと、心底願ってしまった。
「――おっぱいだ!!」
かくして紡がれた願いは。
放たれた願望は。
なんとも俗っぽい、よくある願いだった。
「へ……?」
「おっぱいだ!! おっぱいを大きくしてくれ!!」
思わず聞き返してしまったローレンシアに、セシリアは力いっぱい答えた。
おっぱいである。おっぱいである。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
静かなダンジョン最奥に、サキュバスの絶叫がこだました。