#77.もうあえなくなったとおもったひとたち
神界にて。
セシリアPTから離れた後、地母神の神殿で鍛錬を続けていたシャーリンドンは、深い深い、瞑想へと入っていた。
(ただひたすらに、自分を見直して。ただひたすらに、大地と繋がる――)
教えられたとおりに瞑想の際に想うべきことを浮かべながら、心の声で呟きながら、静かに自分だけの世界へと入ってゆくのだ。
もう何回も繰り返した、精神修行の一環。
そのままではあまりにも脆すぎる、地母神との繋がりを強化するための、自身と世界との境目を曖昧にするための、その鍛錬であった。
(私とは、一体何なの? 何のために生まれ、何のために生きていて、何故今も――)
自分という存在に対し、改めて考えてみると様々な不思議な点があった。
人がなぜ生きているのかがわからない。
人が何故生きようとしているのかがわからない。
自分という人が、何故ここに居て、何故今のようになっているのか。
それを運命という言葉で片づけてしまえば、この上なく楽ではあったが。
自分たち人間の言葉で考えようとすると、それが途方も無く難しい事に、いまさらのように気づかされたのだ。
故に、考え続けていた。
(私は、今までなんとなくで生きていたんだわ。貴族の娘として生まれて、ただなんとなく、貴族の娘として誰かの家に嫁いで、特に何も考えずに子供を生んで、そのまま年老いて――)
最初に浮かべたのは、まだ家が貴族として成り立っていた頃の自分だった。
貴族の令嬢として、家の者皆から「かわいい」と言われ大切な宝のように育てられ。
そしてゆくゆくは、どこぞの家に嫁ぐ事を誰からも言われ続ける、定まった運命の世界。
シャーリンドン自身、それがおかしいとも思わなかったし、嫌だとも思っていなかった、かつての日々。
(でも私は……今の私は、それが嫌なの。お家は再興したいわ。豊かな暮らしも取り戻したい。けれど、何よりも――自由で居たい)
誰かの意思で何かをさせられるのが嫌で嫌で仕方なかった。
それは、年頃の娘が陥りやすい病気の一つと、婆やは思っていたかもしれないが。
シャーリンドン自身は、一度知った自由の素晴らしさを、手放したくないと思ってしまっていたのだ。
自分の意志で何かができる幸せ。
自分が失敗して痛い目を見て、けれど周りの人が自分を笑いながら支えてくれる、そんな環境は、もしかしたら他者に甘えているだけかもしれないのに。
それでも、そんな風に居られる自分が居ても許される、そんな拠り所が、今はあったから。
(結局、私は自分に甘えているだけでした……自分ひとりでなんて、なんにもできなくって。婆やに偉そうなことを言っておきながら、私はやっぱり、仲間なしには、何の役にも立たなくって)
ただのかよわい貴族の娘が、冒険者としてやっていけるかなんて、シャーリンドン自身解らなかったが。
それがどんな奇跡の上にあった出来事だとしても、それがどんな数奇な運命の末の道だったのだとしても、シャーリンドンは、自分ではもう冒険者なのだと思っていた。
冒険者だからこそ、仲間の為に役立ちたいと、そう思うようになっていたのだ。
(例えこの先、何かがあってセシリアさん達と別れる日が来るとしても、私はきっと、それからも冒険者として生きようとするはずです……いつかお家の再興を夢見ながらも、冒険者として)
まだ、その光景はイメージすらできなかったが。
幸せになれる未来なんて欠片すら浮かばなかったが。
でも、今自分が望むものがどんなものなのかは、形として思い浮かべられるようになっていた。
仲間の役に立てる、冒険者の一人。
今は、それが彼女の目標であり、今自分が修行している、最たる理由だった。
(仲間だと思えた人たちが、私を頼ってくれるのが、とっても嬉しかった)
思い出せば、自分が頼られた瞬間が浮かび。
その時こそ悲鳴をあげたり泣いてしまったりもしたが、彼女にとってそれらが全て誇らしい成功体験で。
何より、冒険者としての自分が許された、そんな瞬間だったのだ。
貴族令嬢ではない、今の彼女を形成する、そんな大切な、思い出の数々。
(……ふふっ、思い出って思うには、随分と短期間の事ですけれど)
半年にすら満たない短い期間だった。
半年前には、まだ泣きそうな顔をしながら仕事を探していて。
けれど何が得意なのか自分には全く分からず、だからと婆やの言うように「家柄のよろしい方とお見合いでもして」という言葉通りには動きたくなくて、街をうろうろとしていた。
たまたま普段通らない道を通ったらそこに酒場があって、そこから出てきた冒険者たちが、なんとも楽しそうに肩を組みながら笑いあっていたのが見えて……羨ましくなったから、なってしまっただけで。
冒険者なら上手く行くかもしれないなんて理想は、最初の冒険であっさり崩れ去って。
(禄でもない死に方をした人たちでも、悪い方ばかりではなかったわ)
自分を役立たず扱いして、散々バカにしたり笑いものにしたりする女はいたけれど。
それはそれとして、初心者の自分でもちゃんと守ってくれる、危ない所は危ないと教えてくれる人たちだったと、今なら思えた。
嫌な思い出ばかりが思い出せたが、今の自分ならやっちゃだめだと解る事が、当時の自分には全く分からなかったのだ。
勢いだけで冒険者になった何の覚悟もない没落令嬢なんて、誰から見ても足手まとい。
そんな、今なら自覚できることが、当時は「なんで」「どうして」と疑問ばかりに思えて、その扱いに不満ばかり感じて。
(……あの頃の私は、シェルビーが苦笑いしながら助けてくれるのですら、怒りながら受けていたくらいで。些細な事でも気に入らないとむくれて……)
酷く恥ずかしくなった。
自分が情けない事をしていた事。
PTを蹴りだされたショックで不満と怒りばかりが前に出ていたが、そう扱われたのは自分自身の未熟さが原因だったのだ。
年頃になって尚子供っぽい自分を、周りはどう扱ってきたか。
淑女として扱われるなりの態度を貫けていれば、そう周りに思わせるだけの何かがきちんと備わっていたなら、周りからどう違った扱いを受けられたのか。
(私……すごくおバカだったのでは?)
改めて思い返すとそんな気がすることがあまりに多く。
そしてだからこそ苦笑いで済ませてくれていたシェルビーがどれだけ自分の為に心を砕いてくれていたのかが解り、「これからどんな顔をしたら」と情けなく思えてしまう。
そんな人を前に、自分は自信満々に「私は」といつも自分の考えることを主張し、堂々としていたのだ。
恥知らずにもほどがある。
そう思えばこそ、改めて見返した自分という存在は、酷く矮小で、なんとも畏れ知らずな、そして……惨めな生き物だったのだと思えたのだ。
(うぅ……たった半年見返しただけで、すごくネガティヴな気持ちになってきたわ……たった半年、なのに)
実際にはそれより短く。
けれど、それまでの人生の全てよりもずっと大切な、守りたい日々だった。
ただの思い出と考えるには、密度があまりにも濃すぎた。
そして多分、これからも、きっと。
(セシリアさん達と、また冒険がしたいわ)
ここで、こういう形でPTが別れてしまう事は、シャーリンドンとしても寂しかったが。
だが、解散したとは思っていなかった。
今、修行のために必要だから離れているだけで。
だから、戻ればまた、一緒なのだと、信じて疑っていなかった。
(セシリアさん達と、一緒に、居るために――)
目的意識はそこにあった。
成さねばならぬ理由はそれだった。
今のシャーリンドンは、全てその為だけに、そこにいた。
「――そこまで」
不意に部屋の奥から声がし、は、と目を開く。
最早見慣れた地母神サナキがそこに鎮座し、シャーリンドンににこり、微笑みかける。
「最初の頃と比べ、より鮮明に自己意識と目的意識、存在理由に対しての繋がりが早くなったな?」
「そう、なのですか? 確かに、自分でも、すんなりと『昔』や『自分の事』について考えが進んでいくように感じられましたが……」
瞑想用の御座の上に座ったままのシャーリンドンに、地母神は「よいよい」と立ち上がり、手ずからその頭を撫でまわした。
なんとも温かなその手に、「まるで母様に撫でられていた頃のようだわ」と子供の頃を思い出し。
少し照れ臭くなる。
「心落ち着かせ、今一度過去を見返すは、自身という『個』に向き合う、大事な『儀式』じゃ」
「瞑想の意義、ですわね」
「うむ。それ自体は前に説明してやったな? だがな、多くの者は、自身が歩んだ道のりを、正確には見返す事が出来ぬ。何故なら、人は自身の失敗を認めたがらないからじゃ。恥ずかしい、という気持ちが湧く」
「……はい。私自身、ほんの数か月の間に起きた事を、すごく恥ずかしい事だと感じていました」
自身の傲慢さ、世間知らずが故の我儘、不足していた実力と経験への過信。
今思えば顔を覆いたくなるような恥ずかしい数々のセリフが、瞑想の果てに鮮明に思い出せてしまう。
シャーリンドンは、赤面していた。
眼ばかりは背けられなかったが、自分の至らなさを恥じらっていたのだ。
だが、そんな顔ですら地母神は「愛い奴じゃ」と愛着を覚えていた。
「その恥じらいを、受け止めてやるがよい。失敗した自分を、決してなかったことにするな。それは、人が成長する為の糧なのじゃ。人は、倒れ続けて立ち上がる技能を習得し、転び続けることで、やがて歩くという特技を覚えるものじゃ」
「……はい」
「そなたのその素直さは、とても良い事だと思う。きっと、周りから大事に育てられたのじゃろうな。心根が透き通っていて、他者を疑う事を知らぬ、まっすぐなままじゃ」
世間知らずと言われ、馬鹿正直だと呆れられるような自分を、この地母神は愛おしそうに大切に扱ってくれていた。
今まで、自分が師と思えたのは婆やくらいで、そして婆やは厳しい一面もはっきりと見せて来たから、そんな風に自分に教えを説いてくれる地母神は、あまりに優しすぎるように感じられていたのだ。
自分の全てを肯定してくれるような、そんな。
それでいて、自分ではない何かを見ているようにも感じられて、不思議だった。
「――かつて、人間とはそのような存在だった。無邪気に笑い、我ら神々を親のように慕い、その言葉を素直に聞き入れ、その日起きた事を包み隠さずなんでも聞かせてくれた」
「私の、知らない時代のお話ですか?」
「そうじゃ。なんなら大天使すら知らぬことじゃ。そんな時代が、あの世界にもあったのじゃ」
懐かしいのう、と、微笑みを湛えながら語る地母神は、慈愛に満ちていて。
だからこそ、そうではなくなった今を、嘆いているようにも、シャーリンドンは感じられた。
「人間は、愛おしい我らが子供じゃった。光の神と運命の女神とが造り、妾が造った大地に根付いた彼らは――誇らしい我らが三人の、そしてその後に続く多くの神々の、大切な子供じゃったのだ」
思い出し語りは、しかし、眼を閉じ静かに息をつきながら終わる。
そして次には「再開じゃ」と、瞑想の続きを促してきた。
シャーリンドンも内心ではもっと聞きたい話だと思ってはいたがそれに従い、眼を閉じ――
「――大変な事が起きた、来て!」
そして、その場に現れた名無しによって、それは中断されたのだった。
名無しの登場でいったん中止になり、「大変な事が起きている」と言われ手を引かれながら神殿の外に出たシャーリンドンと地母神は、それまで静かだった神界に、大きな変化が起きている事に気づいた。
人間がいたのだ。それも、沢山。
「えっ、これは、どういう――」
「――シャーリンドンさんっ!? シャーリンドンさんよねっ!!」
「ふぇっ!?」
どこかで見た様な格好をした人たち。
これは確か……と、思い出そうとしていたシャーリンドンに向け、名を呼ぶ若い娘の声がして。
振り向いてみると……見覚えのある若い娘と、その隣に立つ青年。
「カレンさん!? それに、アレフさんも……どうして……」
「私達も解んないの! なんか、気が付いたらここにいて……私達、馬車に乗ってたはずなのに」
「町の皆も、何が起きたのか解らず混乱してるようで。ここ、どこなのか解りますか?」
どうやら見覚えのない場所に突然、といった感じで、本人たちも混乱しているようだった。
たまたま見知った顔があったから幾分落ち着けたようだが、他のミルヒリーフの民はあちらこちら見たり「なんなんだここは」と騒いだり、落ち着かない。
「……シャーリンドン、この者達は……」
「えっと……ミルヒリーフの方たちですわ……鏡人、の」
「ほほう、なるほどな」
シャーリンドンに問い、すぐに何事か把握したらしい地母神は「そうさな」と顎をさすりながら宝物庫の方を見やる。
「とりあえずあちらに行ってみるか。お前たちも気になるならついてくるがよい」
目的地を決めるや、すたすたと歩き出してしまうサナキに、シャーリンドンと名無しも、そしてカレン達も困惑したように「えぇっ」と首をかしげていたが。
唯一状況を察したであろう人の言う事なので、そのままついていく。
「――大天使や」
「ボクは名無し」
「名無しや」
「なに?」
「そなた、宝物庫に入ったな?」
「……知らない。ボクじゃない。済んだこと」
「ほほ……嘘を申すようになったか。いや、誤魔化しが下手くそな辺り、悪辣な輩の影響ではなさそうじゃが」
微笑ましい事じゃ、と、口元を抑え笑いながら。
目的地となる小さな宝物庫へと向かいがてら、説明が始まる。
「あの宝物庫には、ネクタルやアンブローシア、聖杯など様々なものが収まっておるが、封印しなければならぬ神器やその失敗作もしまいこまれていてのう……かつてミルヒリーフへと堕ちた『シャクナの大鏡』も、その一つじゃ」
「ミルヒリーフに堕ちた……?」
「私達の町に? えっ、それって、ここ、もしかして――」
「ここは、神様たちが住まう世界、神界なのですわ。私たち、ちょっと事情があってここで過ごしていて……セシリアさんとシェルビーは帰ったのですけれど」
事情を聞くに混乱を極めそうになっていたカレンとアレフを封じる様に、先だってシャーリンドンが今の場所を説明する。
おかげもあってか、サキナの説明だけでは騒ぎだしそうだった二人が、視線をうろうろとさせながらもなんとか飲みこもうとしていた。
(シャーリンドンは、人を納得させるのが上手いのかもしれんのう)
話下手であまり他者から好かれない自分と違って、人に好かれる才能を持つ娘なのでは、と、表に出ないシャーリンドンの才能を覚え、サナキは「ふふ」と、嬉しくなって笑った。
「まあ、つまりじゃ。大鏡を回収した時に、住民たちが鏡によって強制的に鏡の中に引き戻されたのじゃ。あの鏡の機能の一つでのう」
産み出した鏡人達を、鏡の中に引き戻す。
それによって、ミルヒリーフの民が行方知れずになっただけで、カレン達は消えたわけではなかった。
というのが内訳なのだと解り、シャーリンドンはほっとした。
ずっとずっと、カレン達とあんな形で、別れすら言えずにああなったのが、心の中に傷となって残っていたのだ。
「私達自身、知らなかった事だわ……あの貴族のおじさんは知ってたのかしら?」
「ボルトアッシュさんですか? どうでしょうね……そういえば、あの方は鏡の中から出てきました」
「つまり、鏡の機能そのものは知っていたのだな、そのボルトアッシュとやらは」
中々知恵の回る男じゃ、と、褒めながらに。
ほどなく、宝物庫にたどり着く。
「中に誰かいるようじゃな」
「そうなの? 私にはなんにも……」
「僕もだよ」
「居る……二人、三人?」
「誰なのでしょうか……」
町人にすぎないカレンとアレフには解らずとも、冒険者の二人、それからサナキには伝わる気配があった。
多少なりとも警戒しながらも、気軽に進むサナキであったが。
シャーリンドンと名無しは、緊張気味にその後についていった。
『――やあ、久しぶりだね、君達』
案の定大鏡の前には、シャーリンドン達に見覚えのある紳士の姿があり。
『ああーっ、貴女達ぃっ! また私たちの前に来ましたのね!!』
『……久しぶり。元気だった?』
そして、『二人目』のシャーリンドンと名無しも居たのだった。




