#72.いつわりのはっぴーえんどにだまされないで
神界にて。
運命の女神によって神界に残る事にされた名無しは、「忘れた事を思い出したいから」という名目で、神界のあちらこちらを探検していた。
危険の一切ない、清浄化された世界はとても居心地よく、そこにいるだけで確かに何かを思い出せそうな気がしていたのだ。
まずは地母神の神殿へ。
「シャーリンドン、居る?」
神界において、唯一地上にいた頃との接点であるシャーリンドンは、地母神の神殿で生活していた。
修行に明け暮れる日々、というほどでもなく、あくまで地母神の巫女として生きるなりの『暮らし方』から身に着けるよう命じられ、それを実践する日々なのだとかで大体は掃除などをしていて、名無しの顔を見るなりぱあ、と、嬉しそうな顔をして迎えてくれるものだったが。
「……居ない」
今日はそういう日ではないらしいと解り、すぐに出ていく。
たまにこういう事もあるのだ。
決まって奥の儀式の間で何かよく解らない言葉を詠唱しながら祈りを捧げている。
運命の女神とも慈愛の女神とも異なる、地母神の巫女が行う儀式を、名無しはよく知らなかった。
一度「見たら記憶が戻るかもしれないから」で見た事もあるが、何かが呼び起こされそうな感じもしなかったのだ。
退屈そうな顔のまま、一人ふらふらと神殿の外を歩く。
(寝所の周りはほとんどの場所を歩いた。力の神、戦の神、慈愛の女神、罪の神、笑いの神、商売の神……色んな神様がいるけど、ボクたちとそんなに変わらない)
概ね、人とそう大差ない外見の人たちばかりだった。
何も言わずに地上で人に紛れ込まれたら、恐らく見わけもつかないであろう人達。
確かに人知を遥かに超えた何らかの力を持っているようで、人には起こせない奇跡も起こせはするが。
だが、人が『神様』と言われて思い浮かべるほどの神聖さだとか、神秘的な印象は、大分薄れているように思えていた。
曰く、「オーラ」のようなものが感じられなかったのだ。
これでは、ただ空高く雲の上に住んでいるだけの、ただの人である。
(でも、色んな事を知ってる人たちだった……ボクが知らない事、きっと忘れてる事、たくさん教えてくれた)
名無しは、そんな場所でも可愛がられていた。
大半の神は会話を好み、名無しが顔を見に来るととても嬉しそうに笑いながら雑談などに興じてくれる。
そして彼らの口から出る言葉の多くはとても面白く、為になるものばかりだった。
多分、地上に住まう人間とは知性のレベルで隔絶していたのだ。
機知に富んだ会話の中で、名無しが全く分からないといった顔をすると、とても解りやすく解説してくれたりもする。
特に名無しの興味を引いたのは、『神の魔物』について。
(ボクの知らない……ううん、忘れてるっぽい事を、皆が知ってる。教えてくれる)
未だ自分の背中に翼が生えていたなんて全く思えないし、少なくとも運命の女神様の言うような『元の姿』からなんで今の子供まんまの外見になっているのかも解らないし、はっきり言って『大天使ちゃん』なんて呼ばれる事そのものが意味不明であまり好きではなかったが、人から教えてもらう事は、嫌いではなかった。
名無しが、自己を認識してから今に至るまで、ずっとそうしていたことだったから。
大人はいつも、自分に色んな事を教えてくれるから。
(ミノス、シャドウ、フレースベルグ……これが魔神の腹心とも言える神の魔物で、他にも強いのでコウアトルとかヒドラとかリンドブルムとかもいたけど……今はもういなくて)
今生きている神の魔物の数を数えると、封印されていて討伐されていないだけの者も含めても、今はもう十体くらいしか生存していないのだという話も聞けた。
この神界に来る直前に討伐したシャドウは、自力で魔神解放を出来てしまえる非常に危険な存在だった為、倒せたのはよかったとして。
前に倒したミノスがそんなに危険な存在だったのだと解って、名無しは「たおせてよかった」と、その幸運に恵まれた事にうんうん頷きながらほっとしたものだった。
(今生き残ってる中で一番強いのがフレースベルグ? 他にも、ティアマート?とか狼老?とかいて……一番よわいのが、ケットシー)
いずれも全くと言っていいほど思い出せない名前ばかりだったが、最後の名前だけは妙に納得がいくものだった。
ケットシーは、とてもか弱い。
遥か昔に刷り込まれた常識として、今の名無しにも当たり前のように受け入れられていたのだ。
(一番弱いけど、絶対に無視しちゃいけないのがケットシー)
その神の魔物の視る真実は、決して違えることの無い真実なのだ。
だから、その口から出る言葉を決して無視してはいけない。
(神様たちからもそう思われるって、一体どんなことをしたらそうなるんだろう……)
何故そうなるのかも、何故そう思うのかも誰も説明してくれなかったが、そうなっている。
そんな存在が敵方に居て、それでも尚勝てたのはなぜなのかが、幼い名無しにもよく解らなかった。
よく解らなかったから「きっと勇者たちが強かったに違いない」と割り切る事にした。
解らない事なんて考えても仕方ないからだ。疲れるし、面倒くさい。
(あそぼう)
探検しがいのある世界がそこに広がっていた。
道を歩けば全く見覚えのない謎の器具が鉄の棒にぶら下がっていて赤や青に明滅していたり、道を鉄の馬車が忙しなく駆け回り、空を船のようなものが飛んでいたりと飽きることがない。
適当な建物の中に勝手に入っていっても、そこに住まう住民たちが怒るような事も無く、むしろ気さくに雑談などに興じてくれる。
住民全てが神様かそれに仕える天使で、そして彼女にとてもやさしかったのだ。
まるで「ずっとここにいてもいいんだよ」と「ここにいるのが当たり前なのだから」とでも言わんばかりに。
(あそぼう)
帰りたいという気持ちが溢れても、帰る事は許されない。
帰る手段なんてどこにもなくて、ただ遊んでるくらいしかできないのだ。
今の自分の立場は孤児院に保護されて身動きが取れなくなっていた時と似ている気がしていた。
冒険者として登録されるまでは、街の孤児院で「保護すべき対象」として息苦しい生き方をさせられていたのだ。
毎日お祈りして、毎日生きている感謝を告げて、よく知りもしない神様の話を聞かされて。
今は、その神様の部分が、「かつての自分」になっているように思えていた。
多分本当にいた、かつての自分。大天使としての自分。
皆に頼られ、尊敬され、敬愛され、大事に大事に思われていた、魔神にすら可愛がられていた、皆の大天使。
(遊ばないと)
――そんなの、全く思い出せなかった。思い出したくもなかった。
今の自分のままではいけないのかと、今の、大事な仲間達と一緒に居た自分じゃダメなのかと、自分の今までの人生を否定されているような、そんな気がして、嫌で嫌で仕方ない。
運命の女神と一緒にいるのが、すごく辛くてすごく嫌だった。
(遊んで、忘れないと)
気が付けば、運命の女神の寝所から大分離れた、小さな建物の前に立っていた。
入り口に誰も立っておらず、入ってみるといくつかの部屋に分かれていたものの、その一つにツボがいくつも並んでいて、そこに何かの液体がなみなみと収まっていた。
とても芳醇な香りがして、手の込んだ作り方をされたリンゴジュースのような、透き通った色合いで、名無しはごくり、と喉を鳴らした。
とても美味しそうに思えたのだ。
(なにかな?)
指先を付けて、ぺろりと舐めてみる。
蜂蜜のような甘味、それでいて一舐めしただけで魅了されてしまいそうな、しびれる恍惚感を覚えて「これはいけない」と、ツボの前から離れる。
(お酒だった……多分飲んだらだめなやつ)
――神々は酒好きが多い。
これは色んな神から聞かされた『神聖酒』というものなのだろうと、酔ってしまいそうな頭を振りながら別の部屋を探検する。
「……あれ?」
多くの部屋は、ネクタルと同じようなツボが並んでいたり、宝箱が置かれていたりと楽しそうな部屋ばかりだったが。
その中に一室だけ、異様な場所があった。
何も置かれていなくて、ただ、大きな鏡が壁に掛けられていたのだ。
(……この、鏡)
見覚えのある大鏡だった。
これはそう、ミルヒリーフにあった、あの『聖域』で見つけたもの。
同じものかは解らないが、同じもののように感じられ、名無しは鏡の表面に手を触れる。
つ、と、小さな波紋が生まれるばかりで、そこからミラーマンが出てくる様子はなかったが。
だが、確かにあの時の鏡と同じようだと、そう思って首を傾げていた。
(なんでこれがここにあるんだろう……? 回収、された?)
もしこれがミルヒリーフにあったものと同じならば、神々ないし天使によって回収されたこれがここにある事そのものは違和感も何もない。
ただ、これ自体はあってはならないもののように思えたので、壊されもせずここにあるのが、名無しにはなんだか不気味に思えてしまっていた。
(出よ……ここにいると、なんだかこわいことになりそう)
何が「こわいこと」なのかもよく解らないままに、名無しは背を向け、部屋を出た。
部屋を出た後にも、鏡は波紋を浮かべ、揺れ続けていた。
「あらあら、こんなところに居たのね大天使ちゃん♥」
「うわ……」
そして、建物の出口にまで引き返してきたところで、運命の女神が待ち構えていた。
まるでかくれんぼでもしてようやく見つけられたかのように、楽しそうに。
「子供の頃を思い出すわ♪ 大天使ちゃんは私の遊び相手になってくれて、隠れるのが上手だったから……でも、ここはダメよ」
「ダメ?」
「そうよ。ここは入っちゃダメ。地上から回収した神器や、その失敗作を封印しておくための場所だから……」
「お酒みたいなのもあった」
「ネクタルね。大天使ちゃんは飲んでも問題ないけど、酔っ払いになられても困るからダメよ」
「う……一口だけ舐めちゃった」
「一口位なら問題ないけどね! 全く、あの酔っ払い神達には困ったものだわ! お酒なんて何が良いのだか……」
ぶちぶちと言いながらも「出ましょうね」と手を引かれ、名無しはそのまま連れていかれてしまう。
この女神、とにかく力が強いのだ。
圧が強いのもあるが、とにかく名無しには苦手な存在だった。
(あの鏡……やっぱり、回収されたのかな……)
封印された神器や失敗作。
その保管庫だったとなれば、やはり先ほど自分が見たのはミルヒリーフの大鏡だったのかな、と、そう思い。
けれど、「もしそうだったなら鏡人達は?」と、気になる事も増えたのだった。
一方で、セリエラの街は俄かにお祭り騒ぎのような賑わいとなっていた。
何せ電撃的な王子のプロポーズからの成立で、未来の王妃が生まれたのだから無理もない。
まして、この街と騎士団の守護を担っていた貴族の当主である。
住民たちは「この街から王妃様が生まれるぞ」と、大歓喜であった。
「……この辺りならいいか?」
「すみません……」
そして、そんな街の中、シェルビーはアルテを連れ、路地裏に居た。
本当なら姉妹の屋敷に連れていくべきだったのだろうが、アルテから「それどころではないので」と、とにかく人気のない場所を求められたのだ。
自分の宿の部屋か路地裏か。
そのどちらかしか浮かばなかったシェルビーは、とりあえずで路地裏に連れてきた。
店の裏手に置かれていた丁度いいサイズのタルの上に座らせ、自分は警戒するように壁にもたれかかって。
「――そんで? 『ありえない状況』ってのは何なん? そんな、急がないといけない事が起きてたのか?」
わざわざアルテをここに連れて来たのは、人目をはばかる様な事を話さないといけないから、とシェルビーは考えたのだが。
アルテ自身、周りをちらちらと見てそれがないのを確認しているのを見て、それが確信に変わっていた。
「実は……私、ライエル殿下に呪いをかけたのです」
「……なんだって?」
「あの方だけは、姉さまを諦めようとしませんでしたから……しつこくて、許せなかったので」
「えーっと……?」
それは、聞いたシェルビーからすると「確かにこの妹ならやりかねねえ」という納得と、「そうであっても流石にそれはねえだろ」という驚きとがないまぜになった、そんな告白で。
実際「なんだそりゃ」と突っ込みたい気持ちを抑えて、なんとか話の先を促すくらいしか、シェルビーにはできなかったのだ。
「私、今までずっと、『姉様がいつまでも傍にいてくれたら』と思って、姉様の婚約を妨害し続けてましたの」
「……なあそれ、もしかして、セシリアが結婚話断られまくってたのって……」
「はい、相手の方の気持ちが私に向くように仕向けたり、その方の悪い噂を掴んで脅迫したりといった方法で妨害していて……」
「……たはーっ」
――セシリアの悩みの原因あんたかよ。
そうばっさりと斬り捨てたい気持ちがふつふつと湧き上がり、シェルビーは顔を覆った。
「呆れられるのも無理はありませんわ。ですが、問題はそこではないのです」
「ああ、これに関してはコメントしたくねえわ……んで? 何が問題なんだよ?」
「呪いに掛けたはずの殿下が快気し、姉様にプロポーズした事ですわ」
「セシリアがプロポーズを受けた事、じゃなくてか?」
「それは……ですが、それ自体は、姉様の選択、ですから」
どうみてもそれに関しても納得していない様子だったが、敢えて言及するのも話が逸れそうなので、と、シェルビーは一旦は黙り、アルテに先を促す。
「私の掛けた呪いは、古文書にあった『闇魔法』。つまり、先日神界で聞いた、『魔神』に関わる非常に強力なモノです……恐らく、地上で解呪することは難しい……」
「つまり、あんたの家系に掛けられた呪いと同質の、やべえ呪いなのか?」
「呪い自体はそんなに難しいものではありませんわ。ただ只管、『想い人の事を想うたびに苦しみが続く』というもので……」
「ああ、夢を見るたびにセシリアがー、とか言ってたなあの王子様」
「そんなレベルで済むはずがないのです……命までは失わないとはいえ、放っておけば衰弱して動けなくなるはずですから」
そんな呪いを一国の王位継承者に掛けるこの妹に、シェルビーは苦笑いすら浮かべられない恐ろしさを覚えていたが。
むしろ今焦燥しきっているのはアルテの方なので、そういった皮肉の類をぶつけてやるのもはばかられた。
「……つまり、解呪されないはずの呪いが解けて、王子様が元気になって、セシリアが幸せになれるって事だろ? ハッピーエンドじゃん」
確かにあり得ない事が起きたのかもしれない。
だが、その結果待っているのが幸せな結末なら、何よりセシリアが幸福になれるなら、それはいい事なのではないか。
シェルビーはそこが疑問に感じられてならない。
「あんたがシスコンだってのは前から見てて思ってたけどさ? 姉の幸せを願えないほど、あんたは歪んでるのか? 流石にそこまでじゃないんだろ?」
「それはそうです……っ! ですが、ですが、起きてはならない事が起きたという事は、何か、こう、歪な事によって、姉様が、そこに巻き込まれたような気がして……っ」
有り得ないが起きた。
それは、アルテからすればとても恐ろしい事なのだろうと、魔法について詳しくないシェルビーでもなんとなしに解るというものだった。
ただ姉が離れていくからというのではない。
尋常ならざる何かが起きて、そこに姉が巻き込まれていることが、先が予測できずに不安になってしまっているのだろう、と。そう思えたのだ。
「はー……解かったよ。妹さんがなんでそんな不安がってるのかよく解らねえけど、その不安の解消ができれば良いんだろ?」
「はい……姉様が幸せになれるなら、私は、寂しくても……それが姉様の決断でしたら……受け入れますわ」
――この妹がそんな殊勝な事を言うなんて。
それが本心なのか、あくまで今気弱になっているからそんな事を口走ったのかはシェルビーにも解らなかったが。
それでも、こうして困っている娘を前に、見捨てるのもどうかと思ってしまっていた。
こんなのでも仲間なのだ。こんなのでも。
「とりあえず、あんたは屋敷に送る。んで、そのあと俺が自分の伝手とか使って色々調べてみるわ。何か解ったら屋敷に報告に出向くよ。そういう方針でどうだ? あんただって、勝手の解らん街中をうろつくわけにもいかんだろう? 元気になったって言ってもさ?」
「はい……そうしてもらえると。とりえず、今日はもう」
「そうだな。俺も疲れた。ああ、こんな事ポーターちゃんやシャーリンドンが知ったらどうなるか」
「それは……その……」
「……墓まで持っていくしきゃねえか」
流石に他の仲間にも聞かせられない秘密すぎた。
少なくともアルテ自身が、セシリアに贖罪として告げる、その日までは。
隠し通して背負ってやるくらいしかできない罪だった。
「……シェルビーさん」
「あんだよ? まだ何かあるのか?」
「いえ……姉様が信頼を置くのも、なんとなく解かった気がしますわ」
「やめてくれそんなの! 頭がかゆくなっちまう!!」
そんな恥ずかしくなる事言わないでくれと、さっさと歩き出すシェルビーに、アルテは初めて心から素直に、笑顔になってついていった。




