#62.ふほうしんにゅうしちゃう?
「――ヴァルキリーシールド!!」
《ズドォンッ》
セシリアの斬撃は、しかし、はっきりと姿が見える位置まで来たガーゴイル……否、天使の軍勢の先頭に居た一人、天使長の巨大な盾によって防がれた。
「うぁっ!?」
「ふひゃんっ」
「天使長っ!?」
しかし、防ぎこそしたものの、その衝撃までは相殺しきれず、天使らは吹っ飛ばされた天使長の身体を抑え、なんとかダメージにならないように耐えていた。
「……おい、セシリア」
「あ、あぁ……私にも、見えた、が」
先頭に居た者の姿を一瞬でも見たシェルビーとセシリアは、戦慄から頬に汗を流していた。
どう見てもガーゴイルではなかったのだ。
背中に翼を生やした、それも、光の剣と盾を持った、女のように見える何か。
「ハーピー、とかじゃないよな? 背中に翼を生やした女っつったって、ちゃんと両腕があった」
「それに、頭には輪もあったぞ。伝承にあった姿そのものだ」
ありえねえ、というシェルビーと、あってしまったな、というセシリアと。
互いに顔を見合わせ、自分達が何に対し今攻撃を加えたのか、理解したくなくとも理解する事になりそうだと、余りの事に口元をにやけさせてしまっていた。
人は、想像だにしない事が起きると、つい笑ってしまうのだ。
「つ……やって、くれたな、人の子よ」
部下達に身体を抑えられ、ようやく姿勢を戻した天使長は、自らの足を地につけ、今度は歩いてゆっくりと、そんな声をあげながらセシリアたちの前に立った。
「恐らく、魔物か何かと勘違いし、攻撃を加えたものと思う、が」
「うわあ、やっぱり天使だ」
「ああ、間違いなく天使のようだ……」
その姿をはっきりと見せるに至り、天使長の後ろに、同じようにぞろぞろと、部下の天使らが続き、並び立つ。
いずれも殺気立っていた。
「――問う! 人の子らよ! お前たちは一体どういう了見でこの場に立つ! いかなる理由で我らに刃を向けた!!」
くわ、と眼を見開き睨みつけられると、シェルビーだけでなく、セシリアもぞわりと、背筋が粟立つのを感じてしまっていた。
なんと恐ろしい殺気か、と。
ちら、と後ろを見れば、比較的近い位置に居た為すぐに事態に気づいてこちらに向かおうとしているアルテとヴィヴィアン、それからまだ状況がよく解っていないのか、こちらを眺めているだけのシャーリンドン達が見えた。
セシリアはシェルビーも含め、全員をかばえるよう一歩前に立ち、そして、自身の中の怖気を追い払うように、にぃ、と笑って天使らと向かい合う。。
「失礼した。そちらの仰る通り、今の私の攻撃は貴方がたをガーゴイルと誤認してのものだ。私達がここに居るのは……元々は遺跡探索のつもりだったが、完全な事故だ。突然地表が崩落し、ここに落とされたのだ」
すまなかった、と、頭を下げると、天使長も「そうか」と頷き、後ろの天使らに目配せする。
言葉にされるまでもなく、天使らは光の剣と盾をしまった。ただし、セシリアらを囲むように移動しながら、だが。
――故あればまた武器防具を取り出し、一斉攻撃か。
そう思いながら、セシリアは表面的でも殺意をしまい込んでくれた事に感謝しながら、正面に立つ天使長を見る。
「私達人間は、長らく天上の方々とは関りを立って久しい。恐らくは見た目からして天使の……それも、天使らを指揮する方とお見受けするが。ああ、失礼した。私はこの王国の騎士団の副団長・セシリアというものだ」
「セシリア……まあ、貴方の名前などはどうでもよいでしょう。我々神界の者は、名前などに重きを置いてはいませんから」
幾分態度が柔和になり、殺気も感じられなくなったおかげで、なんとか会話は継続できそうだった。
それだけでセシリアも、後ろに控えるシェルビーもほっとはしていたが。
だが、天使らに囲まれている現状は、それだけでかなり緊張させられるものである。
「わ、私たちの世界に残された伝承では、天使様を指揮する立場の方を『大天使』様と呼ぶのだというそうですが、貴方様が大天使様なのですか……?」
セシリアらの元にたどり着いたアルテが、セシリアに並び、かなり緊張した様子で見上げる様にして問う。
その言葉に、ぴくり、天使長が眉を動かしたのをセシリアは見逃さず、あくまでアルテの前に立った。
「違う。私は前線での指揮を執る天使達の長、天使長だ。大天使様は……この場にはいらっしゃらない。その間違いは不遜と取られる。二度と口にしないように」
「あ、はい、申し訳ございません」
「私の妹が失礼した。さっきも言ったが、人間の世界にはもう、貴方がたについての詳しい情報すら欠けている有様なのだ。許してほしい」
「その程度の事で殺意を見せることはありませんよ。我々にはそも、感情と言えるものなどありはしないのですから」
本来は、と、天使長自身が内心で思いはするが。
この、敵視するほどまでではないにしろ油断ならない一撃を加えてきた人間に、全てを明かす気はさらさらなかった。
「――そう。ただ事故でここに落ちただけというなら、ただちに帰るように。ここは、人の子が居ていい場所ではありません。ここは、我ら天使の最終防衛ライン。いかなり情報をも、持ち帰らせる気はありません」
解りましたか、と、理解を促すような言葉づかいではあったが。
同時にそれは「聞き分けよくしろ」と命じているように、セシリアたちは感じていた。
「やっぱりあの輪は、神界へのゲートだったようですわね」
「……愚かな娘だ。それと知るなら言葉に出さねばよかったものを」
「ヴィヴィアンっ」
「えっ……えっ!?」
情報を持ち帰らせる気は無い。
つまり、必要以上の情報を持つ相手を、生かすつもりなどないという事。
この場に天使がいて、ここが最終防衛ラインだというなら、それが何を意味するのか。
それくらい、セシリアもアルテも、シェルビーですらすぐに解って口には出さなかった。
だが、幼いヴィヴィアンはまだそれが何を意味するのか、解らなかったのだ。
解らないから、自分達を囲い込む天使たちが、再び光の剣をその手に持ったのに気づき、蒼白になって混乱していた。
「どの道、生かしておく気もなかったという事かな?」
「なんか、そんな感じだよなあ、じゃなきゃ、わざわざ自分が何者かなんて説明もしなかっただろうし。情報を持ち帰らせたくないんだろうしなあ?」
「困った方々ですわ……はぁ」
呼応して、セシリアやシェルビーも武器を構える。
アルテも、隣に立って「なんで」「私そんなつもりじゃ」と震え出したヴィヴィアンを守る様に、その後ろで杖を構えた。
「その娘が馬鹿な事を言わなければ、そこまで一方的な事をする気もなかったのですが。そうですか、抗うというなら仕方ない」
「なーにが『仕方ない』だよ。見え透いてんだよ天使長様……よっ!」
ひゅん、と、少し離れた位置から光るライン。
シェルビーは耳でそれを察知し、アルテに向いていたそれを弾き返した。
弾き返され、落とされたそれは、光の矢。
「……なるほど。これは手間取りそうだ」
遠距離での不意打ちも無理か、と。
天使長が手をあげ、周りの天使らが一斉に襲い掛かろうとする。
全方位からの一斉攻撃。
アルテを狙ったのは、非力そうだからという訳ではなかった。
その身体から、強力な闇の収束を感じたのだ。
距離を詰める必要があると、そう感じたのだ。
「――イービルペイン!」
「ライトニングバッ――ぐああああああああああっ!?」
まず真っ先に肉薄した天使が、アルテの闇の魔法を浴びせられ、その場で激痛に悶える。
「いだいっ、いだいいだいいだいいだいっ!!!!」
その一瞬だけではない痛みの継続。
純白だった翼が黒に染まり、手足をばたつかせ涙を流し苦しみ続ける。
その様を見て、天使らは唖然とした。
「貴方がた神聖な存在には、私の闇魔法は随分と苦しいようですわねえ? 人間であってもしばらく寝込むような痛みですわ……さあ、沢山浴びせて差し上げます」
「ひっ、は、早くその娘を仕留めろっ!」
「魔法使い如きが……うわあっ!!」
「やらせないさ」
どうやら狙いの中心はアルテらしいと解り、セシリアはそれを守ろうとヴィヴィアンとアルテの前に立ち天使らに斬撃を繰り出し押しとどめる。
天使長は……動けずにいた。
(なんだこれは……? なんでこの者達は、私達に立ち向かう? 人の子は、我らに天界の者を敬っているのではないのか……?)
今更のように困惑しながら。
いや、その困惑の源泉が自分の感情に起因してのものだと気づくこともできないまま、天使長は、部下達がセシリアに押し返され、アルテの魔法を浴び地面に倒れ絶叫をあげながら痛がり続けるのをただ見ていた。
(こんな程度の奴ら等、私が動けば……? いや……)
今も離れた位置からの狙撃を警戒しながら、器用に天使らの攻撃をかいくぐり、セシリアの後ろに立つ斥候の男。
最初こそ大したことの無い、気にする必要もない程度の存在に見えたその男が、自分に対し一番の警戒を向けているのに、天使長は気づいていた。
恐らく、見た目通りの力しか持っていない、斥候に過ぎない男が。
そしてその男に警戒されている以上、自分が襲い掛かっても、即座にセシリアが自分の前に出てくるかもしれないと、そう思ってしまったのだ。
(……先ほどの斬撃。防ぎきれていなければ、死んでいた……?)
神の魔物ですら上位に来るフレースベルグやミノスでもなければ一撃で殺しうる自分が、人間の攻撃に防御させられたこと。
それはそもそも、異常な事のはずだった。
なぜ自分があの瞬間、防御を選択したのか。
自分は大天使様を除けば、最も強い天使のはずではなかったのか。
その自分が、神の魔物にはるかに劣る人間に、どうして攻撃を防ぐための行動などを。
「――せいっ」
「あぁぁぁぁっ!?」
あっさりと斬り倒され、地に付す部下。
有り得ない光景が、目の前に広がっていく。
倒れた天使たちは、死んだわけでもないのか、血すら流さずぐったりし、うめき声をあげているだけだった。
(もしかして、私達は、手を抜かれているのか……?)
人間相手に? ありえない。
なんなんだこいつらはと心底疑問に感じ。
そして同時に、その意味不明さに、はじめて頬に汗を流している事に気づいてしまう。
「ふっ、死を覚悟したつもりだったが、思いのほか、戦えるじゃないかっ」
(そんな訳ないだろう、何を言ってるんだ)
「ああ……囲まれた時はやべえかと思ったが、ミノスの時より数段マシだ。全然生きて帰れる気がするぜぇっ! 妹ちゃんも強ぇし!」
(ミノス……えっ? ミノスと戦ったのか、この人間たちは?)
「当たり前ですっ! 姉様と一緒に旅をする為に、私、この闇の力を手に入れたのですからっ!!」
(そもそもその闇の力は本来魔神様のもののはずで……なんで人間が……)
この状況は、アルテがいるというのがとても重要な意味を持っていた。
戦力的な意味で、神の魔物戦を除きこれまでセシリア以外に敵に対し明確な有効打を打てる者がいなかった中で、今回は天使相手に特効を持つ闇魔法持ちのアルテの存在は、明らかなプラスになっていた。
だが、それだけではないのだ。
ミノス戦という、人の身には有り得ないくらいの経験を乗り越えた者達だからこそ、天使たちの動きが大したものではないように思えていたのだ。
多少の、鍛錬の成果もあるが。
「襲い掛かってきたとはいえ相手は天使様だ、絶対に殺すな! その瞬間から私達は神々に背いた背信者だ! 今度は宗教組織が敵になる!!」
「はははっ、そりゃ笑えねえ! 天使様なんかより、宗教のが怖ぇわ!!」
(何を言ってるんだこの者達は)
そんなのおかしいだろうと。
なんで信じる側の者達が、信じ敬われる存在より恐れられているんだと。
意味不明過ぎてぐるぐるとしだした頭で、視界すら歪み……いや、歪んでいる原因が、目の前の光景の意味不明さだけではない事に今更気づいた。
(これは……薬物……?)
「大丈夫、大丈夫だわ、私も、私もやれる。足手まといだなんて、そんなことないわ、そんなことない、そんな……こと……ないっ」
《ぼむっ》
「おいおい嬢ちゃん、さっきから何かぶん投げてるけど、これ何なん?」
「ふ、ふひひっ、大丈夫ですわっ、私特有の、パニックポーションですのっ! まともに煙を浴びたものから、どんどん正常な思考を奪うものですのよっ」
《ぼむんっ》
「とんでもねえもの持ち出してきやがった!?」
「天使なんて、天使なんて怖くありませんわっ! おーっほっほっほっ! 私の、私の実験動物におなりなさいっ!!」
《ずぼんっ》
「おいセシリアっ、このお嬢様状況がヤバすぎておかしくなっちまってるぞ!?」
「だが今は役に立つ。いいぞヴィヴィアンその調子だ!」
「ふひっ、ふひひひひぃっ! やりますわよっ、私っ、私やりますわよっ!!」
《ボンボンボンボンッ》
戦場は大混乱だった。
一方、その光景を少し離れた場所で見守っていたシャーリンドンと名無しであったが。
「え、えーっと、ポーターちゃん、何か大変な事になってるのが見えるのですが」
「ん。ボクもそう思う」
「助けに行かなくて大丈夫なんでしょうか……」
「行ってもあしでまといだから」
「うぅ、やっぱりそうでしょうか? 治癒だけでもできたらと思うのですが……」
「しにんがふえるだけ」
「ですよねえ」
天使様相手ですし、と、はらはらしながら胸の前で祈りだすシャーリンドンだったが、名無しが、じーっと一か所を見ていたことに気付いて「どこを見てますの?」と、その視線の先をたどっていた。
天使長と名乗った、特に力の強そうな天使の、その足元。
「何か、居る」
「えっ?」
「あそこに、何か居る」
杖、つえ、と、荷物の中から自分用の杖(新しく買った)を取り出し。地面に向けて何かをきこきこと描き始めた。
「何か居るって……もしかして、神の魔物と関係してますの?」
「ん。複数いるって話だし、けいかいしたほうがいい」
「それはそうですわ。天使様たちと戦いになってるのも、何かの誤解からだと……あっ、もしかして、神の魔物が扇動しているとかっ!?」
「そうかもしれない……ん、これで、よし」
いつもその辺に落ちた枝等で描いていた円陣だったが、きちんとした杖で描くと、いつもより早くそれが完成した。
「これでいつでも、撃てる」
「天使様には撃ってはだめですよ?」
「ん。あの子達には撃たない」
どうせ効かないし、と、何かを思い出したように、懐かしさを感じる天使長の顔を見ながら。
「……これは、勝てないな」
神の魔物や魔族相手で多少なりとも損耗したとはいえ、十分な士気を保っていたはずの状態で、人間のPT相手に瓦解しそうになっていた。
この状況下において、未だに死者が出ていないのは幸いではあるが、既にもう、天使長の中から「人間如き」という感覚はとっくに消え去っていた。
そも、彼女はとっくの昔に理解していたはずなのだ。
運命の女神様や大天使様と共に魔神様を封じたのは、その人間の、勇者とその一行だったのだから。
自分たち天使では、戦力としてすら見てもらえない、そんな隔絶した相手を、彼女はとっくの昔に知っていたのだ。忘れ去っていただけで。
久しく見ていないから、忘却してしまっただけで。
「勝てない、が……ゲートは、守らない、と」
自身が喪失し、アイデンティティが失われそうになっていても尚。
それでも彼女は、天使であった。
天使とは何のためにあるのか。それは、神々の世界を守る為、尖兵となるためである。
その在り方が、その本能が、彼女を、ゲート前へといざなっていた。
そこにこそ在れと。それこそが自分の在り方なのだと。
混乱した頭で。ふらふらになりながら飛んで。
「天使長、様っ!?」
「一体何を――」
一人戦いの輪から外れ、勝手にゲート前に移動し始めた上司に、天使らは戦意を喪失し、唖然とその光景を見つめていた。
「そうだ、私は天使なのだから」
(天使なのだから、ゲートにいかなくては、なあ? くくくくくっ)
混乱し、自我を著しく喪失し、うわごとのように何事か呟きながら。
天使長は――足元の影と共に、ゲートの前にたどり着き。
『――アストラル・チェイン!!』
そしてその影に向け、魂縛の鎖が放たれた。