#59.らっかおち
「うぐぅ……こ、怖かったぁ……」
神殿部の大きく離れた部屋にて。
フードを被った猫耳の神の魔物・ケットシーが、華奢な体をカタカタと震わせながらしゃがみ込んでいた。
ただでさえ小柄な身体は小さくうずくまり、眼の端には涙まで浮かべていた。
『上手くやったようだな?』
「はいぃ……なんとか誘導はできましたぁ。でも、光の剣で、こう、胴をスパっと!」
「ワシの人形を使っておいて正解だったのぉ」
「おじいちゃんの人形じゃなかったら死んでたところだったよぉ……」
こわいこわいこわい、と、口元をもにゃもにゃさせながら死の恐怖を思い出し涙をぽろぽろと零すケットシーに、狼顔の老人と竜鱗の女は顔を見合わせながら「可哀想な事をしたな」と苦い顔になるが。
竜鱗の肩に乗る小鳥だけは気にした様子もなく「上手く行ったようで重畳」と涼しい顔をしていた。
「狼老の『欺瞞の人形』は見抜かれずに済んだのよね?」
「少なくとも天使にはバレてないようでした……」
「当然じゃ。天使如きにワシの権能で作ったアイテムが見抜けるものか。とはいえ、運命の女神があそこで何のアクションもとってこなかったのは幸いじゃのう」
狼老が手に持った小さな人形一つ。
胴が真っ二つに切り落とされたものであったが、それを手の内で燃やして灰にしながら、狼老は袖をパンパンと叩き、わずかながらついた煤を落とす。
「どうやらフレースベルグの言うように、運命の女神はそこに運命を見たらしい」
『ああ……だが、これだけで終わりでもあるまい。天使どもはシャドウの足止めはできても、シャドウ自身を殺すことはできぬだろう』
「思い切りウソ言っちゃったことになるけど、大丈夫かなあ……ああ、怖かった」
「生まれて初めてついたウソが人形の中に入っての大立ち回りだなんて大変だったわね?」
「もう二度とやりたくないよぉ……はぅ」
ようやく持ち直したものの、立ち上がって尚そわそわとするケットシーを見て、ティアマートも狼老も安堵するが。
一様に、「この後は」と、小鳥へと視線を向けた。
そしてその小鳥はといえば、小さな頭を身体ごと上へと向ける。
『――上に、何者かがいるようだな』
「上? 上の階にはいないようだけど……まさか地表部分に? 流石に私の知覚では解らないわね」
「えーっと、ちょっと待ってて……」
フレースベルグの言葉に、ハッとして皆天井へと視線を向けるが、人を遥かに凌駕する知覚能力を持った彼らをして、その先に何がいるのかは感知できなかった。
ティアマートの言葉を肯定するように『うむ』とだけ返すフレースベルグも、それが誰なのかまでは把握できていない様子で。
手っ取り早く把握しようと、ケットシーがヒスイの玉を取り出す。
今度は全員の視線がそちらへと向いた。
「えーっと……ああ、いるわね。地表部分に冒険者がいくらか。でも、入り口傍の安全なところでキャンプをしてたり、行商の並べてる商品を見てるくらいだから……すぐには来ないかなあ?」
「安全地帯で突入前の準備をしている感じかのう? PT数なんかは解るかのう?」
「まとまってるのは三つくらい。一つはここ最近毎日のように地表の遺跡探索をしている一行で、一つは今日になって初めて見る人達ね。もう一つは……これはただの研究者の一行だから気にするほどでもないかなあ?」
ヒスイの玉に映るのはあくまで指定した範囲の映像だけだが、それだけではそこに映る者達の関係性は見たままでしか把握できない。
だが、ケットシーの猫眼には、深い所に至るまで把握できていた。
「この冒険者たち、中々強いわね。ここに来ようとする目的が笑えるけど。おっぱいとか!」
「何それ……でも、普通の方法じゃどうやってもこの階層まで入り込めないはずよね? どれだけ腕利きでも私達には関係ないんじゃ?」
「だが、運命の女神が引き寄せたのだとしたら別儀じゃ。アレの引き寄せる『運命』は、ワシらにも予測がつかんものばかりなのは、皆解っておろう?」
『どうやらその者達が、運命の女神の隠し駒のようだな。ならばしばし見守るとしよう』
「えー? でもどこまでいっても人間ですよー? 大丈夫かなあ……」
実際どうなるのかまではまだケットシーの眼をしても解らず。
だが、現状でこの場のトップであるフレースベルグが方針を示した以上、他の三人は従う腹積もりであった。
その頃、地上では、このところの日課となっていた遺跡部分の探索に出ていたセシリアとシェルビーが、キャンプへと帰ってきたところだった。
「ただいま。特に変化はなかったかな?」
「姉様おかえりなさいませ。ええ、問題はありませんでしたわ。他のPTの方々がちらりとだけ顔見せにいらっしゃいましたけれど……」
「他のPTって? 俺らの前から居た学者様のPTとは別なん?」
「違う人たちだったようですわ。アルテさんと二人で少しお話をしたのですが、なんでもこのダンジョンの奥地に用があるのだとか……」
探索はセシリアとシェルビーで、そしてキャンプの維持はアルテが中心に、シャーリンドンと名無しが行っていたのだが、後から来たのだというPTも少し離れた場所にキャンプを立てたのだと聞き、セシリアは「なるほどな」と頷きながら焚火の前に座った。
「ダンジョン奥地ってなると、俺らともかち合う可能性があるな。連中の目的ってのは聞けたん?」
「いえ、そこまでは……というより、そのPTの方々はまだ、目的の方を把握していないようで」
「なんだそりゃ? PTの目的を理解してないPTメンバーって……傭兵か何かかよ」
「あるいは、クローヴェルPTのような感じなのかもな」
以前ビャクレンの園で手を組んだクローヴェルPTを思い出しながら、セシリアはアルテから渡されたお茶を受け取り、品よく啜る。
「クローヴェル達とは違うんだよな?」
「クローヴェルPTとは別」
「少なくともその方々は、私の知らない方たちでしたわ」
「まあ、そうだよな。流石に早々かち合わないか」
「来るなら来るで事前に教えてくれるだろうしな。全く関りのない別PTだろう」
SP剤補充の都合もあって『アンリの店』でテレサと会う事もあったセシリアもそれを知らないので、これは完全に無関係だろうと全員が判断した。
「目的が解らないので場合によっては邪魔し合ってしまうかもしれませんが……ただ、話した感じですと、やんわりとした方々で、敵対しそうな雰囲気は感じませんでしたわ」
「いいえ、邪な感情は抱いておりましたわ」
「えっ、そうなのですか?」
ニコニコしながらのシャーリンドンの説明に、けれどアルテは顎に手をやりながら「ご注意を」と真面目なトーンで返す。
途端にシャーリンドンも不安な顔になった。
「シャーリーさんを見て、すごく邪な顔になっていました!」
「えぇぇっ!?」
「あれはケダモノの眼ですわ! 間違いありません!! 私ああいう顔になった殿方の考えている事が解ります!!」
危険ですわ、と、思い切り不安をあおる様な事をのたまうアルテに「何か思い当たることがあるのか」とセシリアは問うが。
アルテは「当然です」と、胸を張って持論を語る。
「殿方は、自分の好みの女性を見るとああいった邪悪な思考を垂れ流すようになるのです! 姉様も時々そういった眼で見られている事がありますわ! えぇ、アルテには解ってしまうのです!!」
「すげえ早口で話すじゃん」
「ははは、アルテは私達の事を心配してくれているのさ。まあ、私の方は誤解だと思うが、な」
そんなことある訳ないからな、と、セシリアは悲しい否定をするが。
シェルビーは内心で「いやそれは当たってるんじゃないか」と、騎士団でのセシリアの人気の高さを思い出していた。
きっと、好きな人にはたまらないいい女に見えるのだ、セシリアもシャーリンドンも。そうに違いない、と。
「理由はどうであれ、気を付けた方がいいかもしれないな。目的が解らない以上、かち合ったら戦いになるかもしれない、というのはビャクレンの園の時にも話したが」
「ま、そうだな。そのPTの奴らがどんな奴らだとしても、敵対しないに越した事ぁないが……対人戦の可能性も考えないとな」
「うぅ……変な事にならなければいいのですが……」
「もしそうなってもシャーリーさんは私がお守りしますわ!」
「そんなことよりおなかがすいたよ」
目先の事すら解らないことだらけではあったが、名無しの一言に一同、お腹が空いていることを思い出し。
セシリアの「とりあえず食事にしよう」という声と共に、にぎやかな食事の時間が始まった。
「――しかし、今朝の鳥の串焼きは美味かったな。ああいうの好きだぜ俺」
「ああ、岩塩と胡椒だけのシンプルな味付けだったが、それが却ってよかった」
「ああいったワイルドな食事も、外でする食事の醍醐味ですわね」
「私もキャンプで食べる経験は少ないですが、大変美味でしたわ」
「とりにくおいしかった」
翌日、表層の調査も終わり、シェルビーも『嫌な気配』も感じなくなったとの事で、PTは当初の予定通り、ダンジョンに突入する事にしたのだが。
早朝、景気づけとばかりにセシリアが狩ってきた鳥の味に、一行は大変ご満悦になっていた。
なんだかんだ、食い気が優先されるPTである。
「士気も上がった事だし、気を抜かずに慎重に……おや?」
「別のPTか。学者先生がたの調査団とも違うな。あれが例の奴らか?」
「見た顔が居りますわ。間違いないかと」
丁度ダンジョン内部への入り口に、別のPTが集まっていた。
いずれも慣れた様子で、装備品も使い込まれたもので身を固める、ベテランを感じさせる集団……の中に、一人だけ場違いな、高貴ないでたちの少女が一人。
この娘だけが武器も何も持っておらず、明らかに『守られている』といった様相であった。
「あらあら! どうやら同じタイミングで入ることになってしまったようですわね!!」
「ああ、そのようだな」
どうやらその娘がリーダーらしく、口調こそ丁寧ではあるが明らかに尊大な態度であった。
他の者達はといえば、そんな少女を前に、にこやかあな笑みを浮かべている。
「私はセシリアという。目的は呪いに関しての調査なのだが……」
「ご生憎様! 目的なんて話すつもりはありませんわ。私たちの邪魔をして来たら容赦なく排除いたします! よく覚えておきなさい!!」
「いや、邪魔する気は無いが……」
「いきなりご挨拶だな。でも、そんな事言って問題でも起きたら――」
どうやら外見が示すままの『ご令嬢』らしいと苦笑いするセシリアに、シェルビーも苦言を呈していたが。
不意に、足元から大きな揺れを感じ、「なんだ?」と、いち早く周囲への警戒へと移行する。
相手方PTの斥候相当のフードの男も少し遅れて警戒するが、やがてその揺れが、足元を大きく揺さぶるようになり――崩れ始めた。
「なっ、うぉぉぉぉぉぉっ!?」
「きゃぁっ、きゃぁっ、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
突然の崩落。
予想だにしないタイミングで始まった落下に、その場に居た2PTは一人の退避も間に合わず、巻き込まれていった――
『ふーっ、ふーっ……』
「フレースベルグ様、落ち着いてっ」
「いきなり暴れ出すんだもの、どうしたかと思ったわ」
「『子孫』を食われたからとちょいと暴れ過ぎじゃろ……」
『いささか、冷静さを欠いていた、が……』
「私達まで崩落に巻き込まれちゃうところだったわよ。こんなところで変身を解かないで頂戴」
『すまなかった』
突然暴れ出したフレースベルグに、ケットシーらは大層焦りながらその『熱』を冷やそうと大慌てであった。




