#55.やっぱりたおすべきだった
「天使が神の魔物に操られてるって、そんなことあるのか?」
「ええ、そういう事もあったわ。というか、一時それが最大戦力だった時代もあったくらい」
本当に一時だけどね、と、問うたシェルビーに手をひらひら揺らしながらぽへーっと返す。
四つ目の神の離反者、というだけでも驚きが隠せなかったが、天使が操られて、というのも一同には十分に驚きが大きかった。
「天使って言うのは人間以上に純度が高い魂の塊なのよ。それだけに染まりやすく、一度染まってしまうと取り返しがつかないの」
「そんな簡単に洗脳できてしまえるのか? にわかには信じがたいが」
「そんなはずないわ。基本的に天使は精神操作系の魔法は一切通用しないし、精神崩壊も起こさない。魔族の精神操作の権威とも言われる者ですら不可能と思うほど、精神的剛性は高いわ」
「でも、染まりやすいんだよな?」
「恐らくそれは、『好感による染まりやすさ』のお話だと思いますわ」
セシリアやシェルビーが問うたのとは別軸の何かがあるかのように、アルテが口元に手を当てながら静かに呟く。
その言葉に、ローレンシアも我が意を得たとばかりに「そうなのよ」と、嬉しそうに尻尾をぴょこぴょこと揺らした。
「よく解ってる娘ね。そう、天使は攻撃的洗脳に対しては無効化するけれど、友好的洗脳に対して極端に弱いの。親近感や恋愛感情を抱いた相手に対しての耐性が皆無なのよ」
「やっぱり……人間の方でも、たまにそういう方がいらっしゃいますものね。精神操作魔法の掛かりやすい方の例でたまに聞きますが」
「攻撃的洗脳……? というのが我々が想像する洗脳だと思うが、その、友好的洗脳というのは?」
「友好的洗脳というのはつまり、好意を抱くことによって生まれる心の隙間を突く洗脳方法の事を言うのですわ姉様」
洗脳にはいくらか種類がありまして、と、今度はアルテが説明する側になっていた。
これに関しては若干得意げに。
そしてシェルビーもシャーリンドンも、なんとなくそれには納得できてしまえた。
「先ほど姉様が仰ったように、攻撃的洗脳というのは魔法などによる精神操作や言葉での倫理的攻撃を含めた、それを加えられる相手にとって心にダメージを与えてくるものを指します」
これに関してはセシリアが理解を示したように、シェルビーもシャーリンドンも頷いて見せた。
名無しは面白くなさそうだったが。
アルテは、話を進める。
「ローレンシアさんが仰った友好的洗脳というのは、つまり、友人として接近したり、恋愛対象かのように近づき、相手の精神的ガードを無視して行われるモノですわ。詐欺やロマンスを利用した専横などがよくある結末でしょうか」
「……? そういう魔法があるとかじゃないのか?」
「魔法というよりも、掛ける側のコミュニケーション能力や魅力によって引き起こされるモノですわね。例えば美形の方でしたら、異性の関心を買いやすいでしょう?」
つまり、それは洗脳能力者でなくても起こりうる、という事。
これに関しては「もしかして」と、シェルビーがある考えを浮かべてしまう。
「セシリアくらいに周りから好かれてたら、それは友好的洗脳の条件が整っちまってるって事になるのか?」
「私が? 何の冗談だ。私にはそんな能力はないぞ?」
「だから、条件みたいなもんだよ。魔法の類じゃなくて、本人がどれだけ周りから好かれるかってのがでかいんだろ?」
「私はそんなに人から好かれるような存在ではないだろう。その条件には最初から当てはまらんよ」
セシリア自身は否定するが、これに関してはシャーリンドンも名無しもシェルビーの想像に納得しかけていた。
説明していたアルテも、「確かに」と、それは否定しない。
「姉様は前提条件だけなら達成できてしまえてますわ。多くの人から尊敬され、信任される。それは、この友好的洗脳をナチュラルに行える才能の一つ、『カリスマ』を持っているという事に他ならないですから」
「カリスマ、なあ。アルテはそう思うのか? 私は自分ではそうは思わないのだが……」
「うふふ、謙虚な姉様も素敵だと思いますわ♪」
そのままでいらして、と、何か隠すような笑みでセシリアの疑問を受け流すようにし。
アルテはまた、全員の顔を見渡す様にして話を続ける。
「環境的洗脳、というのがございます。これは天使の例にも当てはまるものですわ。恐らく、ローレンシアさんが明言していない、もう一つの条件なのではなくて?」
「ほんとに、よく解ってる娘ね。得意なの?」
「私は、一族に掛けられた呪いやその解呪方法を探している間に、様々な闇の魔法や洗脳、呪術に関する知識を獲得していきましたから……」
それに関しては学者先生方より詳しいはずですわ、と、自信ありげにローレンシアに笑って返した。
「環境的洗脳、というのはどんなものを指すんだ?」
「例えば、お祭りの夜などになると、人々は皆して普段しないような、解放的な気分のまま騒いだりしますでしょう? 知的生物にはそのように、置かれた環境によって精神の在り方が左右される事がありますの」
「つまり、周りの状況によってポジティブになったりネガティブになったりするアレか?」
「それが近いですわね。そしてこれは、先に説明した二つの洗脳の効果を増幅させることにもつながるのです。これ単体ではあくまでその場限りの効果ですが、他の二つと噛み合ってしまった時……人は、解かれることの無い永続的な洗脳状態に置かれてしまいますの」
祭りの喧騒。
それそのものはあくまでその場に浮かれた人間の行動に過ぎないものである。
だが、それを利用して、と言われ、シェルビーやシャーリンドンは腑に落ちないものを感じていた。
イメージするものが悪かった、というのもあるのだろう。
「あの、すみません。私がイメージしたものが間違っていたのかもしれませんが……天使様が、お祭りを楽しんでいる光景を思い浮かべてしまいましたわ」
「ああ、俺もそんな変な光景浮かべた。それは間違ってる……んだよな?」
あくまで人間が想像しやすい、人間がその状況に陥りやすい光景を指しての例だったのだろうが、それが結果的に「天使がそうしている状況」をイメージさせる悪手となってしまっていたようだった。
アルテも「それは流石に違いますわ」と、苦笑いを浮かべる。
セシリアと名無しは真顔のまま。
「お祭りみたいなものは、ある」
「えっ? あるんですの?」
「意識を高揚させる掛け声、皆で一緒の行動をとって、皆で一つの目標に向けて駆けだしたりしたら、お祭りみたいなもの」
「つまり、『戦い』は祭りに準じた環境を呼び込みやすい、という事だな」
「非日常、も条件な気がする。それが叶うなら、多分何でも起こりうるの」
そうでしょ、と、さっきまで無言を通していた名無しが問うてきたことで、アルテも「まあ」と驚きを見せたが。
ローレンシアは「ふーん」と、何かを悟ったような顔になって名無しを見ていた。
「聖典奇跡なんて使う子だからただ者じゃないとは思っていたけど。何者なのその子? まさか、ただのポーターだなんて言わないでしょ?」
「ただのポーター」
「ただのポーターとして雇った子だが」
「俺もただのポーターちゃんだと思ってた」
「私もですわ」
「えぇぇ……」
てっきり元からそういう才能の持ち主として扱っていたと思っていたローレンシアは、本人と仲間達の反応にぐんにゃりした顔になっていた。
「知らずに使ってたの? なんてもったいない……地上ではそれこそ希少な才能でしょうに」
「そんなのはどうでもいい。それより説明」
「そうですわね。ポーターちゃんの才能に関しては措いておきましょう。気にはなりますが、本筋からずれてしまいますし」
大切な話は別にあるはずですわ、と、名無しから言われたまま、アルテも話を戻そうとする。
ローレンシアは「これも友好的洗脳よねえ」と、言葉には出さないまでも、この名無しの少女に対し、強烈な違和感を覚え始めていた。
「環境的洗脳は、多岐にわたる効果を引き起こしますわ。お祭りの時のようなにぎわい、喧噪などもそうですが、高揚感を引き起こしやすいものもあれば、逆に多くの人にネガティブな感情を抱かせるものもあります。その特別感が、知的生物にとってとても大きな精神的作用を起こすのです」
「洗脳っていうのは、何も一方向からだけのものではないわ。いろんな角度から繰り返されれば、反響し合ったそれが増幅し、最初は効果がなくとも、やがて絶大な効果を発揮するようにもなるの」
例え天使相手でもね、と口を挟むローレンシアに、アルテも神妙な顔で頷いていた。
つまり、それを知るローレンシアは、それができる神の魔物なのだろう、と。
「本当にごくごく微細なものでいいの。わずかな親近感、ほんのちょっとの好感で、後は特別感を感じさせる何かがあれば、いくらでも洗脳できるわ」
誰であろうと、と。そこまで語り。
そしてにこにこ笑顔になって「なーんちゃって」と、おどけてみせた。
「まるで私がやったみたいに思うかもしれないけれど、お姉さんにはそんな力がないのは見てて解るわよね? 貴方達だって、別に洗脳されて好き放題に、とかはなってないでしょう? なってないわよね?」
「もちろんだ。そんな事になっていたら真っ先に討伐するところだよ」
「ああ、別に変な事があった訳でもないしな」
「もし変なところがあっても、リカバリーですぐに治しますわ」
「他の皆が掛かっても、ボクが掛かる訳ない」
「ほらほら、皆そう思ってる事だしー?」
疑いの眼など最初から抱いてすらいないとばかりに、セシリア達は笑う。
ただ一人、アルテだけは疑心を覚えていたが、それは口に出さず。
(これ、友好的洗脳……)
「アルテ、といったかしら? 貴方もそう思わない?」
「えっ? あ、そ、そうですわね……」
(うそ、なんでそんな……そんな事、言おうと思ってないのに)
「私も、ローレンシアさんが私たちを洗脳したとは思っていませんわ」
「そうでしょうそうでしょう♪ 私は無力なサキュバスよ。他の神の魔物とは何の関係も無いの。もう無くなったの。どうでもいいの」
そういう事にしておいて、と、ぱちりとウィンクし。
そしてそれを見たアルテは、「信じられない」とばかりに驚きを胸に抱えたまま「はい」と頷いてしまった。
疑念など、どこにもなかったとばかりに、忘れ去ってしまった。
「――私はね、心底戦いとかどうでもいいのよ。戦うとかそんな事より、皆を幸せにしてあげたいわ。皆の欲望を沢山叶えてあげたいの。だから、邪魔しちゃやーよ?」
わかりましたかー、と、とっても優しそうなお姉さんの顔でローレンシアが問うと、一行は「わかりましたー」と、まるで意識のない泥人形のような同列行動で謎の踊りを踊り始める。
「――シャーリンドンっ」
流石にそれはおかしい。
そう思った時、真っ先に声をあげられたのは、戦いの場に慣れたセシリアだった。
「わ、ワープポータルっ」
セシリアの声にはっとしたシャーリンドンは、即座に転移の奇跡を発動。
そのまま一同は、ダンジョンから消え去った。
残されたローレンシアは「あらあら」と、若干の驚きを見せていたが。
すぐに「やるじゃない」と、自力で自分の術中から逃れた事に感心した。
「あのアルテって娘、事前に私の洗脳対策をしてきたのね。大した娘だわ」
逃げられちゃった、と、獲物が逃げてしまったのにも関わらず、ローレンシアは楽しそうに微笑んでいた。
「――はーっ、はーっ、あ、危なかった……っ」
「なんだったんだよあれ、なんか、思ってもいない事言わされてたぞ?」
「わ、私も、セシリアさんが声をあげなかったら、どうなっていたか……っ」
シャーリンドンの奇跡によってダンジョンの外に脱出した一行は、その場で腰から崩れ落ち、地べたに手をついてなんとか意識を保っていた。
泥のような感覚。強烈な違和感。
頭を振りながら、なんとか全員がその術中から抜け出したような、抜け出せたような気になっていた。
「予めアルテから対策を聞かされていてよかったな。事前に決めた通りにしなかったら、どうなっていたか……」
「多分、どうなってもいませんでしたわ。あのまま帰るだけで終わったかもしれません」
「……アルテ?」
「あの方は、私などよりずっと強力な呪術師ですわ。その気になれば、互いを殺しあわせるくらい余裕でできたでしょう……」
抵抗の上から無理やり洗脳されるなんて、と、かたかた震えながら遥か天上の実力者を思い知らされたかのような顔で自分の高鳴りし続ける胸を強く揉みしだく。
「敵意が全くありませんでした。普通、洗脳にかける際には相応の敵意ないし、何かしらのネガティブな思想や感情があるはずです。ですが、あの方には何の敵意も……」
「友好的洗脳って奴か? 確かに、妙に親しみ深い奴のように思えてたもんな」
「私も、神の魔物だと思って警戒していましたが、そう言われてみれば確かに……」
「あいつはまずい」
敵意無しの洗脳者。
それがどれだけ厄介な相手なのかは、今のセシリアたちには痛いほど理解させられていた。
気が付くと、飲み込まれていたのだ。
「天使達を洗脳したの、多分あいつ。あいつを野放しは、やばい」
「倒すか? 倒せるのか、アレ?」
「無理……あいつは、ボクでも長時間一緒にいると敵意が薄れた。敵対、してたはずなのに」
倒さなくちゃいけないのに、と呟きながら。
けれど、名無しの中に迷いがあるのを仲間達は察していた。
いや、名無しに限らず、自分たちもそうなのだと、そう感じていたのだ。
「倒せねえよな。なんか、倒したくない」
「ああ……多分私達も、既にローレンシアの術中にはまってたんだ」
「神の魔物なのに、それが危険な相手だと解っていたはずですのに……」
「救いがあるとすれば、彼女に私たちをどうこうする気があまりない点でしょうか。洗脳は、受けたと解っていれば、その心の違和感を口にし続けることで効果を弱め、解除する事が出来ますわ」
私はもうなんとか、と、いち早く立ち上がったのはアルテ。
そして次に名無しだった。
「ボクも立てる。でも、アレは相手にするのはさけなきゃダメ」
「敵対してりゃ倒す気にもなれるだろうが、倒す気になれないようなフリしてる間は無理だな、あれは」
「ああ……私も、戦い慣れしていたおかげで環境洗脳? とかいうのの効果がいくらか効きにくかったんだろうが。倒せないな」
続いてシェルビー、セシリアと立ち上がり、最後にシャーリンドンがふらつきながら立ち上がろうとして、バランスを崩してしまう。
「――ひゃんっ」
「よっと、無理すんなよ? ポータル使ったのもあってふらふらなんだろ?」
再び膝から崩れ落ちそうになっていたシャーリンドンを、そばに居たシェルビーが支えて事なきを得たのだが。
「あ、あの……ありがとう、ございます」
「気にすんな」
そのままでは立っていられそうにないので、と、素直に座らせる方向に介助したシェルビーに礼を言いながら、シャーリンドンはそっぽを向いてしまった。
礼ひとつ言うのにも素直じゃねえな、と、シェルビーは苦笑いしたが。
そんなよくある流れのおかげで、日常を取り戻した感もあって、一同はひんやりとした背筋が元に戻った気になれた。
「結局、神の魔物についてもはぐらかされちまったか。あのままあそこにいたら聞けたのか?」
「聞けたかもしれないが……聞きに行く気にはなれないな」
「私も、姉様と同じ意見ですわ。ローレンシアは、傍に居ればいるだけ親近感を抱いてしまいます。そしてあちらも好意的に接してくる……とても危険ですわ」
自分からガードを解いてしまうんですもの、と、未だ震えが止まらないのか、アルテは困ったような顔になっていた。
(あぁぁぁ……私は姉様一筋のはずですのに。ローレンシアのあの魅力的な……はっ、正気に、正気に戻りなさい私っ、私はそう! 姉様が幸せならそれでいいのですから!!)
《ぱぁんっ》
それだけで、十分、と、自分で頬を叩いて、なんとか正気を取り留めようとする。
その様は、周りから見て何かしらの覚悟を感じさせるものだった。
「なんか知らんが、妹さんも元に戻ったようでよかったぜ」
「ああ。震えていた時は心配になったが、もう大丈夫なようだな」
「私と違って、アルテさんは自力で立ち直れてすごいですわ……」
「アルテ、元通り……?」
とりあえずは、と、全員が元に戻ったことを確認し合い。
最後に互いに「帰り道で覚えた違和感を話し合おう」と、受けた洗脳の解除をする方向で、話がまとまっていった。




