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だから私は!!  作者: 海蛇
第三章.悪鬼の監獄編

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50/68

#50.つよかった


「――ミノスっ」


 シェルビーが丸焼きにされる覚悟を決めたその時だった。

その後ろから、今までになく大きな声がダンジョンに響く。

名無しだった。シェルビーが今まで聞いたことも無いような声で、今まで見た事も無い様な必死な顔で、小さな手で、赤銅色のブローチをかざす。


「ぶもっ――させるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 目の前の厄介者(シェルビー)よりも優先すべきもの。

ミノスは即座にそう判断し、ブレスの矛先を、名無しへと向けたのだ。


「ばっ――ポーターちゃんっ!?」

「う……ぐっ」


 鎧すら焼き焦がされそうな灼熱の炎が名無しに降り注ぐ。

だが、シェルビーなら即死しかねないそれが、名無しには耐えられていた。


「ぐぅっ、しぶといわねえっ! ぶもぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

「そんな、程度?」


 笑ってすらいた。

いくら耐えられるとはいえ、それは強がりに過ぎないのはシェルビーにだって見えていたが、「今のうちに」という意思が感じられ。

シェルビーもまた「ちくしょうが」と、袖の下を揺らす。

何かを掴んでそのまま、手を上に高々と上げた。

その動きにミノスも反応するが。にやりと笑うのだ。


「遅いんだよ、ウスノロっ!!」

「んま゛っ!?」


 上げた腕に気を取られたミノスは、しかし、そのまま地面に叩きつけられたモノには反応しきれなかった。

もくもくと急激に視界を覆う煙幕。

その瞬間、シェルビーは完全に、ミノスの視界から消えたのだ。


「ふんっ、こんなものっ!!」


 斧を振り回し、即座に煙幕をかき消す。

しかし、その場にはもう、シェルビーはいなかった。

尚も焼かれ続ける名無しを放置し、逃げるはずも無いと思ったが、視界のどこにも居はしない。

何かがおかしいとミノスが思えなかったのは、彼が怒りの精霊に巻かれ、冷静さを失っていたからというのが大きいだろうか。


「――ははっ」


 次に彼の腹立たしい声が聞こえた時、ミノスはぐちゃ、と、何かが爆ぜる音を聞いた。

左側の視界が潰れ、死角が広がる。

直後に頭部に走る鈍痛。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」


 片目が潰されていた。

消えたかに見えたシェルビーは、ミノスの真上にいたのだ。

そんな高くに人が飛べるはずがない。

ではどうしたというのか。

ミノスは、彼の片足が吹き飛んでいたのを見た。


「お前っ、お前っ! 自分の足をトラップで――」

「ああっ、今時間が稼げるなら、足の一本くらいくれてやらぁ! もう片方の目も――」

「死ねえ!!」


 最早言葉を選ぶことすらなく、ミノスは空いた拳をシェルビーへと叩きつけようとする。

だが、それはするりと避けられ、まるで腕を伝うかのような身のこなしで自分の眼前に迫ってくるのだ。

厄介な男だとは思いはしたが、ここまで厄介だとは思いもしなかった。

その脅威が、目の前に迫っていることに、ミノスは驚愕を覚えていた。だが。


――でも、こいつじゃアテクシは殺せないわ。


 そういう余裕が、ミノスにはあったのだ。

ただの人間には、傷つけることはできても殺すことは絶対にできない。

だから、一番の脅威は。


 そう思いながら、潰される寸前の眼で、その奥にいた名無しを見やる。

その少女が何をしているのか。

地面に、えげつない魔法陣を描いているのが見えた。

丸焼きにされながらである。躊躇がなかった。


――冗談じゃない。


 そんなもの、完成させるわけにはいかない。

自然と腕は、誰を迎撃すべきかの判断の元振りかぶられ。

ぐしゃりと、目が潰されると同時に、剛腕に握られた斧は、投げつけられたのだ。


「ぐ……っ」


 何でも斬れるオリハルコンの斧である。

人体に当たればそれだけでぶつ切りにされるような代物が、小柄の少女の身体でどうやって耐えるというのか。

ブレスを耐えたことすら驚異的だったが、流石にこれで生きていられるはずがなかった。

だから、安心して、腕を振り回せた。


「ぐわっ」


 当たればラッキー程度の適当なカウンター。

それが偶然でも当たり、シェルビーは吹っ飛んだ。

セシリアの時ほど力を籠めていないとはいえ、セシリアほど耐久のないただの斥候なら、即死か、よくて全身打撲で二度と歩けなくなるはずだった。


「ヒールっ」


 必死な女の声が聞こえた。

恐らくは一人生き残ってしまった哀れなプリースト。

そんなものを殺すのは、造作もない事だった。

それこそ、目の回復を待ってから、じっくり逃げまどうのを殺すのも、あるいは必死に回復の奇跡を祈り続けるのを叩き潰してやってもいい。


「バカねえあんた。そいつらの傷が、ヒールなんかで回復できるわけないじゃない」


 セシリアにしたってほぼ即死の、ぎりぎりまだ身体が機能している程度だった。

その状態まで至ってしまえば、もうヒール程度で回復できるわけがなかった。

いや、セシリアがまだ(・・)生きていたことすら、ミノスには驚きだったのだ。

一度は直撃させ、吹き飛ばし戦闘不能に追いやったはずだった。

いくら騎士に自動回復能力が備わっていたとしても、そんな簡単に治るなら死者などこの世に居はしない。

それこそ、殺してからリザレクティアで復活させた方がよほど確実というものだった。

だから、無駄な努力に思えたのだ。

そう、壊滅したPTメンバーを前に、一人生き残り恐慌状態に陥ったプリーストが、意味のないヒールを連呼しているのだと。


「ヒールっ!!」


 意味のない叫びは続く。

けだるく感じる中、ミノスは「こういう絶望も悪くはないかしら?」と、ようやく心が落ち着いてくるのを感じていた。

怒りの精霊にまどわされていた心が、冷静さを取り戻し始めていたのだ。


「ヒールっ!!!」


 無駄な叫びはまだ続く。

いい加減に諦めたらいいのにと思いながら、自然と回復してきて、徐々に視界が戻ってくる。

――さあ、これで終わりよ。

そう思った矢先だった。

手遅れになったはずの女騎士が、再三立ち上がり、自分の前にいたのだ。


「やあミノス。待っていてくれてよかったよ」

「――あんたっ!?」

「やり返させてもらうぞ!!」


――ありえない。なんで。


 そう思っていた直後、胴体に、尋常ならざる威力の斬撃が叩き込まれる。


「かはっ……あ゛っ、あ゛っ……っ」

「貴様は、私の仲間を傷つけてくれたな」

「あ゛、お……うそ、なんで、さっきは、さっきはこんな威力――」

「許さんぞ、絶対に許さん!!!!」


 ざん、と、再度腹を切り刻まれ。

そしてまた、その奥から「ヒール」という声が聞こえた。

見れば、プリーストが頬に汗を流しながら、必死の形相で死に体の斥候を抱きかかえ。

そして、その傷を見る見るうちに癒していった。


「うそよ、うそ……だってそんな、そんな傷が、なんで一瞬で――」


 初めて見る光景ではなかった。

かつて彼が、闇を司る魔神と共に、運命の女神に導かれし勇者を迎撃した時にも、似たようなものは見た。

けれどそれは、運命の女神の信徒ではなく、地母神の遣いが行う癒しの秘術である。

この娘にそこまでの力は感じられなかったし、あくまで使っているのはヒールである。


「――あぁ」


 そしてもう一つ。殺したつもりになっていたポーターの少女は、死んでいなかった。

肩口からばっさり斬られながら、残った腕で魔法陣を描き続けていたのだ。

今やその魔法陣は完成間際。


(何よこれ、これじゃ……まるで、あの時みたいな)


 とんでもない化け物どもがいた。

人間とも思えない様な覚悟の決まりきった、『意思』を感じさせるPT。

この世界で初めて結成されたという人類史上で最初のPT。

運命の女神に導かれし勇者PT。

そんな奴らの、そんな憎らしい奴らと、その光景は被っていて。


「――魂魄の鎖(アストラル・チェイン)!!」


 名無しの声と共に、聖典奇跡は完成される。


「うっ、あっ、ああああああっ!?」


 両腕が、両足が、宙空から発生した光の鎖に束縛される。

これは、魂の罪科を問う審問の鎖。

罪なき者には何の効果も無く、故に運命の女神に敵対した魔神の配下には絶大な効果を誇る神器(しんき)はく奪の奇跡である。


(剥がされる……我が、我が器がっ! 魔神様っ!!!!)


 神の魔物とは、魔神により神格を与えられし魔物である。

その神格こそが神の魔物の不死性を担保しており、『神が故に決して殺せぬ』という概念がこの世に存在するからこそ、神の魔物は致死の一撃を無かったことにできる。

それが失われれば、後はもう、ただの魔物に成り下がった男がいただけだった。


「く、くう……おのれっ、おのれっ、運命の女神の遣いがぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 精一杯の叫びは、もはやクライにすらならず。

地を揺るがすことも、空気を振動させることも無かった。


「ミノス……王。貴方の怒りの根底は、ここで消える」

「消えるものかっ、決して消せるものかぁっ! 我が、我が無念と怒り、妻と息子を、その人生を無茶苦茶にされた、神々と人間への怒りと憎しみがぁぁぁぁぁっ!!!」

「ここで、消えるんだ!! 歴史に戻れ、ミノス!!」


 ざん、と、とどめの一撃が放たれる。

最早それまでの驚異的なしぶとさは消え去り、肉体も、どんどんしぼんでゆくばかり。

そして、首が胴から離れ、転がり落ちた事で、その肉体は、元のしわくちゃの、老人のようになっていった。


(あぁ……)


 不意に、転がって転回する視界の隅に、王冠と杖が見えた。

崩落に巻き込まれ、この階まで落ちてきた、自分の最後の宝。

かつて王だった頃の自分が被っていた、誇り高き王としての証。

そして、亡き妻の愛用していた、杖だった。


「王よ、戦いは終わったんだ」


 貴方の戦いは、と。

先ほどまでの怒りに満ちた顔はどこに消えたのか。

自分を破った女騎士殿は、なんとも凛々しい顔立ちで、見下ろしていたのだ。


――まるであの時の、生贄の男のようだ。


 我が子を殺した男に、よく似た眼の娘だった。

自分の娘を恋焦がれさせ、自分の腹心に情報を漏らさせた、あの憎き男に。

許せない。なんと許せない、腹立たしい奴よ。

そう思いながらも、勇ましさと知恵とを兼ね備えたその男の眼は、見ていて清々しい気にもさせられたのだ。


 元はと言えば、自分が欲深かったからこそ起きた不幸。

そうに違いないのだと、その時は割り切っていたはずなのに。

割り切れないままの想いが心のどこかにはあって、それが、義理のではない、本当の父親に魂を拾われた事で、再び燃え上がっていった。


「……安らかに眠るのだ、ミノス王」


 そう願うかのように語り掛けてくるこの瞳は、悲哀すら感じさせ。

自分がどれだけ愚かで、情けなく、惨めな事になっているのかを思い知らされ、どうにもならなくなっていた。


(ああ、我が父上、魔神様。私は、貴方に息子と同じ姿にして欲しいと願い、貴方に妻と同じようにして欲しいと願い、貴方に我が心の怒りを、憎悪の炎を決して消さないで欲しいと願ったが……)


 王としては、褒められたものではなかった末路だったが。

人としては、父と肩を並べ戦い、壮大なる相手との激戦を生き残り、そして今……その時の勇者と似たような連中に敗れ、また、人に戻っていた。

人として、死ぬ時が来たのだ。否。既に死んでいたはずの身だった。

死んだままでなければならなかった、その身、その魂だった。


(……今一つ願えるならば、どうか、貴方にも(・・・・)この、救済、を)


 ようやく眠れる。

安らかに。そう願われ。

他者の憎しみの中、他者の呪いの中、怒る事しかできなかった自分の人生に、終わりを迎えられる気がした。

父であるその人にも、同じことを願った。

その方がきっと、救われるはずだから、と。



 こうして最強の神の魔物ミノスは、滅びた。

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