#44.よふかしはおはだのたいてき
「――ほっほっ、深夜に何事かと思ったが、珍しい組み合わせじゃのう?」
王都に到着したセシリアとテレサは、揃って王城に向かい、謁見の機会を願い。
たまたま王が起きていたという事もあり、速やかにそれは叶った。
今は、宰相のみが王の傍に控える謁見の間で、二人並び跪き頭を垂れている。
「必要な事と思い、可能な限り早くお知らせしたいと……とはいえ、まさかこの時分に謁見が通るとは思いもしませんでした」
「私も同じですわ。お話したい内容は、セシリア嬢とは違う方向性でしょうけれど」
それぞれが社交辞令程度に挨拶をはじめ、王も「よいよい」と手を振り、それを止め、二人の面も上げさせた。
「ワシもたまたまではあったが起きておったからな。明日忙しい思いをするくらいなら、今聞いた方が良い。そうさな……まずはアンゼロットの娘よ、何用でここへ?」
「先日、私が調査した『ビャクレンの園』の調査結果と……気になる点がいくつかあったので確認をしたくて参りました」
「ふむ。お前達錬金術師が王城を訪ねるのは実に珍しいと思ったが、ミルヒリーフ関係、か。して、セシリアは?」
「私も同じく、ミルヒリーフとそのダンジョンについての報告です。実は『ビャクレンの園』の攻略の際、途中からこちらのテレサ嬢のPTと同行する事になりまして」
双方の要件と、二人並んでいる理由をそれとなく察し、王は顎に手をやりながら「なるほどな」と、小さく頷く。
「では、テレサよ。お前の調査した結果とやらから聞こうか」
「はい。『ビャクレンの園』ですが、既にギルドに攻略情報のある古い領域はさほどの変化も無く、私の求めた魂に関する文化的・技術的な情報は一切ありませんでした」
「だろうのう。あそこはもう100年は昔に攻略済みの旧跡じゃ。そういう扱いになっとるはずだからのう」
「ええ。ですが、新規に発見されたルートはその限りではなく、至る所に鏡が掛けられた通路の先には、大きな鏡が飾られた、牢獄がありました」
「……ほう?」
自分でも知っている話で、さほど興味も無さげな顔をしていた国王だったが、新たな情報には興味惹かれたようで、目の色が徐々に変わっていくのを、セシリアは見ていた。
「その大鏡は、ミルヒリーフの住民たちにとっては大層重要なものらしく、『宝物』として大事にされていたものらしいのですが」
「宝物、なあ? その大鏡、ミルヒリーフの例の儀式とやらに関係あるのか?」
「大いに関係あったようで、宗教的なシンボルとして扱われていたようですね」
「なるほどな」
静かな時間であった。
王もテレサも必要な事しか言わず、物音一つ立たず。
テレサが次に言葉を発するまで、冷え切った夜の暗さが、その場に重苦しさまで与えているような、そんな。
そんな静かな場で、テレサは口を開くのだ。淡々と。
「この大鏡。神代の頃に創造されたと思しき大層古いもので、『エーテル』という、魂を見る事の出来る素材を使っているのが解りました」
「魂を見る? そう言われても、今一解りづらいのう?」
「眼鏡などに使えば、人間の身体から抜け出た魂を直接見る事すらできる、と言われている物質ですわ。ガラスのように透明で、それでいて実際には液体で、人間には直接加工する事の出来ないものです」
「そんなものをどうやって鏡に使っておるのだ? 加工もできないものを」
「回収する際に特別な機材を使う事で、加工する事の出来る別の物質に変換できるのです。それ自体は私どもの家系では既に開発できている技術ではあるのですが……このエーテル、本来は地上に存在しないもののはずなのです」
少なくとも今の地上では、と、付け加えながら。
その部分だけ、感情を感じさせなかったテレサの声に、力が籠っているように、セシリアには感じられた。
「ありもしないものを使って作った道具が、そこにはあった、と?」
「ええ。エーテルを使って作った道具は、かつて『神器』として各地に存在していましたが、その悉くが神自身、あるいはその遣いたる天使によって回収ないし破壊され、地上からは失われています。少なくとも、名の知れたものは一例の例外も無く」
あってはならないものが、そこにはあった。
それだけでもう、王には事の重大性が伝わって来ていた。
「そんなものが、今の今までワシらに知られることなく存在し続けていたことも問題だが……その鏡、どのような性質を持つものなのだ?」
「本質は、魂の複写……すなわち、版画に写された絵や文章のように、そこに写された者と全く同一の人間が産み出される、というもののようです」
「魂の複写、というのも解りにくいが、同じ人間が産み出されるのは、少し考えただけでも問題の種になりうるのう」
そしてそれを、ミルヒリーフではずっと儀式に使われ続けていたのだ。
何の儀式なのかも解らない、国としても把握しきれていない事の為に。
この時王が感じていた嫌な予感は、現実のものになろうとしていた。
「そしてこの鏡より産み出された人間は自身を『鏡人』と自称し、自我を持ち、そして本物をこそ偽物だと言い張り敵視する、そんな存在になっていました」
「……ああ、やはりそういう」
「ええ。陛下のご懸念のように。ミルヒリーフは、このミラーマンが支配する町となっていました。住民のほぼすべてがミラーマンになっているものと」
「国民と思っておった者達が、人間とも言えんような……しかし、元の人間と変わらん自我を持ったよく解らん生き物になっていた、というのは、少しショックだのう」
ああ、と、額に手を当て大きく息をつく。
老齢の身に、その気苦労は中々しんどいものがあったようで、セシリアは心配になったが、王はすぐに手をどかし、「それで」と話を進める。
王としては、聞きたくなくとも無視できる話ではなかった。
「確かめたいこと、というのはなんだ? 『ビャクレンの園』とミルヒリーフ……それと、あそこで行われているという宗教的な儀式についても、なんとなく察しはついたが」
「一つ目は……もう確認する必要もなさそうですが、陛下は、そして国はこのことについて、知ってらっしゃらなかったか、という点ですが」
「言うに及ばず、今のワシの反応で解っておるだろう?」
「では二つ目。神器があると解った今、陛下としては、ミルヒリーフと『ビャクレンの園』をどのようになさるおつもりですか?」
「んー……それについては、後で話そう」
実質答えがすでに出ている一つ目はともかく、はぐらかすような二つ目の返答には、テレサも「?」と首をかしげてしまったが。
国王は、「気にするな」と、若干苦しそうな顔をしながら、手をフリフリ。
言葉にせずとも「次は何か」と促していた。
「三つ目。これが最後ですが、その大鏡、我がアンゼロットが開発しても、よろしいですか?」
「……できるのか?」
「古いものです。基礎理論だけならば、既に把握しております」
「テレサ、それは……」
セシリアには予想もつかなかった事だった。
鏡人の一件、そこで起きた殺し合い、そして、新たに生まれた子供を鏡人にする為に殺していた件を考えれば、そんなもの、新たに生み出していいはずがないのだ。
思わず声をあげ、止めようとしてしまった。
だが、声に出した瞬間、じろり、テレサから睨まれる。
色を感じさせない瞳だった。
「黙っていて頂戴。今は私と陛下のお話の時間よ」
「……失礼しました」
それを見て怯えた訳ではないが。
テレサ自身の本気を感じ、そして、実際発言の順番を王が指定したにも関わらず横入りした形だったので、セシリアは謝るしかなかった。王への謝罪である。
幸い、王は機嫌を損ねた様子もなく「よい」とだけ言い事なきを得る。
「だが、それは言ってみれば、写した対象に似た、よく解らん存在を産み出してしまう呪われた品のようにも思える。それに、エーテルは存在していないのだろう?」
「ええ、ですから現代でも手に入る範囲の材料で作る、効果自体も弱めの、短期的に分身を作る程度のものになるでしょう」
完璧には模倣できませんので、と言いながらも、自信を覗かせる瞳を見せていた。
それは、いずれ完璧に迫るものを作るという、危うさすら感じさせるものであったが。
王は「ううむ」とわずかばかり悩んだ様子だったが、すぐにニカリ、歯を見せ笑う。
「やってみろ。神器自体がなぜ神々や天使によって回収され、または破壊されたのかは今の時代には詳しく残っておらんが……それに迫るものを作れるなら、それは一つの技術の進歩を示す出来事となろう。我が国が、世界に名を残す機会にもなる」
国益は大事じゃからのう、と、からから笑いながら許可を出すと、テレサも「ありがとうございます」と、深々と頭を下げた。
セシリアとしては「本当にこれでいいのだろうか」とも思えたが、王が決める事に口出しする事はできそうにないので、自分の順番の時に話すことに集中する事に意識を向け始める。
「……して、セシリアよ、お前は何を報告しに来た? 聞かせてみぃ?」
難しい顔をしていた頃に比べると、随分アットホームな感じに聞いてくるその温度差にくらくらしそうになりながら、セシリアは「実は」と、説明を始めた。
「――なるほどのう。助け出したカップルが、突然消えた、というのは、先ほど聞いた話から察するに、ミラーマンの性質というか、特徴の一つなのかのう?」
「恐らくは……戻って確認はできなかったので確定ともいえませんが、恐らく、ミラーマンたちは、鏡のある『ビャクレンの園』があるミルヒリーフからは大きく離れた場所に移動できないものと」
「ボルトアッシュめのミラーマンが話していたのも解ったが……お前は、それを信用できると思ってるようだのう。まあ、嘘をつけるような男ではないからのう、アレも」
「ええ。ですので、真相についてはそれを聞き、納得したつもりなのですが……ただ、もし陛下が、これを聞いてあの町に脅威を感じたというのであれば……」
「……結局お前もそこに繋がる訳か。ああ、もう黙っておるのも面倒くさい、話してしまうか……宰相」
「はっ」
それまで表情一つ変えず王の隣に立っていた宰相が、王の言葉で一歩だけ前に出てくる。
先ほどの疑問もあり、セシリアだけでなくテレサも、宰相を注視した。
「そのミルヒリーフだが。実は先ほど、住民の全てが消え去っていたという情報が入ってな。街道警備に当たっていた衛兵からなのだが」
「――えっ?」
「住民が、消え去った……?」
それは、二人にとって余りにも唐突で、そして、信じがたい状況だった。
「ワシも驚かされたわい。宗教の関係もあって、王家としても今まであまり触りたくないと思っておった地域じゃ。それが、突然住民が消えたとあっては、何事かが起きたとしか思えんではないか」
「賊に襲撃された、とかは……」
「荒らされた様子が全くなかったらしい。それどころか生活臭を感じさせるような、痕跡がそのまま残っていたそうな。暖炉とか、かまどに火がついたままであった、とかな」
流石にそれはあるまい? と、苦々しい表情になりながら、王は腕を組み背もたれに寄り掛かる。
きし、と、玉座が軋み、沈黙が場を支配した。
「……今まで起きていた理由がこれじゃよ。『手を下すにも既に住民が居ない』」
「は……」
「それでは、どうしようも、ありませんね」
「ま、そういう事じゃ」
最悪、王が兵を差し向け、ミルヒリーフの住民を皆殺しにする可能性も考えられた。
それも含め、報告した上で虐殺が起きないようにするためにセシリアは「町に関わる人を制限できませんか」と願い出るつもりだったが……それどころではなかった。
「何が起きたのかは解らんが、どこか別の場所に住民が大移動を始めたとなればすぐに衛兵隊なり街道を旅する行商伝いで情報が入るはずじゃ。それがないという事は……」
「何がしか超常的な出来事が起きて、住民そのものが消えた、としか考えられない」
「まあ、理由が何であれ、国としてできるのはもう、調査くらいじゃよ。変更点と言えば、ミラーマンの情報が今手に入ったから、非武装で『ビャクレンの園』に入るように命令するくらいじゃな」
鏡が悪さをしていないとも限らんし、と、付け加え。
王は「ふわぁ」と、緊張感の抜ける、大きな欠伸をする。
それで、話がもう終わりなのだと二人は察した。
「……まだあるか?」
「いえ」
「今宵はもうこれ以上は」
「ならよい。下がれ。ワシももう眠くなってきたわ」
もう寝るくらいしかできんわい、と、自棄を感じさせるような笑い顔を見せながら玉座を立つ。
セシリアもテレサも、再び頭を垂れ、王を去るのを待ち……宰相から「ご苦労であった」と声を掛けられ、立ち上がって退室した。




