#42.せいしんしゅぎょうはよくわからない
瞑想の時間は、ひたすらに没入と思想の時間である。
「全てを忘れ去って下さい――」
女司祭の言葉を受け、瞑想ルームの中心部に座るシェルビーは、言われたとおりにしようとする。
(……はぁ)
《パァンッ》
「いってぇ!?」
背筋に走る謎の激痛。
思わず飛び上がり背筋を撫でるも、何ぞかを叩きつけられた様子もなく、ひりひりとする感覚もなかった。
何より、部屋の隅に立ったままの司祭殿は、動いた様子すらなかったのだ。
少なくともシェルビーには、何も感じられなかった。
「余計な考えはいりません」
「う……スミマセン」
「謝罪もいりません。全てを忘れ去って下さい」
淡々と、粛々と。
シェルビーの言葉ですら意味のないものとして扱うその態度は、この瞑想の本質を意味しているが如く。
そう、「全てに意味がない事」を理解させるためのものであった。
人間とは、何のために生きているのか。
それを追求せんがため、数多の者達が考えを巡らせ、何かしらの答えを見つける者も居れば、何も見つけられずに生涯を終える者もいる。
他者から奪い、他者を殺し、他者を犯す為だけに生きる者もいるし、他者を救い、他者を生かし、他者に捧げる為だけに生きる者もいて、多種多様だ。
だが、「何も考えるな」と言われても、人は中々そのようにはできない。
何かしら、集中する事でそれが達成する事ができる人はいよう。
例えば娯楽。好きな事に熱中している瞬間というのは、何も考える必要がなく、ただただそれに没頭できる。
例えば仕事。その仕事に責任を感じていて、愛着があって、楽しんで行えている事なら、無我夢中になってこなすという域に達する事ができる者もいよう。
例えば運動。例えば鍛錬。例えば恋愛。様々なものに、人は何も考えずそればかりを続けていられる。
シェルビーとて、仕事としてならば、そして難易度の高い罠の解除などしている時は、余計な事など考えていない。
(何も考えるな。何も考えるな。何も考えるな。何も――)
では今のシェルビーはどうか。
ただ座り。ただ「考えるな」と自身に命じ、そのようにしようとしているだけで。
《バァンっ》
「あいってぇ!?」
「自身に命ずるのもまた、『思考』ですよ?」
「んな事言われても……う、ぎぎ……」
激痛走る背筋を撫でても、先ほどまでと何も変わらず。
叩かれた瞬間こそは飛び上がるほど痛くとも、すぐにその痛みはなかったかのように消え去っていた。
ただただ理不尽に感じ、「こんなのの何が瞑想なんだ」と思いたくなるのを我慢し。
じ、と、視界の隅の司祭を見やる。
「何か?」
「……なんでも」
――必要があってやってるんだ。
自分から、冒険の為に必要だから。
そしてそれに付き合ってもらっているのだ。この司祭殿には。
どれだけ理不尽に思えようと、意味が解らなかろうと、文句の一つも言いたくなろうとも。
これは、自分の為の事なのだから。皆の為のものなのだから。
「……」
再び座り直し、目を閉じる。
何も考えないように。何も思い浮かべないように。
けれど、心というのは不思議で、心静かにと願うようになると、不意に余計な考えが浮かびそうになるのだ。
「……っ」
それを、首を振って追い出そうとする。
一番に浮かびそうになったのは、名無しの事だった。
小さな子供が、命がけで冒険者などやっている。
それ自体は珍しい事でもなかった。
冒険者でもなきゃ、誰ぞかの玩具にされるか、児童娼婦として売り飛ばされるか。
孤児院に入れなかった子供の末路を知れば、それがどれほどマシな生き方なのかも解るくらいには、シビアな世界を、彼は知っていたから。
(あいつ……)
それでも、考えずにはいられない少女だった。
初めて出会った時、シェルビーは名無しを、セシリアの妹か何かかと思っていた。
家族で冒険者をやっている者はそう珍しくない。
一家全員冒険者、なんていう家系もあるくらいで、何度かそういったPTにお邪魔したこともあったのだ。
どうもそうではないらしいと解り、従者か何かなのかとも思った。
名無しはセシリアを様付けで呼ぶ。シェルビーが出会った頃から、今に至るまでそれは変わらないのだ。
だが、それは違っていて、そんな少女が、騎士団の副団長様のPTでポーターなんてやってる事実に、多少なりとも興味を感じてもいた。
(いつまで、ポーターやってるんだろうな)
華奢の少女のどこにそんな力があるのか、名無しはポーターとして一流の仕事をこなしてくれていた。
だが、シェルビーはそんな事、全く気にもしていなかった。
用を成せればそれでいい。そうは思っても、一緒に冒険をしていて、そんな事より気になっていたことがあったのだ。
――あいつがこんなことやってるの、ダメなんじゃ。
普段は寡黙で必要な事を一言二言喋るしかしない、けれど無邪気な少女だった。
砂で作った城を本気で喜んで夢中になったり、実際に城主になってみてそのハードな一日にくたびれながらも、それでも夢を捨てなかったり。
恋が気になるのか目を輝かせたり、鏡人と一緒になって不機嫌になったり、自分を心配して追いかけまわしたり。
誰がどう見ても、子供だった。普通の子供。
ただ力が強くて、度胸が据わってるだけの、子供である。
(あいつがポーター仲間の死体を見た時の顔。あんな顔は、二度と見たくねえ)
――これ以上、あいつを、悲しそうな顔にさせてはならない。
大人として、仲間として、それが越えてはならないラインのように思えたのだ。
絶対に踏み越えてはならない、そうなってはならない、心のライン。
《バシィッ》
「ぐっ――」
「考えないように」
「スミマセン……」
痛みが走り、飛び上がり、そしてまた座り直す。
目を閉じ、考えないように考え、それすらも捨て、静かに、心静かに。
(いいぞ……なんか、ふわふわしてきた)
心の中に余計なものを波打たせぬよう、極力考えてしまいそうなことを忘れ。
身体がふらふらと、勝手に揺れていくような感覚を覚え、少しずつ心地よくなってくる。
(心地よく……心地よく……そういえば)
ぼんやりとしていく中、不意に浮かび上がる心の波。
(前のダンジョンの時に感じたあの柔らかいの……どこかで……)
ビャクレンの園で落下した時に感じた、謎の感覚。
落下のショックで忘れていたことが、不意に浮かんだのだ。
(そういや、シイタケになった時もなんかそんな感覚受けたなあ、あれは確か――)
それが何であったのか、今更のように思い当たりそうになり……すぐに「いやこれは邪念だろ」と、頭を振って追い出そうとする。
(……あいつ、貴族に戻って何するんだろうな?)
しかし、一度考えてしまうと次々と思考の波が訪れ、それについて考えてしまう。
普段から考えてばかりだから、そんな癖がついていたのだ。
小さな波紋が、次々に別の波紋を呼び寄せる。
浮かぶのは、シャーリンドンの顔である。
(容姿は間違いなくいいんだから、どこぞの金持ちの家にでも嫁げば絶対に今より楽な暮らしができるのに)
婆やとのやりとりを見ていると、どうもそういった事は好んでいないらしいのが解る一方で、明らかに冒険者に向いていないその性質には、今でも溜息をつかされる、そんな日々である。
そして話していれば事あるごとに垣間見る、子供っぽさ。
恐らくはこれが一番の婆やの悩みの種で、そして自分としても、「面倒くさい」と感じる一因でもあった。
(でも、あいつのおかげで何度か助けられてるんだよな)
冒険者としてのシェルビーは、彼女を幾度も「半人前の役立たず」「明らかに冒険者に不適格」と烙印を押し続けている。
けれど、同時にシャーリンドンは、そんなシェルビーに笑われながらも、からかわれながらも、役立たず扱いされながらも、それでもついてきて、実際にPTに貢献していた。
そのがんばりを、結果を無視するほど、彼はひねくれきれていなかった。
(……いや)
だが、そこまで考えそうになって、また頭を振った。
――やっぱあいつ、冒険者向いてないわ。
些細な事で感情を爆発させ、不満に喚き散らし、すぐに泣き出すダメな奴。
体力的にも全く追いついていなくて、それらを何とかする為の努力もおざなりで、得意な事といえば冒険と全く無関係な家庭的な事ばかり。
料理など、雑でもいいのだ。火が通っていれば大概の肉は食える。
そもそも女として見ても魅力に欠けるのだ。
美形ではある。胸も大きい。太腿も素晴らしい。黙っていればこれ以上ない。
だが、「今のあいつが例え全裸で迫って来ても微塵も揺るぐまい」という自信があった。
駄々ばかり捏ねる。泣き言ばかり言う。ガキっぽくて面倒くさくてとにかく関わりたくない。
可哀想な奴。
(なんであいつ、冒険者なんてやって、楽しそうにしてるんだろうな)
冒険者なんて職業は、追い詰められた者の最後の希望みたいなもので、そうでなければ、夢見がちなロマンティストが抱いた夢想のまま実行に移してしまった生き様というのがほとんどだった。
なるほど自力で金を稼げない貴族の令嬢ならばそうもなりそうなものだが、それならもうすこしスマートな道のりがあるもので、彼女はそれを選ばなかったのだ。
本来それは、最悪から二番目くらいには悲惨なルートのはずなのに。
この下は娼婦くらいしか無いぞというくらいには大半の若い娘なら選ばないであろうルートなのに。
なのに、楽しそうにニコニコ笑っているのだ、あの没落貴族令嬢は。
そのニコニコ笑う意味が、シェルビーには解らなかった。
無邪気だったのだ。その笑顔は。幸せそうで、楽しそうで。
まるで、子供がようやく思い通りになったかのような、友達と遊んでるかのような。
――ほんと、可哀想な奴。
どんな生き様をしたらこんな日々が楽しく感じられるというのか。
それが全く解らず、理解できず、ただただ、自分に想像できないくらいに悲惨な、それでも当たり前な貴族としての日々があったのだろうと、そんなことくらいしか感じられず。
けれど、そんなニコニコ笑ってる奴を、泣かせたくないなと思ってしまった。
《ビシィッ》
「……ぐ」
飛び上がるほどの痛みは、けれどいい加減慣れたのか、歯を食いしばる程度で済む痛みに感じられていた。
「……」
「はいはい、すみませんすみません。考えないようにしますよ」
言われる前に謝り、また思考を静めてゆく。
そうしてゆくと、心がどんどんと深い所に沈んでゆくのだ。
深い深い、静かな、水の中のような、何も見えない世界へ。
「――なあ、あんたがシェルビーさんだろ? 俺のPTに来ないか? 一日500出すよ」
「安すぎる、よそを当たれ」
「そう言わないでくれよ。俺たちにはあんたの力が必要なんだよ。な? 600……いや、800出すよっ」
「最初から800って言ってたら考えてやったかもな。よそに行きな」
「ちっ……噂通りの偏屈野郎だぜ」
ある日の酒場でのことだった。
丁度仕事が一つ終わり、遠く離れたセレニアの街で仕事探し。
このセレニアの冒険者ギルドは、他の地域の冒険者ギルドを統括する支部が置かれていて、仕事の依頼も、それを受ける冒険者の数も他とは段違いである。
地方からこの辺りに上ってくる冒険者たちは、『仲間集めならセレニアに行っておけ』と言われるくらいには、仲間集めにうってつけの街であった。
(ふん、手前らの命預ける相手の報酬ケチる奴があるかよ)
その日真っ先に誘いをかけてきたPTのリーダーの捨て台詞に、「小者の癖に」と悪態をつきながら、テーブルの上の酒をひとくち。皿の上に乗ったハムをかじった。
「あ、あのっ、私達、今斥候の仲間を探してるんですけど、よかったら――」
次に彼のテーブルに来たのは、見るからに初心者っぽい、希望に満ち溢れた面々だった。
先頭に立って誘いの声をかけてきたのは、まだ十代半ばくらいの少女。
見た感じで剣士か戦士といった感じの装備品。
その他には、弓士らしい小弓を持った少女や、その保護者のように見える年配のプリーストの姿。
先ほどのようなくたびれた、闇のようなものも感じず、印象は悪くなかった。
「俺の事、知ってる?」
「え、いえ、あの、知らない、です。ごめんなさい」
「あっそ。別にいいさ。初対面だしな?」
知らなくても問題はなかった。
むしろ知らない癖に「知ってます」などと言わんものならその場で「帰れ」という所だった。
シェルビーは、仲間のそういう嘘や見栄が大嫌いなのだ。
「それで?」
「あ、はいっ、私達、昨日結成したばかりのPTで……でも、斥候の人とは中々知り合えなくって」
「なるほどな。でも、索敵や罠や宝箱開けるだけなら、シーフでもいいんじゃねえか?」
酒場を見れば、酒瓶を前にケタケタと笑うガラの悪いのはいくらでもいて、そういう手合いは大体シーフと相場が決まっていた。
だが、少女は首を横に振り、「あの」と、まっすぐな目で見てくるのだ。
「私達、あんまりガラの悪い人とは組みたくないというか。怖いので」
「なるほど。安全な奴とだけ組みたい、と」
「そうです。お兄さんは、あんまり悪いことしてなさそうだし、斥候だっていうなら、って」
「シーフでも悪い奴ばかりじゃないんだけどな。そこに座ってる奴とか、多分いい奴だぜ?」
指さし見せた先に座っていたのは、モヒカン頭のいかにもガラの悪そうな、寡黙な男だった。
仲間連れで飲んでいる他のシーフ達と違い、一人だけで飲んでいて、いかにも「近寄るな」というオーラを漂わせる、威圧感ある大男である。
「……でも」
「声かけてみろよ」
「えっ、でも私は……」
「俺は断る。だって金出せないだろ? 前金だぜ?」
「あ……お金は、その、300くらいなら……」
「全然足りねえ。最低でも1000は出してもらわないと」
「う……」
初心者だろうと、まけてやる気は無かった。
この、いかにも冒険慣れてしていないであろう一団を助けてやれば、なるほど感謝もされるだろうし、懐かれる事だろう。
自分を悪党だと思わない辺り、見る目がない訳ではないのは気分が良かった。
だが、人は見た目だけではわからないもの。
実際、今しがた彼が教えてやったシーフは、そう悪い奴でもないだろうと思っていたのだ。
「いいから誘ってみろよ。そこのそいつ」
さっきから、彼がちらちらとこちらを見ていたのは解っていた。
シェルビーを見ていたのではない。
この一団を。そしてこの少女を見ていたのだ。
そこにいやらしさはなかった。どちらかというとそう、「いいなあ」という、うらやむ気持ち。
「あ、あの……」
「お、おうっ」
そして、言われるままに少女がおどおどしながらモヒカンシーフに声をかける。
モヒカンシーフもまた、びく、と、大柄な体を一瞬震わせていた。
それは、少女にも見えていたはずだった。
「な、仲間が欲しいんですっ、斥候もできるっ、人がっ」
「そ、そうかい! そういう事なら仕方ねえなあっ」
「お、お金なんですけど、私は300しか……」
「ふんっ、そんなの気にするなよっ! 100でいい! 100でいいから……罠とか、宝箱とかは、俺に任せろよ? 言う事ちゃんと聞いてくれよ?」
「はいっ、解りましたっ、お願いしますっ」
話はあっさり決まった。
仲間が欲しかった初心者と、仲間に混ざりたかった独り者と。
ソロを気取っていても、独りぼっちに耐えがたくなる者は少なくなかった。
初心者相手でも、一緒に旅をしたい。冒険したい。
そう思う者なら、法外な金を取る事もなく、必死になって守ろうとしてくれるだろう。
――ああいう奴らなら、ああいう奴の方が合ってる。
自分はそういうの向きじゃない、という自覚があったから避けたというのもあった。
子供の面倒なんて、自分には向いてないから。
(今日のところは、こんなもんかねえ)
一日酒を飲み続け、頬に赤みが差し始めたあたりで、その日を仕舞いにしようかと思っていたところだった。
一日中酒を飲んでいて、一日中色んな者から声を掛けられ、そしてその全てを断っていた。
慇懃無礼な中堅PTも居たし、希望に満ち溢れた若者たちも居たし、名の知れたベテランからも声を掛けられた。
金に飽かして「いくらでも出すから」と言った者も居たが、そいつの面が気に入らなかったという理由で断った。
(セレニアっても、こんなもんかね……玉石混合とはいえ、石の割合多過ぎねえ?)
前居たPTの奴らの方がまだマシだったぜ、と内心で愚痴りながらも、席を立とうとテーブルに手を付き。
――どん、と、金貨の入った袋を、そのテーブルに置かれた。
「1500ある。君を雇いたい」
品のある顔立ちの、背の高い女だった。
見るからに一般人ではなさそうな、そう、軍人でもやっていればこんな感じだと思えそうな、そんな。
「あんたは、騎士かメイジかい?」
「騎士だな。この国の騎士団の副団長をやっている」
「そんなお方が俺を? ダンジョン攻略なら、部下を使って一緒に踏破すれば楽じゃね?」
「恐ろしい罠が張り巡らされているダンジョンでな。優秀な斥候が欲しかった」
「そりゃどうも」
優秀な斥候、と言われ、鼻先がぴくり、自尊心がくすぐられた。
ここで座っていると様々な悪態や愚痴を向けられる。
多くの場合は聞くに値しない、無視すればいい程度の下品な、程度の低い物言いだが。
それでも、言われ続ければ嫌な気持ちにもなるし、安酒がますます不味く感じるというものだった。
そこにきて、これである。
「それに、私は部下を連れダンジョンに入るつもりはない」
「ほう? っていうと、何か私的な理由で?」
興味が惹かれた、というよりも、あくまで最初の段階は越えられた、程度のものだったが。
それでも、話を聞いてやる気になれたのだ。
「王からの勅命だ。新しく発生したダンジョンが安全なのか危険なものなのか。その調査をしたい」
「危険な罠が張り巡らされてるんだろう? 解ってるじゃん」
「ああ。何せ私は平気で踏み抜いてしまったからな。だが、今後も同じことが起きるなら仲間に迷惑が掛かるから、斥候に来てほしいんだ」
既にやらかした後であった。
その割にはぴんぴんしている様子で「ほんとに危険なのか?」と思いたくもなった。
だが同時に、目の前のこの女が、この国の騎士団の副団長様というなら、そういうこともあるのだろうと思えたのだ。
「君なら問題ないだろう?」
「あんた、俺の名前は?」
「知らないが? 知らなければならないのか?」
「いや、そういう訳でもねえが……」
初心者PTの時とそう変わらない会話のはずなのに、この目の前の女のなんと自信にあふれた事か。
自分が知らない事すら胸を張ってはっきりと言ってのけるのだ。
まっすぐに目を見て、余裕すら感じさせる笑みを見せて。
「……なんで俺に声かけたよ?」
「君が仲間を欲しそうにしていたからだが?」
「俺が? たっ、やめてくれよ。違うよ。俺はそんなんじゃねえ」
「ほう?」
「俺は、自分の腕を買ってくれる奴を待ってただけだよ」
「だが、今はフリーなのだろう? 腕は良さそうだ。色んな人が声をかけているのを見た」
「見てたのか」
「ああ、今日一日、な」
朝からだと言われ、驚き目を見開く。
こんな女の気配、感じてすらいなかったのだ。
自分なら、酒場のにぎわいの中だろうと、自分に視線を向ける輩の存在など容易く察知できる。そう思っていた。
だが、そんな気配、どこにもなかったのだ。
何せ、今目の前に立つ女騎士は、なんとも存在感に満ちていて、ただそこにいるだけで大きなものに感じられたから。
「嘘だろ」
「バレたか」
だから、それが嘘なのだと解った。
じゃなきゃ、どれだけの化け物なのだと言いたくなった。
実際嘘で、女騎士は悪びれもせず笑っていた。
「俺は嘘つきが嫌いなんだ」
「ならば私は君のお眼鏡にかなうはずだ」
「なんだと?」
「何せ今まで生きていて、嘘をついたのは今が初めてだからな」
「正直者かよ」
「嘘つきさ。今しがたそうなった」
笑えるだろう、と、自信たっぷりなその笑顔は、どうやっても覆りそうになく。
どんな皮肉も通じなさそうなこの女騎士に「こいつぁ喰わされたな」と、負けた気持ちにさせられたのだ。
「俺は俺の言う事を聞かねえ奴は大嫌いだ」
「斥候によくいるタイプだ、気にならないよ」
「俺は俺に命令してくる奴も嫌いだ」
「自由人なのかい? まあ君が勝手にPTの為に動いてくれるなら気にしないさ」
「俺はプロだ。誰にだって、俺の仕事の邪魔させねえよ?」
「すばらしいプロ意識だ。是非私の元で頑張ってほしい」
何を返しても受け入れる所存のようで、「ああそうだよなあ」と、解っていた敗北感を受け入れ、シェルビーは小さく息をついた。
皿の上に残っていたポテトをサワークリームにつけてひょい、と口に放り込み、ジョッキにわずかに残っていた、残りかすのようなエールを飲み干し。
「――どこに行くんだよ」
「『グラフチヌスの揺り籠』さ。聞いたことは?」
「ああ、何度かある。その何度かの大半は、ここの酒場でだけどな」
この街に来てから何日目か。
合間合間に聞いたことのある、そんなダンジョンの名前だった。
そこに挑む者も多いからか、いつきても人が沢山いてやかましかったのだ。
「PT構成は」
「私とポーター、そして君さ」
「嘘だろ」
「それではまるで私が嘘つきみたいではないか。そんな冗談私は言わない」
「冗談であってほしかったんだ」
「すまない、空気を読むのは得意ではなくてな」
まあ気にするな、と、爽やかな笑顔のまま背を向け。
「じゃあ明日、朝。またここで会おう。ポーターの子も紹介するよ」
「……契約するなんて言ってないが?」
「金を突っ返してこないだろう?」
「押し売りかよ」
「売ったのは君の方だよ。腕を買ってほしかったんだろう?」
「……たはー」
つくづく勝てないと思わされる女だった。
「あんた、名前は?」
「私か? 私はセシリアという。よろしくな」
そう、そういう奴だったのだ。そういう奴だったから。
――だから、くそ下らねえことで泣いたりへこんだりするあいつは、見たくなかったかな。
自分より年下の、けれど誰よりもリーダーに相応しいと思えるそんなセシリアが、年相応に苦しんだり悩んだりするのを見るのが、とても嫌だった。
「……あれ?」
てっきりまた、痛みが走るものと思っていた。
背筋には何の感覚もなく。そして目を開いた先に居た司祭殿も、すました顔のまま。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何も……痛みを感じなかったような」
「では、貴方は何も考えなかったのですね」
「え? いや、でも……」
「考えずに、感じていたのでしょう? 自分の中の『心』を」
「……へ?」
何を言い出すんだこの人は、と思い考えを巡らせるが、答えは全く出てこない。
にこり、微笑むこの女司祭が何を考えているのか、全く分からないのだ。
「理解できない、という感じですね?」
「そりゃ、何の説明も無いですからね」
「ですが貴方は理解したはずですわ。自分の気持ちに。自分の心に」
「……それが一番わからねえっていうか」
「ええ、そうでしょうね」
「あぁん?」
何だそりゃ、と、ますます解らなくなっていく。
「人は、人である以上は、人の身体に囚われてしまいますからね。この瞑想ルームは、一時的にその身体に……脳に囚われがちな思考を、心から切り離すことができるのです」
「脳に囚われがちな……?」
「ええ。私共の中では『邪念』と言われているものですわ。心を捕らえ、正確に想う事ができなくなる、余計な物事。思考」
「……脳みそじゃなく、心だけで感じたものとか、そういうアレで?」
「ええ、そういうアレでよいのです。それを、自覚する事が大事なのです」
しかし、言われて尚、「だから?」という気持ちがぬぐえなかった。
そんなもの知ったところで、何かが変わったように思えないのだ。
「ええ、ええ。貴方の疑問は解りますよ。『そんなこと知ったところで何も変わってないじゃないか』『こんなのの何の意味があるのか』と」
「そ、そこまででもないですけど……」
「人にとって何が必要なのか。何が大切なのかと考えれば、私はまず、『何が一番大事なのか』を知る事だと思いますわ」
「……それで?」
「その大事なことを自覚し、その為にどのような行動をとるのが最善なのか。それを考えるのが、脳の、つまり思考の正しい在り方だと」
「……つまり、さっき思ったことが、俺にとって大事な事だって?」
「実際にはもっと、深い場所に別の想いもあったようですが」
そちらは掘り返さない方がいいのでは? と笑みで返され、何も言えなくなった。
確かに、そうだったのだ。
人には、思い出したくない事も沢山ある。
自分からPTを離脱した事や、仲間達と上手く行かなかった事や、誰かが死んだ時の事。
斥候になったきっかけや、失われた大事な命や、子供の頃の事や。
「……なあ司祭様よ。あんたのその眼は、人の心をいたぶる為にあるのかい?」
「そんなはずはありません。正確には、苦しむ原因を見ぬき、それを癒すためにあるのですよ? その古傷に、癒しが必要ですか?」
「要らねえ」
そんなの、必要としてなかった。
なるほど確かに、今の瞑想には意味があった。
既に癒しなど必要としていない古傷と、なんとかしなくちゃいけないという懸念と。
それらに気づけたこと。そして、それが今の自分に根付こうとしている事。
――それが、自分の弱点なのだと自覚させられた事。
「仲間なんて、必要とありゃ見捨てても、見限ってもいいと思ってたのになあ」
「そんなはずはないでしょう。貴方はいつだって、仲間を大切に思っていたはずですよ? 仲間と思った相手は、誰一人例外なく」
「あの剣士のクソ女にもか?」
「ええ。悪態をつきながらも」
「……けっ」
――嫌な事言いやがる。これだから聖職者ってのは。
心を読まれるのを承知の上で、最大限の悪態を内心でついて。
そして、立ち上がった。
もう、瞑想など必要ない。
「帰りますよ。付き合ってくれてどうも。お布施とかは……?」
「結構ですよ。ここにシャーリンドンさんと、あの子を連れてきてくれましたから」
「そうかい。んじゃ、これで」
「シェルビーさん」
「あん?」
「貴方は女性に対してもうちょっと、優しくした方がいいですわ。特にシャーリンドンさんのような方は、簡単に傷ついてしまいますから」
「……はぁん?」
何言ってんだこの人は、と、本日何度目かもわからない感想を抱き。
そして手をひらひら、勝手に歩き出す。
「余計なお世話っすよ。それに俺、『女性』にはちゃんと優しくするから」
ガキにはそうじゃないだけで、と。
顔は見ないようにしたが、それでも彼は、部屋の隅で「ぷっ」と笑いを我慢している司祭を感じていた。
(解ってくれてどうも)
皮肉げに礼を返し。
そして瞑想ルームを後にした。




