#37.きしだんはこわいところ
「――ぬりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
「ふんぬぅぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
《ギャキィッ》
「ぬわぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「まだまたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
《ギィンッ》
大地を揺るがさんほどの叫びと剣戟の音。
武器と武器のぶつかり合いが起こる度、ここ、訓練場では衝撃波が巻き起こり、強烈な突風が発生する。
「おらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「なんのっ、つりぇゃぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「喰らえぃっ、ふぬぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「甘いわよっ、はあっ、とりゃぁ!!!」
《ガシュッ》
《ガキィンッ》
国土防衛の要、騎士団の訓練風景は、その場に慣れぬ者達にはあまりにも威圧的で、そして、魂を揺るがす光景であった。
「す、すげえな……」
「奥歯がゆれる」
「見ていてとても怖いんですが……訓練用の武器とかではないですわよね?」
本日は、この訓練場にシェルビー以下、セシリアPTの仲間達が訪れていた。
シェルビーからの「ちょっと思うところがあって訓練したくて」という申し出に気をよくしたセシリアが案内してくれていたのだ。
名無しとシャーリンドンはおまけである。
そのセシリアはというと、腕を組み満足げに頷きながら「当然だ」と笑った。
「命がけの鍛錬をしなくては、いざという時の判断が鈍るからな。一瞬の判断の遅れや迷いが命にかかわることは、もう皆もある程度分かってると思うが」
「まあ、そりゃな? にしても、すげえ気迫だなあ。まるでドラゴンでも相手にしてるかのようだ」
「ははは、そうだな。今日は皆が見に来ているからか、いつもよりも気合が入っているのかもしれないな」
「いつもはここまででもないん?」
「いいや、命がけで必死になって鍛錬しているのは同じさ。ただ、君達の方に意識を向けている者が多いように思えてね」
困った奴らだ、と言いながら、それでいて悪い気はしないようで、セシリアは壁に掛けていたショートソードを手に取り、シェルビーに「持ってみろ」と渡す。
それを受け取り……シェルビーは、顔をしかめた。
「解っちゃいたが、やっぱ短剣と比べると重いな。振れないって程でもないが」
「そうだろうな。まずはこのくらいの武器から振ってみるといい。腕力を付けることはとても大切だ」
「そうさせてもらうぜ。なんだよ、いきなり地獄の筋トレでも始まるかと思ったわ」
「流石に基礎的な体力も無い者にそんな事はさせられんさ」
私とてそれくらい心得ている、と、心外そうな顔をしながらまた騎士達を見た。
「……彼らのようになるまでは才能があっても数年かかる。食事だって多めに食べなければスタミナがつかないし、筋肉をつける為にも脂肪分をたっぷりと取らないとな」
「それって、太らないと筋肉がつかないって事ですの?」
「ある日突然筋肉が増える訳ではないからな。筋肉を付ける為には、材料になるものを身体に入れてやらないといけない。主には肉と豆、それからミルクだな」
騎士達を見れば、ほとんどが大柄な男性で構成されており、その必要性もよく解るというものだった。
「騎士ってのは、貴族様がなるものだったんだろ? 昔からそんな鍛え方だったん?」
「最近はより理論的になってきているな。昔はもっと思い込みから来るハードな鍛錬や偏った食事法が推進されていたと聞くぞ?」
「今のよりも偏ってるんですの……なんだか身体に悪そうですわ」
「まあ、人の身で人並み以上の力を得ようとするなら、どこかしらに偏らせる必要があったんだろうな。栄養や効果的なトレーニングなどの概念も無かった時代では、無理もないさ」
少なくとも呪いや加護に頼るよりは健全だろうしな、と、自分の拳を見つめながらに小さく呟く。
かつての先祖がその、加護に頼ったが故に、彼女は今苦しんでいるのだ。
仲間の誰もが、その苦しみから解放してやりたいという気持ちになっていた。
「しかしシェルビー、君が鍛えたいと思うなんて、一体何があったんだ?」
「……ビャクレンの園で、鏡人のセシリアを相手に攻撃を加えた時に、あっさり弾き返された事があったろ」
「うん? ああ、そんなこともあったか?」
「あったさ。俺の援護がまるで効果を成さなかった。この先、あんな調子じゃ何の援護もできねえまま全滅させられちまうかもしれねえ」
あんた以上の相手と出くわしたらな、と、そっぽを向きながらぽつりぽつりと理由を説明する。
そう、誰もセシリアより強い相手がいるなんて、思いもしなかったのだ。
鏡人という、何もかも互角の相手に。
けれど、こちらのセシリアが抑え込まれてしまっていたあの状況は、かなり絶望的な状況だった。
「あの時まで俺は、なんだかんだ、あんたが居れば大抵の敵はどうにかなると思ってた。思って、たまに援護するくらいで十分だと思ってたんだ。だが、通じないのが解った」
「そんな事はないさ。君があの時……あいつを罠にハメてくれたんだろう? おかげで倒すことができたじゃないか」
何も知らないセシリアは「それは君の手柄のはずだ」と誇らしげに微笑む。
だが、シェルビーは「いやあれは」と、口にしようとして……結局つぐんでしまう。
「たまたまさ。たまたま上手く行っただけなんだ。他の敵に同じことをして、上手く行く保障なんて全くねえ」
「そうなのか? なら、別の方法を考えないといけない訳か」
「ああ。だが、とりあえずは俺自身の非力さに問題があるように思えてな」
自分自身の攻撃力不足。
それは今まで全く気にしていなかったことながら、これから先は気にしなくてはならない事のように思えたのだ。
「まあ、とりあえず素振りでもしてくるわ」
「ああ。やってみるといい。そこなら安全にできるだろう」
シェルビーが鍛錬すること自体は、セシリアも悪くは思わないようで、騎士達の鍛錬の邪魔にならぬスペースを手で示し、そこで素振りするように案内した。
「ショートソードの構え方は……こう、か? それともこうか?」
「構え方は色々あるが、上段構えは筋肉がついてからでないと腕を痛めてしまう。下段、後ろに構え、遠心力を利用して振ることで、ある程度非力でも威力を出せるはずだ」
「なるほどな、こうか? こう、おりゃっ」
ぶん、と、音を立て振られるショートソードは、しかし、同じ得物を持った騎士達のそれと比べると明らかに遅く、そしてブレまくっていた。
何より勢いに対し制動が利きにくく、思う場所で止められない。
結果、必要以上に振ってしまい、「うわ、と、と」と、つんのめりそうになりながらなんとかバランスを保っていた。
「これ、武器の重さで体幹が揺さぶられちまうな。これはまるで――」
――まるで巨乳になった時みたいだ。
例のバカげた一件を思い出しながら、シャーリンドンを見て口をつぐむ。
流石にそれを言えば怒られるのが目に見えていた。
「……? なんで私を見ますの?」
「いや、なんでも」
不思議そうに首をかしげるシャーリンドンだったが、それ以上の追及はなくほっとする。
すぐにセシリアが横についてきて「今のはな」と、剣を持つ手に手を添えられた。
「振り被る際に想定した以上に力を出してしまっていたな。ここだ」
「む? おぉ……」
左手で剣を持つ手を、そして右手は腕の関節の筋肉を撫でられる。
「ここに力を入れすぎると、制動が利きにくくなる。その状態で振ると、身体は振り回されやすくなるし、何度も振っていると足腰も腕の関節も痛めやすくなってしまう」
「んじゃ、どう振ればいいんだ?」
「腕の力だけで振らない事。剣は、身体で振るものだ」
誤解されやすいんだがな、と、剣を持たぬままに剣を持った時のような姿勢を見せる。
そしてそのまま、シェルビーの目の前で下段後ろの構えをし、振りかぶって見せた。
《ブォンッ》
ただそれだけで突風が巻き起こり、直近で見ていたシェルビーは「すげ」と思わずつぶやいてしまう。
セシリアはというと、「どうだ」と今一度構えた時の姿勢に戻っていた。
「足首をぐい、とひねってたな。半身の姿勢になってた。足先で身体を動かすのか」
「そういう事だ。剣を振る時には、それを構える腕力も当然だが、姿勢を保つための足首や太腿といった部位も重要になってくる」
勿論、ショートソードに限らずだ、と、壁に掛けてある短剣を手に取り、同じように下段に構え――振りかぶり投擲した。
《ズドォンッ》
騎士達が打ち合っていた間を抜け、最奥の壁へと叩きつけられた短剣は、その刀身を石壁へと突き刺し、壁そのものもわずかにへこませていた。
騎士らも慣れたもので、それを受けて尚動じる事すらせず、互いに武器を叩きつけ合っている。
「……投擲の威力をあげるのにも応用が利くって事か」
「そういう事だな。当然ショートソードの重さに慣れれば、短剣自体も軽く感じるだろうし、投げる際の威力増強にもつながる訳だ」
真っ先に渡した得物としてショートソードを選んだ理由、それがはっきりと理解できて、シェルビーは「なるほどな」と口元をにやつかせた。
(すげえなセシリアは。やっぱ、戦闘のプロってのはこういう――)
シェルビーだって場数は踏んでいるので、ナイフやダガーの扱いくらいは心得ているつもりだった。
だが、それはあくまで素人なりの、斥候としての技術の一片に過ぎず。
騎士のような、戦う事そのものを生業とした者達の技術としてのそれとは、明らかに次元の異なるものだったのだ。
その違いを、肌で感じていた。
「力の分散のさせ方も大切だ。さっきシェルビーは、大きく振った際に前のめりになっていただろう?」
「ああ、腕ばかり振っちまってたからな。どう振ればいい?」
「まず足を開く。肩幅よりやや広いくらいでいい。足先は、振る際の一歩を踏み込む為に左右ではなく、前後を意識する」
「こんな感じ、か」
先ほどセシリアが見せてくれたように、半身の姿勢で立ってみる。
これだと、剣を後ろに構えた時に後ろに引っ張られにくくなり、幾分、力を籠めやすく感じていた。
「その上で、上半身はやや前傾姿勢に。そう、膝を曲げ、姿勢を低くすることで、振った際のバランスを保ちやすくするんだ」
「こう、か? これで、振る時はどう?」
「振る際には右足を軸にして、右足首を真横に向けると共に、左足を右足の半分ほど前に出す感覚で足回りを意識する。上半身は剣を前に振ると共に、起き上がらせるように後ろに引っ張る様な感じを意識するんだ」
「腕は?」
「――自然と振れるさ」
いいのかそれで、と、疑問に思いはしたが。
《ブォンッ》
実際に足先から意識して動いてみると、腕は自然と前に出る様に振りかぶられ。
そして、上半身を起き上がらせる頃には、先ほどよりもそれらしい音と風を起こしながら振られていたショートソードの剣先が、ぴたり、正面に来るように止められていた。
実感が伴い、「おお」とシェルビーも目を見開き驚きの声をあげた。
「すげえ。こうやってやるのか。足先、か」
「君は身軽だからな、足回りは柔軟だから、足先から意識すればすぐに解ると思っていたよ。後は、握り方だな」
「握り方? これじゃダメなん?」
「ただ強く握るだけではだめだ。常に強く握りしめるのではなく、普段は……こう」
ショートソードを握っていた手をほどくように上から掴まれ、一瞬剛力で引きはがされるのでは、と、警戒したシェルビーだったが。
その指先はとても柔らかで、恐れていたことそのものが馬鹿らしいものだったとすぐに気付かされた。
すぐに、無駄にかかっていた力が抜け、『ただ持っているだけ』という状態に近くなる。
「落とさない程度でいい。全力を尽くすような戦いなら別だが、素振りならそこまで力を籠めなくても振れる。今は、沢山振り、力を付けることが大切だからな。こう、だ」
手を取って先ほどまでより上の、柄に近い部分を握る様に手で覆われ、されるがままに軽く持つ。
重く感じたショートソードが、不意に軽くなったように感じられた。
「持つ部分一つでここまで違うのか」
「短剣だと解らない事ばかりだろう? もちろん、振る際にはぎゅっと握りしめる。遠心力を掛けたい時は柄から離して持ってもいい。その分だけ腕にかかる負担は大きくなるがな」
「何から何まで間違ってたって訳か……剣の持ち方ひとつ、振り方ひとつ、何も知らんとここまで差があるとは」
聞いてよかったと思える反面、知らずにいた事が恥ずかしくなるくらいにレベルが違い。
子供に教えるかのように丁寧に教えてもらっている今の状況が、歯がゆく感じてしまってもいた。
こんな事でもなければ、恐らく一生知らないままで、そして、一生他人任せでいいと思っていた部分である。
そこに、本来なら絶対に踏み込まないであろう場所に、自分から踏み込んでいるという自覚があった。
(だが、今はそれを知らなきゃいけねえ。少しでも覚えて、吸収して、攻撃能力を持たなきゃ)
それがどこまで通用するかも解らない。
ただの俄か知識で、俄か鍛錬で通用するような、そんな世界ではないかもしれない。
それでも、何もしないよりはましだと思えたのだ。
何もしないでそのまま過ごせば、いつかあの鏡人セシリアのような壁が立ちはだかった時、乗り越えられないかもしれない。
その時こそ、自分たちが全滅してしまう、そんな道を進んでしまうのではないかと、そう考えた。
「よーし、早速やってみるか」
「ああ、君ならできるはずだ。見ていてやるから頑張ってみるといい」
俄然やる気が湧いたシェルビーは、セシリア数歩離れるなり、また素振りを始めた。
先ほどよりも幾分様になった姿勢で、幾分それらしく聞こえる風切り音を起こしながら。
それをセシリアは、とてもいい笑顔で「その調子だ」と褒めながら見ていた。
(――な、なんだか、視線が)
(う……こっちに向いてる?)
かくして、シェルビーが鍛錬を始めたのはいいのだが。
シャーリンドンと名無しは、それぞれが、先ほどからずっと向けられる、刺すような視線を感じていた。
それも一つ二つではなく、いくつもの、殺気すら感じられるような遠慮のないものが。
「セシリア殿……あんな奴に笑顔を向けて」
「くそ、俺が始めたばかりの頃だって同じくらい……別にあいつが特別な訳じゃ」
「なんなのよあの薄汚い男は。セシリア様の隣に立つのは私のはずなのに……」
「副団長……くそっ、くそっ、何がPTメンバーだ。騎士の役目さえなければ、俺が副団長と……っ」
怨嗟の籠った視線は、男性騎士のみならず、女性騎士達からも向けられていた。
シャーリンドン達は最初、それが自分たちに向けられていると思ったが、視線の向く先は正確には、シェルビーに対してだったのだ。
(な、なんだか、この方たち、ずっとシェルビーを……)
(シェルビー、早く気づいて)
こんな時ばかり無心で素振りをしている所為で当の本人は全く気付かず、セシリアもニコニコ笑顔のまま時折「こういう時はここの筋肉を意識して」とボディタッチも遠慮がない為、余計に騎士達がどす黒い闇を放つようになっていた。
「……さっきから私達の方ばかり見ているようだが、鍛錬の手は止めてくれるな?」
そしてセシリア本人はそれに気付いていたのか、騎士達の方をぎら、と睨みつけ、上官として厳しい言葉を投げた。
「はっ、失礼しましたっ」
「おらぁっ打ち合い200本行くぞぉっ!!」
「死ねえええっ、必殺、回転斬りぃぃぃぃぃっ!!」
「なんのっ、王宮剣刀術究極奥義!! 天覇驚乱滅殺黒龍破壊回転斬りぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!」
自分たちに視線が向くや、騎士達は俄かに士気をあげ、また戦い始める。
その様、まるでお母さんにいい所を見せようと頑張る幼児のようだった。
「全く、見慣れぬ者がいるからと浮かれるとは、未熟な」
「騎士の方々、セシリアさんの事、好きなんですのね」
「セシリア様、モテモテ」
結婚の心配ないんじゃ、と、内心で思いながら騎士達の視線の意味を理解したシャーリンドンと名無しだったが。
セシリアは「何を言うんだ」と腕を組みながら苦笑いしていた。
「私はどちらかというと、恐れられてしまっている方だ。今だって、私が視線を向けた途端これだ。私に張り合おうというものすらいない」
「そんな事はないと思いますが……」
「セシリア様、きっと人気ある」
「ありがとうな二人とも。慰めでも嬉しいよ。だが、私はいいんだ」
尚も熾烈な戦いを繰り広げる騎士達を眺めながら、諦めの入った笑顔を浮かべ。
セシリアは、ほう、と小さく息をつく。
「どのように思われようと、あのように必死に鍛錬してくれる。その成果が彼らを生かし、騎士としての誉にも繋がる。だから、今はこれでいい」
うんうん、と勝手に何かに納得するように受け入れてしまっているセシリアに、シャーリンドンと名無しはある可能性に気づきつつあった。
(これ……セシリアさんって、もしかして普通に人気なのでは……?)
(お断りされた理由、別にある……?)
何が原因でセシリアが自分を需要無しとみなしたのか、その裏に何かがある様に感じ始めた二人であった。




